やっぱりままならない
「いいっ!?」
巨大な質量の敵が大きく浮き上がるのを見て、俺は思わず足を止めて巨大な塊を見上げる。
た、泰三の奴……何をしたんだ?
このまま一気に距離を詰めようとしたが、あれだけ大きなものが飛んだということは当然、落下した時の衝撃もそれなりはわけで……、
次の瞬間、異形が地面へと落下して天地がひっくり返ったかと思うほどの地響きが発生し、俺の体が数センチ宙に浮く。
「うおっと……」
どうにか倒れることなくバランスを保った俺は、泰三の活躍に応えるために前へと出る。
「浩一君、奴は暫くスタン状態になりますから今のうちに!」
「――っ、わかった!?」
異形の向こうから泰三の声が聞こえ、俺は彼が何をしたのかを理解する。
泰三は偉業にランサーの第一スキル『足払い』を喰らわせたのだ。
足だけで数十本もある異形に果たして払う足があるのかという疑問はあるが、そこは自由騎士のスキル、相手がどんなバケモノだろうと強制的にスキルの効果を発揮させるのは流石だ。
本来はその場で転んでほんの僅かにスタンするだけなのだが、あんな芸当ができるのは、泰三のレベルがそれだけ上がったということだろうか。
となれば、スタン効果も本来より長く発揮するかもしれない。
だが、ここで慢心して異形を仕留め損なうわけにはいかないので、俺は奴の背後へと回るように動く。
背中どころか、全身に手が生えている異形の何処が背中なのかはわからないが、最後に奴が進んでいた方向とは逆に進むと、狙い通り無数の手の中から黒いシミが浮かび上がるのが見える。
「これなら……」
見上げるほどに大きい異形だが、泰三が転がしてくれたお蔭で気味悪い背中を登る必要はない。
一気に距離を詰めた俺は、ナイフを手に体ごと黒いシミへと突撃する。
何の抵抗もなくナイフはズブズブと黒いシミへと吸い込まれていくが、問題はここからだ。
ここから異形に致命傷を与えるまで……心臓がある場所までナイフを勧めなければならない。
「うおおおおおおおおおおおぉぉぉ!!」
雄叫びを上げ、足を踏ん張ってナイフを持つ右手を全力で前へと突き出していくが、致命傷を与えたという手応えはない。
腕は既に肩の根元まで埋まっているが、ここまで来てまだ致命傷に届かないのか?
「クッ……こんのおおおおおぉぉぉ!」
どうにか心臓に届けと、片足立ちになってさらにナイフを突き出していくが、まだ手応えはない。
「浩一君!」
「コーイチ!」
ジタバタともがく俺の耳に、泰三とシドの切羽詰まったような声が聞こえてくる。
二人の声に我に返ると、眼前の異形の手がピクリと動くのが見えた。
マズイ……早く止めを刺さないと、奴が動き出してしまう。
突き刺した手を「届け!」と念じながら全身を投げ出す勢いで前へと進めるが、僅かに伸びたところでこれといった手応えは返って来ない。
「これまで……なのか?」
もう脱出しなければ、動き出した異形のに掴まる……
そう思った時、
「コーイチ殿!」
シドたちではない第三者の声が聞こえ、俺が突き刺している黒いシミにもう一本手が増える。
「マ、マリルさん!?」
「ああ、後は任せろ」
俺の声にニヤリと笑った乱入者、マリルさんは黒いシミの中で俺の手からナイフを奪い取ると、
「おらあああっ!」
叫びながら俺より長い手でさらに奥へと押し込んでいく。
片足立ちになり、マリルさんが殆ど倒れそうになったところで、
「グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァッ!!」
異形の口から紫色の血を吐き出し、耳を劈くような悲鳴を上げる。
「届いた!?」
