はじまりの終わり
胴を切り払われたトロルは、大きな地響きを立てて倒れると、そのまま何度か痙攣した後に動かなくなる。
目から光が消え、抉られたわき腹から溢れ出る血が止まったところで、
「…………うぷっ」
俺は周囲に漂う血生臭いに耐え切れなくなり、ポーチからシドから貰った手拭いで口と鼻を覆い、深く呼吸を繰り返す。
すると、完全とはいかないが、それでもこれである程度の悪臭が防げるのと、僅かに残っているシドの残り香が俺の精神を大分安定させてくれる。
「……さて」
どうにか吐き気を堪え、後は残ったゴブリンをどう処理すべきかを考えていると、
「シャアアアアアァァ!」
「おわっ!?」
折れた剣を手にしたゴブリンがいきなり襲いかかって来て、俺は紙一重のところで回避に成功する。
「あ、危なかった……」
後少し感傷に浸っていたら、非常に情けない姿を晒すところだった。
せっかく強敵を一人で倒せたのに、その感傷に浸って隙を晒すなんて三流もいいところだ。
不意打ちを奇跡的に回避できたということは、運は俺に味方したということだ。
もう流石にゴブリン相手に苦戦することはあるまい。
「……フッ、今度はこちらの番だ」
反撃の時間が来たと判断した俺は、ナイフを構えてゴブリンを見据える。
だが、
「……えっ?」
俺は剣を構えて今にも襲いかかって来そうなゴブリンを見て、思わずその場に立ち尽くす。
てっきり一匹だけだと思ったゴブリンだが、よく見ればその後ろに二……三……四……いや、もう数えるのは止めた方がいいだろう。
「グギャッ、グギャギャ!」
「グギャアアアァァ!」
「ギャギャギャ!」
複数のゴブリンが手にした獲物で俺を指差しながら、何やら大声で捲し立てている。
アニマルテイムの力をもってしても魔物との会話はできない俺であるが、この時だけは連中が何を言っているのか簡単に予想できた。
それは「あの人間を殺せ」と言っているに違いない。
ゴブリンとトロルとの関係はわからないが、間違いなく連中は俺のことを目の敵にしているようだ。
こうなるといくら隠密スキルを持っていようが関係ない。
俺にできるのは、
「ヤバッ……」
とりあえず背中を向けて、この場からそそくさと逃げ出すことだった。
俺が背中を向けて逃げ出すと、勝機と見たのか、ゴブリンたちが歓声を上げながら追いかけてくる。
獣人の戦士たちがかなりの数を削ってくれたのか、追いかけてくるゴブリンの数は全部で二十匹ほどだが、いくら相手が弱くてもあの数に囲まれたら嬲り殺しにされるだろう。
俺が逃げたのは数の差で勝ち目がないからというのもあるが、こうしてゴブリンたちに追いかけてもらうことが目的だった。
「まだだ……もう少し登った方がいい……」
都合よくここは傾斜のきつい登り坂で、俺より足の短く移動の遅いゴブリンたちが間違っても前に現れることはない。
というわけで、ゴブリンたちは必然的に全て俺の後ろにしかいないことになる。
「はぁ……はぁ……とりあえずここは……」
走りながら後ろをちらと振り返り、ゴブリンたちが行列を成しているのを見た俺は、腰のポーチからまきびしを取り出してなるべく広範囲にばら撒く。
扇状に広がったまきびしは、下が砂地なだけあって思い描いた通りに転がりはしなかったが、それでも狙い通り先頭のゴブリンのすぐ足元へと落ちる。
既に意識は俺しか見ていないのか、先頭のゴブリンはまきびしに気付いた様子もなく、素足で思いっきり鉄製の棘の塊を踏み抜く。
「――ッ、ギャアアアァァ!!」
まきびしを踏んだゴブリンは、盛大に悲鳴を上げながら大きくのけ反る。
しかし、坂道でそんなことをすればどうなるなど言うまでもなく……、
「……アギャ?」
バランスを崩したゴブリンは、重力に引かれて後ろへと……俺を追いかけて続く仲間たちの方へと落ちていく。
「ギャッ!?」
