王の亡骸
室内に足を踏み入れると、カーテンを閉めているのか中は薄暗い。
だが、それより気になるのは、外より明らかに強い花の香りだ。
「これは……」
強烈過ぎる花の香りに、俺は堪らず鼻を摘まむ。
おそらく普通の花より匂いの強い花を活けているのだと思われるが、どんないい匂いのものでも限度というのがあり、これは俺でも許容できる範囲を超えている。
すると、
「……コーイチ」
後ろからシドが音もなく近付いてきて、耳元で囁いてくる。
「あたしたちは部屋の外で待たせてもらうよ」
「えっ?」
「真面目な話はコーイチとタイゾーがいればいいだろう。それにほら……」
そう言ってシドは、仲間はずれにされるのを嫌って俺たちに付いてきたミーファを顎で示す。
「この中に入ったら、ミーファは絶対にグズグズ文句を言う。それじゃあ、まとまる話もまとまらんだろう」
「まあ、確かに……」
人間である俺ですら鼻が曲がるのでは? と思うほどだ。
素直なミーファのことだから、部屋の中に入った途端に、花の香りが強過ぎることに文句を言うに違いない。
ミーファの魅力は素直なことだが、その素直さが時には仇となる時もあるということだ。
ここでミーファだけ除け者にしてしまうと、きっと彼女は間違いなく駄々をこね、なんなら城全体に響き渡るほどの大泣きをするだろう。
だが、シドとソラが一緒に残ることになれば、多少はミーファの溜飲が下がるかもしれない。
「わかった。それじゃあ部屋の方は任された」
「……ああ」
シドは部屋の奥をちらりと一瞥すると、俺の肩を叩いてくる。
「察していると思うが、姫さんのことフォローしてやってくれ」
ということは、シドは室内がどうなっているか理解しているようだ。
「うん、わかってる」
俺は自分の予想が当たっていたことをに複雑な気持ちを抱えながら、泰三に視線を送る。
「ええ、行きましょう」
言葉を交わさなくても俺の言いたいことを理解してくれた泰三に頷き返すと、俺たちは三姉妹たちを置いてカナート王の私室へと入って行く。
中々入って来ないことにフリージア様に文句を言われるかと思ったが、彼女は大きな幕の前で俺たちが来るのを静かに待ってくれていた。
「すみません、お待たせしてしまって……」
「構いませんわ。流石はシド姫様と感心していたところですわ」
「えっ?」
「ミーファ様のことを想えば、といえばお分かりになると思います」
「あっ……」
ということは、俺と泰三は今からショッキングなものを見させられるというわけだ。
ある程度はグロテスクなものに対して耐性はできていると思うが、実際に目の当たりにする前に心構えだけはしておきたい。
俺は胸に手を当て、大きく深呼吸を数回して心を落ち着けると、改めてフリージア様に向き直る。
「フリージア様、お願いできますか?」
「はい、こちらへどうぞ」
ゆっくり首肯したフリージア様は、振り返って大きな幕の中へと入って行く。
「お父様、コーイチ様とタイゾー様が、自由騎士様たちがいらっしゃってくださいました」
フリージア様の手招きに従い、俺と泰三も揃って幕の中へと入る。
幕の中には文字通りキングサイズの巨大なベッドがあり、中にカナート王が満開の花の中で静かに眠っていた。
てっきりもっと凄惨な光景を想像していたが、カナート王は見る限り目立った外傷はない。
「…………あの」
「はい、お父様は既に亡くなっています」
俺が聞く前に、フリージア様が先に答えを話す。
「昨日、街の中にゾンビ兵が溢れた時、近衛兵に指示を出した矢先、ハバル大臣に不意を討たれて……」
そう言ってフリージア様は、眠っているカナート王にかけられた薄い緑色のシーツを取る。
「――っ!?」
シーツの下から出てきた物を見て、俺はハッ、と息を飲む。
カナート王には、首から下がなかった。
いや、正確には全くないわけではない。
