変幻自在の衣
正体不明の相手に流石に真正面から堂々と突っ込むわけにはいかないので、俺はレオン王子を挑発するように周囲を回りながら観察する。
黒い煙が漏れ出ている眼窩にはどう見ても瞳はないように見えるが、俺たちの移動に合わせてレオン王子はこちらへと仄暗い眼差しを向けてくる。
不気味な顔も気になると言えば気になるが、それよりも気にすべきことはレオン王子の体全体を覆うように漂っている黒い霧だろう。
「あの黒い霧も、触れたらマズいのかな?」
『ううん、あれはさっきの手から出てきたのとは違うみたい。どちらかと言うとあれも体の一部みたい』
「体の一部?」
『うん、今のボクとコーイチみたいな感じといえばわかる?』
「……なるほど」
そう言われてみれば、レオン王子を覆っている黒い霧は不定形なようで、大きく形が崩れる様子はない。
あれが何の生物なのかは想像もつかないが、生き物と言われればそう見えなくもなかった。
「よし、それじゃあ、ひとまずあの黒い霧に一発ぶちかましてみよう」
『賛成、思いっきりやってやろう』
ロキの嬉しそうな声に笑みをこぼしながら、俺はレオン王子へと距離を詰める。
「ウッ……ウガアアァァァ……ァァ…………」
俺たちが射程圏内に入ると見るや、レオン王子は緩慢な動きで右手を掲げ、再び黒い霧を発射する。
「だけど!」
『遅すぎるね!』
調停者の瞳で見える脅威から逃げるように横に跳んで回避すると、そのまま一気に肉薄する。
「いくぞ、ロキ!」
『任せて! アオオオオオオオオオォォォン!!』
ロキの雄叫びを耳にしながら、俺は右手を勢いよく振り下ろす。
自分の腕のようでそうでない奇妙な感覚にも慣れてきたので、右手の狙いは違わずレオン王子を包む黒い霧へと吸い込まれていく。
この一撃は、並の人なら容赦なく叩き潰し、爪による一撃は易々と致命傷を与えられる。
そう確信しながら振り下ろした右手であったが、黒い霧に触れた途端に低反発の巨大なマットに手を突っ込んだような奇妙な感覚に包まれる。
「んおっ!」
『な、なにこれ……』
奇妙な感覚に驚く俺の目に、レオン王子の深淵のような真っ黒な眼窩と目が合う。
「……チッ!」
レオン王子と目が合うと同時に全身が総毛立つような悪寒が走った俺は、腕を慌てて引き抜いて大きく後方へ跳ぶ。
俺が下がると同時に、レオン王子の口から黒い液体が勢いよく吐き出され、今しがたいた場所を濡らす。
すると、地面がジュウゥゥ、と焦げるような音と共に白い煙が上がり、何とも言えない不快な臭いが鼻につく。
「うっ、溶解液……」
『く、臭い! コーイチ、ボクあの臭い嫌い!』
俺と同化しても臭いを感じることができるのか、ロキはいやいやとかぶりを振りながら俺の首に顔をうずめてくる。
『何なのあれ……臭くて溶けるゲロなんて見たことないよ』
「俺もないよ。それより腕の方は大丈夫か?」
あの黒い霧に半分ほど埋まったロキの腕であったが、見たところ怪我した様子はないが、万が一もあるので確認しておきたい。
「今の攻撃じゃレオン王子まで届かなかった。だから次はもっと強く……両手で叩き潰すようにしたいんだけど……いけるか?」
『それは大丈夫だよ。多分だけど、今のボクはケガなんかしないと思うから』
「そ、そうなのか?」
『多分だけどね。だけど、ボクの手足が攻撃されたら、そのダメージはコーイチにいくはずだから気をつけて』
「わ、わかった」
そういう大事なことはもっと早く言ってほしいなんて思ったけど、考えてみれば最初からロキの身を案じて立ち回っていた。
それに、ダメージを受けるのが俺だけならば、無茶を通すこともできるというわけだ。
俺は一度大きく深呼吸をして気持ちを落ち着けると、半透明の両腕を目の前で合わせてレオン王子を睨む。
「よしっ、もう一度行くよ」
『臭いのは嫌だけど、いいよ。思いっきりやろう!』
「ああ、次こそは!」
俺たちは頷き合って、再びレオン王子へ向かって突撃していく。
あの黒い霧の正体はいまだに不明だが、とにかく攻撃を続けて削るか、はぎ取ることができればと思う。
俺たちが前へ出ると、レオン王子は懲りずに再び緩慢な動きで右手を上げる。
「また性懲りもなく同じ手かよ……」
他に手立てがないのかどうか知らないが、あの黒い霧による攻撃は回避は容易だ。
そう思いながら調停者の瞳に意識を集中させるが、手から赤い軌跡は伸びてくる気配はない。
それどころか、レオン王子は右手をさらに上へと掲げたかと思うと、そのまま天へと持っていく。
「…………ッ……アアアアアアアアアアアアアアアァァァァ!!」
レオン王子が喉から絞り出すような叫び声を上げると、突風が吹いてレオン王子の周囲を黒い霧が覆いつくす。
「うっ……」
吹き飛ばされそうな強風に、俺は堪らず地面に膝を付いて思わずソラの方へと目を向ける。
すると、こちらの意図を察したかのようにソラと目が合い、大きく手を振ってくれる。
よく見ればソラの周りに緑色の光の玉がいくつも見え、彼女を守るようにふよふよと漂っているのが見える。
どうやらソラと相性がいい風の精霊が、彼女のことを守ってくれているようだ。
「……あっちは問題なさそうだな」
『だね』
風の精霊たちにソラを託すようにエールを送ると、風が爆ぜるような音がして吹き荒れていた嵐が止まる。
言うまでもなく、レオン王子の身に何かしらの変化が起きたということだろう。
「さて……」
鬼が出るか蛇が出るか……
何が起きてもすぐに対応できるように、スキルの発動を確認して振り向くと、
「うおっ!?」
目の前に飛び込んできた光景を見て、思わず声を上げる。
何もない空間に忽然と巨木が現れた……と見紛うほどの長くて太い腕を持つレオン王子がいた。
「ま、まさか……」
その腕で攻撃するつもりか? と思っていると、レオン王子の暗い眼窩が怪しく光る。
「ガッ……ガアアアアアアアアアアアアアアアァァァァ!」
勝機を得たと思ったのか、レオン王子が雄叫びを上げながら巨大な腕を俺たち目掛けて振り下ろしてきた。