「みたいだな……ヘッ、止めを刺す時だけ手応えがあるとは妙な間隔だな」
マリルさんがニヤリと笑うと同時に、彼女の後ろにある手がピクピクと動き出す。
「――っ!? いけない、マリルさん逃げましょう!」
「……いいや、まだだ」
マリルさんはかぶりを振って肩で俺を押したかと思うと、足を振り上げて蹴り飛ばす。
「おわっ!?」
思いっきり蹴られたわけではないので、倒れることなくどうにか踏み止まった俺は、マリルさんの真意を問う。
「マ、マリルさん、一体何を!」
「コーイチ殿、私はここまでだ」
「……えっ?」
驚く俺に、マリルさんは「フッ」と小さく笑う。
「手応えはあった。だが、奴はこのままでは倒せない……違うか?」
「それは……」
「図星だな」
俺の顔色を読んだのか、マリルさんは俺から視線を外して埋まっている自分の右手を見る。
「それに、コーイチ殿の手が抜けた途端、私の手が動かなくなった」
「だったら!」
「いや、もうこいつが動き出す。それに奥には押し込めるから、このまま奴の心臓をグチャグチャにしてやる!」
そう言ってマリルさんが腕をさらに押し込むと、異形が悲鳴を上げながらドタバタと暴れ出す。
「クッ……こいつ、暴れるなよ」
「マリルさん、もう逃げるんだ! もう、スタンが……奴が動き出す」
今にも動き出しそうな異形にヒヤヒヤしていると、マリルさんはかぶりを振る。
「いや、私はここまでだ」
「マリルさん!?」
そこで俺は、ようやくマリルさんの異変に気付く。
血を失い過ぎた所為か、マリルさんの顔色は真っ白になっており、やや厚めの唇も紫色に変色していた。
「そんな絶望的な顔をしないでくれ」
マリルさんは苦笑を漏らしながら静かに話す。
「残念ながら私はもう長くない……ならば、最後にコーイチ殿たちが逃げる時間を稼ぐために使わせてくれ」
「何を言って……」
「マリル」
愕然とする俺の声を遮って、シドが割って入って来る。
「……いいんだな?」
「ああ、悪いが私の物語はここまでだ」
俺の肩を抑えるシドを見て、マリルさんは安堵したような笑みを浮かべる。
「シド姫……私の分まで幸せになれよ」
「ああ、お前の分までいっぱい……いっぱい幸せになるからな」
「任せた」
そう言って二人は笑みを浮かべて頷き合う。
二人の間に何があったのかわからないが、シドは割り切ったようにマリルさんに背を向けると、俺の腕に絡めて引っ張る。
「コーイチ、行くぞ」
「シド……」
声の調子から二人の覚悟が既に固まっていることを理解した俺は、シドに頷いて移動を開始する。
「あっ……」
ただ、最初の一歩を踏み出したところで立ち止まった俺は、マリルさんに向かって大声で話しかける。
「マリルさん。俺、頑張りますから……シドを必ず幸せにしてみせますから!」
「…………」
俺の言葉に、マリルさんは面食らったように大きく目を見開いたが、
「ああ、期待しているよ。頼んだよ。シド姫の王子様」
「任されました」
マリルさんに頭を下げて感謝の意を伝えた俺は、シドと手を繋いでその場から逃げ出す。
行く先には、既に泰三が待っていて手を振っている。
どうやらあの先に迎えのエルフがいるようだ。
脱出まで目と鼻の先まで来ていたのに、という想いは当然ながらある。
だが、もう全員満身創痍だし、今から戻って異形が絶命するまで無事にいられる保証もない。
結局、また俺は誰かの犠牲の上で生かしてもらっている。
「本当に……本当にままならないな」
声にならない声で小さく呟いた俺は、繋いでいるシドの手をしっかり握る。
程なくして背後から異形の断末魔のような叫び声と、何かが壊れる音が聞こえてきたが、俺たちは後ろを振り返ることなく最後の力を振り絞って駆け続けた。




