24. 侯爵家の優雅なる夕べ
シシーがオルレアン侯爵邸にやってきてから、一週間と少し。侯爵家の人々は、エドガーとシシーを生あたたかく見守っていた。
初めての週末のお茶会。エドガーの隣に、わざわざシシーを座らせているのに、エドガーはほとんど話しかけない。エドガーは、シシーを眺め、隣に座っているだけで、胸いっぱいだった。
そして、前侯爵夫人も侯爵夫人もまた胸いっぱいだった。
「本当にお似合いの二人ね……、エドガーがごついけど……」
「未来のお嫁さんとお茶しながらおしゃべりできる夢が叶うなんて……」
何しろ、前侯爵夫人は美しいカップルで妄想することが趣味だし、侯爵夫人はエドガーの結婚が悲願だった。
だから、今のところは、二人並んだところを見るだけで良かった。
エドガーとシシーは、とても絵になるカップル、というのが、身内びいきの二人の感想だった。
「でも、早くくっつけたいかしらね……」
「ホホホ、そうですわね、義母上様」
「でも、シシーはちょっと手強すぎない?」
「そうなんですの、だからまあ、ゆっくり、でも確実に攻めるのですわ、義母上様」
優雅に微笑み合う。前侯爵夫人と、侯爵夫人という嫁姑は、これまであまり親しくなかったけれど、エドガーとシシーの件で盛り上がりまくっていた。
そんなある日。
一ヶ月後に侯爵家で開かれる舞踏会でのケーキについて、侯爵夫人はパティシエのジュディス・シュリニエールと打ち合わせをしていた。シシーは侯爵夫人に呼ばれて、ケーキを見に来た。
フラワーケーキだと聞いたシシーは、予習を中断して、馳せ参じたのだ。ヒールダー伯爵夫人のガーデンパーティで出された、フラワーケーキの美しさとおいしさは、忘れられなかったからだ。
「とても美しいですね! ヒールダー伯爵家のものとは大きさが違いますが、繊細で、おいしそうです」
ヒールダー伯爵家では、紫色の小さな薔薇が飾られた、手に乗るくらいの小さなケーキが積み重ねられて飾られていた。味も見た目もとても繊細で、宝石のようだった。一方、ジュディスが作ったケーキは、五段あって、台を入れるとシシーの背丈ほどある。
「ありがとうございます。ヒールダー伯爵家とは違ったものをと、店の方で試作を重ねてまいりました。まだ販売したことも披露したこともないのです。奥様が今度のパーティで出されたいと言うことなので、腕をふるわせていただきました」
「シシーさん、ちょっと食べてもらえるかしら」
侯爵夫人がそう言ったとき、執事のアーサーが入って来た。
「エドガー様がお帰りになられました」
「あら、早いわね。ケーキは晩餐の後にしましょう」
毎日、夕暮れ時になると、エドガーはやってくる。シシーはエドガーの侍女ではないし、勤務時間でもないけれど、前侯爵夫人か侯爵夫人が出迎えるときには、一緒に玄関先に向かうことがある。
(これまで、月に一回くらいしか帰宅しなかったのに、本当に現金な男だわ。ちゃんと仕事しているのかしら)
侯爵夫人が内心ではエドガーをののしっていると、アーサーは重ねて言った。
「明日は祭日でございますし、お泊りになられるとか」
(しかも宿泊! 週末の明日はシシーとお茶ができるとエドガーは浮かれているわけね)
侯爵夫人は、シシーと侍女を従えて、玄関ホールへ向かった。エドガーが侍女にコートを預けると、出迎えた使用人たちは一斉に頭を下げた。
「今日はずいぶん早いのね、しかも泊まりだとか。早く言ってくれないと迷惑だわ」
侯爵夫人の嫌味をものともせず、エドガーは丁寧にあいさつした。シシーに向ける視線は柔らかく甘い。
「母上、そしてシシー。今日はいい夜ですね」
「お疲れ様でございます」
エドガーは、シシーに出迎えられる喜びをしみじみと噛みしめていた。
(何度出迎えられても、うれしくてたまらない。本当に癒される……。しかも、今日は、俺が用意した少し上等なドレスだ、かわいい)
正確に言うと、エドガーに頼み込まれたダリアが見立て、クローゼットに用意したドレスだ。シシーは固辞したけれど、ダリアが長い説得の末、身につけさせたのだ。エドガーの瞳の色と同じ深い群青色で、優雅なマーメイドラインだ。いつもおろしているか、簡単に束ねている薄い金髪は、複雑に編み込まれアップにされている。
(少し大人っぽくもある)
「今日の晩餐は、今度のパーティの料理とケーキの試食をするから、シシーにも同席してもらうの。若い女性の意見を聞きたいから」
いつものシシーは、使用人食堂で食事する。けれど侯爵夫人は気をきかせたのだ。侯爵夫人がエドガーに目配せする。
(母上、何といい仕事をなさる! どうもありとう!)
エドガーは、さっきとは打って変わり、侯爵夫人に極上の笑顔を向けた。そして、その笑顔のままシシーに言った。
「今日のシシーはいつにも増して優雅なレディだ。よく似合ってるよ」
「あ、ありがとうございます」
満面の笑みを浮かべて、侯爵夫人は二人を見ていた。
「いつもそんな格好したらいいのに」
「閣下、からかわないでください」
「からかってなどいない」
(な、何だか閣下の笑顔がまぶしいわね……。私なんかをほめてくださるなんて、今日はとてもご機嫌なのね)
何もわかっていないシシーは、平和なことを考えながらも、胸をおさえる。
(やっぱり閣下のような男性にほめられると心臓に悪いわ……顔が良すぎるのって罪よね……)
「晩餐の準備が整っておりますので、どうぞ」
アーサーが声をかけると、一同はダイニングルームへと移動する。身内だけの晩餐の際には、細かいことは気にしない侯爵家では、前侯爵夫人、侯爵、ダリアはすでに席について、キャッキャと盛り上がっていた。
急に黙ったところを見ると、シシーとエドガーの噂話をしていたのだろうと、侯爵夫人もアーサーも思った。
(シシー様が来てくださって、侯爵家は明るくなった。いいお嬢様で、申し分ない)
そんなふうにアーサーをはじめ使用人たちは感じていた。
シシーの席を侯爵夫人が素早くアーサーに指示する。エドガーの横で、ダリアの前だ。エドガーは、シシーの椅子をさっと引くと、座るよう促した。
(何より、あのおぼっちゃまが、こんなに変わられて感無量です。オルレアン侯爵家は安泰ですな)
エドガーはいつもはシシーと食事はとれないので、あいさつ程度の会話しかできない。それでも、エドガーはその一瞬に賭けていたし、楽しみにしている。でも、今日は、フルコースの時間、軽く二時間は隣にいられる。週末のお茶は、四十分くらいのものなのに。
エドガーは、深呼吸をして気合いを入れた。




