巫女
突如として現れた老婆に、周囲がにわかに騒がしくなる。
「あ、あなたは……」
誰? と思う俺であったが、そんな失礼なことを口にするのは憚れる状況であった。
フリージア様をはじめとするカナート王国の人たち、誰もが老婆の登場に目を見開き、驚いて固まっていた。
その様子からこの老婆は、本来はここにいるべきでない人……いや、いるはずのない人ということだ。
この老婆が誰だかわからないが俺のことを騎士様と敬称を入れて呼んだことから、少なくともいきなり敵対するようなことはなさそうだ。
「……クラーラ様」
「クラーラ様?」
すると、騒がしくなった周囲の状況を見て冷静になったのか、いつの間にか顔を上げていたターロンさんが老婆の名を口にするので、俺はすかさず彼に質問する。
「あのターロンさん、クラーラ様って?」
「そ、そうか、コーイチは初対面だったな」
ターロンさんはゆっくりと立ち上がると、老婆の方を手で示しながら紹介してくれる。
「コーイチ、この方こそ森に住むエルフとの橋渡し役をして下さっているクラーラ様だ」
「えっ? ということは、この方が当代の巫女様?」
「そういうことだ」
ターロンさんは深く頷くと、温和な笑みを浮かべているクラーラ様へと話しかける。
「クラーラ様、あなたは王子派の者によって城の塔へ軟禁されていたはずでは?」
「そのはずだったんだけどね」
クラーラと呼ばれた老婆は、凝りを解すように首を回しながら苦笑する。
「さっきレオン坊ちゃんが来て、どういうわけか自由にしていいと言って解放してくれたのさ」
「レオン王子が?」
「そうさ、約束がどうとか不貞腐れたように言っていたけど、何か知っているかい?」
「約束……」
その言葉を聞いて、俺は思わずターロンさんと顔を見合わせる。
俺がレオン王子との決闘でした約束は、カナート王国内で自由に行動する権利だけだったのだが、どういう風の吹き回しか、クラーラ様の解放までしてくれたようだ。
軟禁されていたクラーラ様を解放してくれたのは非常にありがたいのだが、それはそれで心配なこともある。
「レオン王子、あれだけ叔父のハバル大臣に怯えていたのに、勝手なことをして大丈夫なんですかね?」
「それについてはわからないが、今は王子に感謝すべきだろうな」
「そう……ですね」
非常に不服ではあるが、次にレオン王子に会ったら礼を言わなければいけない。
そんなことを思いながら、俺はクラーラ様の前へと進み出る。
「あ、あの、クラーラ様。俺は……」
「自由騎士のコーイチ殿、ですな? 獣人王と同じ能力を持つ」
「は、はい、そうです……けど」
「どうして自分の素性を知っているのか?」
「そうです。何処かでお会いしたことありましたっけ?」
「フフフ、こうして会うのは初めてだよ」
そう言って意味深な笑みを浮かべたクラーラ様は、右手人差し指をくるりと回す。
すると、何処からともかく黄色く光る小さな玉が現れ、クラーラ様の指先に留まる。
「……蛍?」
「ほう、騎士様は蛍を知ってるのかい?」
「はい、といっても直接見たことはありませんが……」
蛍はテレビぐらいしでしか見たことないが、生息地は街灯の届かないような静かで綺麗な水辺を好むと聞いたことがある。
生憎と俺が住んでいた場所は、真夜中になっても街の光が絶えないような場所だったので、蛍とはとんと無縁だった。
そのことを上手く伝えられたらいいのだが、テレビという単語を使わずに説明するのは困難を極める。
「ふむ、知ってるけど直接見たことはないとは、騎士様は変な言い回しをするね」
「あっ、そ、それはですね……」
言葉に窮する俺だったが、クラーラ様は特に追及することなく漂う光を指で突きながら説明する。
「まあ、いいさ。騎士様の事情はともかく、残念ながらこの子は蛍じゃなくて、精霊なんだよ」
「せ、精霊ですって!?」
「おおう!? 何だいいきなり、そんなに驚くことかい?」
「そ、そりゃもう」
明らかにクラーラ様が呆れているのが見て取れたが、俺の目はもう彼女の周りを回る光の玉改め、精霊しか見ていなかった。
エルフに魔法と来て、さらには精霊と来た。
これまでもイクスパニアが十分にファンタジー世界であると認識していたが、魔法と精霊は異世界に憧れる者にとっては特別だと思う。
本当はこんな興奮している場合ではないのは重々承知しているのだが、クラーラ様の登場で潮目が変わるはずだ。
そう思った俺は、クラーラ様に精霊について尋ねる。
「もしかして俺のことを知っていたのって……その精霊から情報を?」
「そういうことだよ。あの砂漠イルカたちと出会った辺りから、ここに来るまでずっと騎士様を観察させてもらっていたよ」
クラーラ様によると、魔法を使う者の近くには大体何かしらの精霊がいるということで、砂漠イルカの近くにいた精霊たちからの情報伝達で、俺のことを知ったという。
「そ、そんなに前から……」
衝撃の告白に、俺は思わず笑顔が引き攣るのを自覚する。
……俺、何か変なことしていないよな。
シドとイチャイチャしたこともあったが、幸いにも最近はそこまで見られて困るようなことはしていない………………はずだ。
「ククク……そう心配しなくていいよ」
記憶を辿ってあたふたとする俺に、クラーラ様は肩を揺らして笑う。
「精霊たちの情報はそこまで子細じゃないからね。騎士様が例え彼女と乳繰り合ったり、一人で何かしたりしても、あたしにはわからないからね」
「そ、そそ、そうですか……」
思わずどもってしまったが、要は最低限のプライバシーは守られているということだろう。
思わず安堵の溜息を吐く俺を見て、クラーラ様は呆れたように笑う。
「まあ、でも良かったよ」
「良かった?」
「ああ、騎士様があたしたち、獣人に本当に優しい人間であってさ」
「あっ……」
そう言って悲しそうな顔をするクラーラ様を見て、俺は当代の巫女となった彼女のある話を思い出す。
それは、クラーラ様がかつて幸運のお守りになるという理由で、一方的に虐げられた猫人族の生き残りであるということを……
これまで正面からしか見ていないので気付かなかったが、猫人族にあるべきはずの長くて美しい尻尾がクラーラ様にはないことに気付く。
カナート王国が国交を閉ざすきっかけとなった悲しい事件なだけに、俺は何ともいたたまれない気持ちになる。
「…………すみません」
「何で騎士様が謝るんだい。騎士様はあの連中とは何も関係ないだろう」
肩を落とす俺を励ますように、クラーラ様は近くにやって来てニコッとやや隙間の目立つ歯を見せて笑う。
「大丈夫、あたしは確かに酷い目に遭ったけど、人間全員がそんな悪意のある人ばかりとは思っていないよ。騎士様のように心優しくて、獣人を愛してくれる人もいるだろう?」
「クラーラ様……」
「騎士様が信用に値する人間であることはよくわかっているよ。だからそんな暗い顔するんじゃないよ。騎士様は騎士様……だろう?」
「はい……はい!」
俺は何度も頷きながら、どうにかしてクラーラ様に向かって笑ってみせる。
過去に筆舌に尽くしがたい絶望を味わい、本来なら人を見るだけでも嫌悪感を露わにしてもおかしくないのに、それでも人に向かって笑顔を見せ、励ましの言葉をかけてくれたクラーラ様の優しさに、人としての加害者意識に苛まれていた俺は救われた。
この期待に応えられるよう、この国でも精一杯やれることをやろうと思った。