一心不乱に俺を追いかけていた二番目のゴブリンは、まさか先頭のゴブリンが立ち止まるどころか自分に向かって落ちてくるとは思わなかったようで、受け止めることもできずに一緒になって落ちていく。
こうなると後は、落ちるゴブリンたちを後からやって来る連中に止める術はない。
「アギャギャ!」
「ギャーッ! ギャギャーッ!」
「アギャッ、ギャアアアアアアアアアアアアアアァァ!!」
何かを叫びながら、ゴブリンたちは雪崩となって斜面を落ちていく。
残念ながらゴブリンたちが何を言っているのかはわからないが、きっと子供のように自分勝手な連中のことだから互いを汚く罵り合っているのだろう。
「はぁ……はぁ……どうだ。見たか…………はぁ……」
流石に全員というわけにはいかなかったが、それでもかなりの数のゴブリンを削ることには成功した。
後は体制を立て直すことができれば……そう思っていると、
「わんわん」
「コーイチ、よくやった」
ロキの鳴き声と一緒に、今最も聞きたかった声が聞こえてくる。
「随分と負担をかけちまったようだな」
「タ、ターロンさん……」
気絶から復活したのか、ターロンさんの笑顔を見て俺は安堵の溜息を吐く。
「よかった。無事だったんですね」
「コーイチとロキのお蔭でな。後は俺たちが引き継ぐからお前は下がって休んでくれ」
「えっ、で、でも……」
ターロンさんが復活したとはいえ、残る獣人の戦士たちの消耗も激しい。
こんな中、俺だけ下がって休むわけにはいかないと思うのだが……、
「安心しろ。下の連中も一旦下がって休んでもらうさ。次に戦うのはあいつ等だよ」
そう言ってターロンさんが坂の上を親指で刺すと、ダルムット船に残っていたと思われる獣人の戦士たちが現れる。
最初に飛び出したのが十人程度だったので、出撃した人数は決して多くないと思っていたのだが、丘を登って来る獣人の戦士たちは次々と増えていき、あっという間に数十人……いや、百人以上の規模になる。
「あ、あんなに人が……」
「当然だろ。旅団規模の魔物相手に、たったの数十人で戦えるかよ。ここから先は混戦になるから、コーイチはいざという時のためにロキと一緒に力を温存しておいてくれ」
確かに人数が増えれば増えるほど、余所者である俺は皆の邪魔になってしまうだろう。
「わかりました」
ならばここはお言葉に甘えて休ませてもらおう。そう決めた俺は、甘えるようにすり寄って来るロキに話しかける。
「ロキ、俺たちは下がって休むことになったから、船に戻ろう」
「わん」
ロキは「わかった」と鳴くと、その場に伏せの体制を取る。
どうやら俺の疲労を考慮して、背中に乗せてダルムット船まで運んでくれるようだ。
「ありがとう」
俺は重い足を引き摺るようにしてロキの背中に乗ると、灼熱の日差しを受けてかなり熱くなっている黒い毛皮を撫でながら話しかける。
「よし、それじゃあロキ、お願いできるかい?」
「わんわん」
ロキは「任されました」と鳴いて静かに立ち上がると、風を切りながら颯爽と俺をダルムット船まで運んでくれた。
その後、最初に全線で戦った獣人の戦士たちも無事にダルムット船に戻り、俺は心置きなく休ませてもらうことにした。
何かあった時はすぐに声をかけるようにお願いしていたが、残りの魔物は獣人の戦士たちの活躍もあり、幸いにも俺の出番はなかった。
だが、これでカナート王国に平和が戻ったかと言うとそんなことはなく、あくまで魔物の集団の第一陣を凌いだだけで、明日もまた魔物たちの集団が来るということだった。
今日で戦いが終わると思っていただけに、明日以降も戦いが続くと知った時に感じた疲労はかなりのものだった。
とにかく今日は一刻も早くカナート王国に戻り、明日に備えて休みたい。
そう思いながら、俺は帰りの揺れるダルムット船の中で襲いかかってきた睡魔に抗うことなく、そのまま深い眠りへと落ちていった。