両足は残っているし、左腕はこれといった怪我は見えない。
だが、体の右上半身はまるで巨大な獣……グランドの地下下水道を支配していた巨大アリゲーターに喰われたかのように、大きく抉れていた。
そして巨大な穴はカナート王の胸にも開いており、その大きさはベッドの向こう側の血で赤黒く滲んだシーツまで見えるほどだった。
「これは……一体何をどうすればこんなことに……」
「喰われたんだよ」
シーツを取ったことで漂ってきた死臭に、思わず口を押えて固まる泰三に、俺は自分が見たことを話す。
「ハバル大臣は自分が真の獣人の王になると言って、この国の王子を襲って心臓を食べ、爆発的に強くなったんだ。だからこれは……」
「同じように襲われ、心臓を食べられた?」
「ああ、間違いありませんよね?」
確認するようにフリージア様へ問いかけると、彼女は目を伏せてゆっくりと頷く。
「やはりか……」
俺たちの前に現れた時、ハバル大臣は既に常軌を逸した強さをしていた。
「てっきりペンターに魔物にしてもらったから強くなったと思ったけど、そうじゃなかったんだ」
先にカナート王を襲い、彼の心臓を食べていたから強くなっていたのだ。
カナート王の体がここまで無残な姿になっているのは、おそらく同族の何を食べれば強くなるのか、ハバル大臣が理解していなかったからだと思われる。
だからハバル大臣は、カナート王の右腕から食べ始め、彼の上半身を貪るように食べ進め、心臓へと至ったところでパワーアップに気付いたと思われる。
果たしてハバル大臣に食べられる時、カナート王に意識があったのかどうかはわからないが、人が人を食べる姿というのはなるべく想像したくないと思った。
「だけど、不意を突いたとはいえ、この国の王を倒すなんて……」
胸糞悪いことを想像して嫌な気持ちになっていると、泰三が疑問に思ったことを口にする。
「獣人は強さを何よりも重んじると聞いていましたが、ハバル大臣の強さはどれくらいだったのでしょうか?」
「いや、実は直接会ったことはないからわからないけど……カナート王はかなりの実力者だった」
直接切り結んだわけではないが、対峙しただけでもカナート王がかなりの強さなのは感じられた。
まさか見ただけで相手の実力が判るようになったのか? と思うかもしれないが、実際はそんなことなく、未熟な俺でも肌で感じるくらいカナート王の威圧感が凄かったのだ。
「真正面から戦ったら、手も足も出ないくらいの圧だった。だから、ハバル大臣もきっと……」
「違います!」
俺の推測に、絹を切り裂くような強い否定の言葉が重なる。
驚いて顔を上げると、これまで毅然とした態度でいたフリージア様が目に涙を浮かべてこちらを睨んでいた。
「あの男は……あの男は王に相応しくない! あんな……あんな卑怯者は……わああああああああああああああああああああぁぁぁん!!」
「フリージア様!」
堰を切ったかのように大声で鳴き出したフリージア様を見て危険だと思った俺は、思わず彼女へと駆け寄って華奢な体を思いっきり抱き締める。
「大丈夫です。俺が……俺たちがいますから」
「あいつが……あいつさえいなければわたくしは……わたくしたちはあああああああああああぁぁぁ!!」
「何があっても俺たちはフリージア様の味方ですから、辛いことは全部吐き出して下さい」
「うわああああああああああああああああああぁぁぁん!!」
フリージア様は俺にしがみつくと、堪っていたものを一気に吐き出すように泣き叫ぶ。
「返して! お父様を! お兄様を! クラーラ様を……わたくしの大事な家族を返してよ! わああああああああああああああああああああああああああああああぁぁ…………」
何度も胸を叩きながら泣きじゃくるフリージア様を、俺は壊れてしまわないように必死に抱き締め、優しく頭を撫で続けた。




