恥も外聞もなく
槍の重さを確かめながら、シドは頭上で激しく回して大きな虫人へと襲いかかる。
「せりゃぁ!」
狙うは小さな虫人を倒した時と同じ右腕の関節、先程より手足が太い所為で目に見える目標は小さいが、シドは正確に目標へ向けて突きを繰り出す。
しかし、
「ギッ!」
シドの攻撃を大きな虫人は、まるで予期していたかのように体を半身ずらして回避する。
さらに回避した勢いを利用して、二本の左腕でシドを掴みかかろうとする。
「……チッ」
大きな虫人から伸ばされた手を、シドは相手に回避された勢いを敢えて殺さずそのまま通り抜けることで回避する。
「……やるじゃないか」
派手な砂煙を上げて急制動をかけたシドは、槍を持ち直して再び大きな虫人へと襲いかかる。
「単発攻撃がダメなら、これならどうだ!」
相手がそれなりの身きり能力があると判断したシドは、今度は連続で突き攻撃を繰り出す。
「そら! そらそらっ!」
シドが点ではなく、面で制圧するように素早い攻撃を繰り出していくと、大きな虫人は弱点である関節部位を守りながら後退していく。
「ハッ、どうした? 守るだけでは勝てんぞ!」
守勢に徹する大きな虫人に、シドはチャンスとばかりラッシュを仕掛けていく。
しかし、シドが攻撃を振るう度に激しく火花を散らすものの、大きな虫人の堅牢な装甲を貫くまでには至らない。
それでも大きな虫人が無理に攻勢に出ないのは、シドの攻撃は滅茶苦茶なように見えて常に隙あらば露わになった関節を貫こうとしているからだ。
少しでも隙を見せたら殺られる……それが本能でわかっているからか、大きな虫人は後ろに下がることしかできないでいた。
だが、大きな虫人もこのままでいるつもりはなかった。
「…………ギギッ」
大きな虫人は歯をギチギチと鳴らすと、ガード姿勢を崩さないまま両足を開いて踏ん張る。
同時に背中の鞘翅を開き、中から緑色の霧状の毒を噴射しはじめる。
「来たな!」
事前に熊人族の男性から聞いていた攻撃の登場に、シドは毒の範囲から逃れるように大きく後ろに跳ぶと同時に、大きな虫人の首に向かって手にした槍を投擲する。
「――っ!?」
不意打ちにも似た攻撃であったが、大きな虫人はこの攻撃も四本の腕をクロスさせてしっかりとガードしてみせた。
この攻撃が通らないのはシドも想定済みだ。
投擲の目的は敵を倒すためではなく、その場に釘付けにするためだ。
後方に跳んだシドは、着地すると同時に近くに落ちていた別のハンドアックスを拾う。
横に走りながらハンドアックスを振りかぶったシドは、
「いけっ!」
狙いを定めて、サイドスローで小型の斧を投擲する。
「ギギッ!」
また新たな攻撃が来ると予期した大きな虫人は、背中から毒霧を撒き散らしながらガード姿勢を維持する。
だが、シドの手を離れたハンドアックスは、激しく横回転をしながら大きな虫人の脇を大きく逸れて飛んでいく。
「…………ギッ?」
まさかの攻撃が外れるという事態に、大きな虫人は唖然とハンドアックスを目で追う。
次の瞬間、油断した大きな虫人の左上の手が吹き飛び、黄色い体液が舞う。
「――ッ!?」
「ハッ、油断したな」
声に反応して大きな虫人が振り向くと、両手に武器を持ってニヤリと笑うシドと目が合う。
「おい、あたしにばっかり注目していいのか?」
「ギッ?」
武器を構えたシドがニヤリと笑いながら声をかけると、
「ギギャ!?」
大きな虫人が、悲鳴を上げながら大きくバランスを崩して前へと倒れる。
「ギッ……ギギッ……」
何事かと思いながら大きな虫人が後ろを振り返ると、自身の背中にハンドアックスが深々と突き刺さっているのが見える。
それは先程大きく外れたと思い、見送ったハンドアックスだった。
「驚いたか?」
切り落とされていない右側の二本の腕を使い、ハンドアックスを引き抜いている大きな虫人にシドが悠然と歩み寄りながら話す。
「お前の防御は見事だったよ。このあたしでも、そう簡単に貫くことはできなかった」
シドは後方に跳ぶ時に投げ付けた何度も突いて、先端が欠けた槍を足で蹴りながら嘆息する。
「だったら取るべき方法は決まっている。大きな隙を作るか、防御が低い部位を晒させるかだ」
熊人族の男性から毒霧の情報を聞いた時、シドはどうして翅があるのに大きな虫人は飛ばないのだろうと考えた。
最初に思いついたのは、大きな虫人の翅は飛ぶためではなく、毒霧を撒き散らすためにあるのではないかというものだ。
それはシドが小さい方の虫人と戦っている間に、大きな虫人の毒霧に襲われなかったことからの予想だった。
もし、大きな虫人が毒霧を撒き散らしながら移動できるなら、シドが小さい虫人と戦っている時に毒霧に巻き込まれていただろう。
そして小さい虫人同様、追い込まれるまで毒霧を使わなかったということは、そこに光明があるということだ。
「思った通り、その鞘翅の中身は防御が薄かったようだな」
全身を堅い殻に覆われていても、中身まではそうはいかない。
かといって柔らかい部位は正面ではないので、真っ当な方法では攻撃が届かない。
故にシドが取った作戦は、スナップを効かせてハンドアックスが大きく弧を描くように投げ、自身は正面にいながら背中から強襲するというものだった。
「ついでに腕の一本ももぎ取れたのは僥倖だったが、これで勝負あったな」
腕を一本失い、背中は大きく抉られて毒霧の噴出も止まっている。
背中の傷も浅くないところから鑑みても、シドの勝利は揺るがないと思われた。
だが、
「ギギイイイイイイィィィッ!」
大きな虫人は一際大きく鳴くと、口から毒液を吐き出す。
「おっと!」
既に毒液の情報を知っているシドは、不意打ち気味に吐き出された毒液を難なく回避する。
「悪いが一度見た攻撃は……」
一歩前へ出ながら回避したシドは、そのまま大きな虫人へと斬りかかろうとする。
だが、
「ギギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァ!!」
大きな虫人はさらに大きく鳴きながら激しく背中の翅を震わせ、大量の毒霧を吐き出す。
「うっ……」
周囲一帯を覆うような大量の毒霧に、シドは口元を覆いながら下がる。
「このっ、悪あがきを……」
思わず毒霧を無視して襲いかかろうと思うが、毒霧に触れた獣人の死体が早回しの動画を見るかのようにみるみる腐敗し、溶けていくのを見て、シドは後退を余儀なくされる。
大きな虫人がいつ飛び出して来てもいいように、シドは片手は油断なく武器を構えながら毒霧に触れないように距離を取る。
「…………来るか?」
毒霧の向こうで大きな虫人が動く気配を察したシドは、腰を落として構える。
だが、こちらに向かってくると思われた大きな虫人の気配は、どんどん遠ざかっていく。
「…………はぁ?」
まさか、逃げた?
「お、おい!」
前に進むしか能がないと思っていた魔物が敵前逃亡をするという事態に、シドは思わず毒霧の向こうに向かって叫ぶ。
「逃げるなんて卑怯だぞ! 飼い主の前でそんな恥を晒していいのか!」
だが、シドの叫び声に大きな虫人が応えるはずもなく、代わりに毒霧の向こうからバリボリと何か硬いものを噛み砕くような音が響いていた。




