赤から黒へ
レオン王子を救えるかもしれない。
そんな淡い期待を抱きながら再びロキの背に乗った俺たちは、少し弱まりつつある雨の中を尚も進む。
火事の影響も最初に飛び込んだ時と比べて大分マシになったが、それは雨のお蔭というよりは、もう殆ど炭化して燃えるものがなくなったからという表現の方が的確だった。
「……酷いな」
散々酷い目にもあったが、何百年という莫大な年月をかけて造られた緑豊かな森がなくなってしまった事実に、俺は大きな喪失感を抱いていた。
「この森が元に戻るまで、どれぐらいの時間がかかるんだろう」
「わかりません……ですが精霊たちは諦めていないようです」
俺には聞こえない声が聞こえるのか、ソラは俺の身体に回した手に力を籠めて静かに話す。
「どれだけ時間がかかっても、この世界がある限り、皆が生きている限り元に戻せます。森も……国も!」
「そう……そうだね」
しおらしいソラとは思えない力強い言葉に、俺は堪らず笑みを零す。
このタイミングで、肩の力が抜けたのは本当に僥倖だった。
何故なら森の出口が、もう俺の目でも確認できるほどに迫っていたからだ。
ただ、ここまで来ても混沌なる者の分体の姿が見えないのは、怖いを通り過ぎて不思議に思えてくる。
周囲が赤い世界に囲まれていて視界がいつもと違うのもあるが、まるで森の出口に見えない境界があるかのように、向こう側が黒い霧に包まれて見えないのだ。
だが、あの先に奴がいるのは間違いない。
ここから先は、一歩間違えれば即、死に繋がるこれまでとは比べ物にならない危険領域だ。
「すぅ……はぁ……」
心を落ち着けるため、俺は大きく深呼吸をすると仲間たちに話しかける。
「ソラ、ロキ、準備はいい?」
「はい、勿論です」
「わん!」
すぐさまソラたちからの頼もしい声を聞いた俺は、大きく頷いてロキの背を軽く撫でる。
「よしっ、行こう。俺たちの世界を救いに!」
「はいっ!」
「アオオオオオオオオオオオオオオオオォォォン!!」
俺たちの声に、ロキが気合の雄叫びを上げながら颯爽と風を切って駆け出した。
森の出口を隠すように覆われた黒い霧であったが、侵入者を阻む結界のような役目はないようで、俺たちは難なく森を抜けることができた。
「うぉっ!?」
黒い霧を抜けた途端、強烈な光が目を貫いてきて、俺は堪らず顔を手で覆う。
「……もしかして、混沌の領域を抜けたのか?」
「そのようですね。空が青いです」
「ソラ? ああ……」
この場合のソラは、俺の背後にいる彼女ではなく、天に広がる空のことか。
何度か瞬きしながら双眸を細めて上を見ると、空が見慣れた青空になっていた。
領域を抜けたとなると、混沌なる者の分体がいなくなったかというと、そんなわけはない。
強い風を感じて首を下に落とせば、俺の目に天を貫くほどに巨大な黒い竜巻が見えた。
「あれが……混沌なる者の分体」
前に見た時は竜巻の色が赤だったのに、どうして色が赤から黒になっているのか。
「あの時と……同じです」
「ソラ?」
「今見て思い出しました。ノルン城から逃げる時も最初は空が赤くなっていたのですが、やがて黒に呑み込まれて……」
「そうか……」
当時を思い出して怯えたようにギュッとしがみついてくるソラの手に、俺は安心させるように自分の手を重ねる。
「大丈夫、俺がいるよ」
「コーイチさん、はい!」
たった一言ではあったが、ソラの声に力が戻ったのを確認した俺は、警戒するように小走りしているロキに話しかける。
「ロキ、そろそろ行くけど、いいかい?」
「わん!」
快諾の返事と同時に駆け出したロキの背中に手を置いた俺は、意識を集中させ調停者の瞳を発動させる。
これで俺とロキの間でスキルの共有ができたはずだ。
今のところ黒い竜巻から、何かしらの攻撃が飛んで来ている気配はない。
相手の意識がこちらに向いていないのか、それともいるとわかっていて無視しているのか。
どちらにしても、このチャンスをみすみす逃すわけにはいかない。
「よし、ロキ。今のうちに距離を詰めよう」
「わん!」
ロキは「わかった!」と元気よく返事をすると、これまでの様子を伺うような移動から、一気に黒い竜巻に向かって突撃し出す。
「クッ……」
黒い竜巻と距離を詰め始めると、途端に風の強さが増して舞い上がる砂が身体を容赦なく叩き、視界を奪おうとするので、俺は必死に目を庇いながらソラに話しかける。
「ソラ、大丈夫?」
「は、はい……大丈夫……です」
どうにか返事をするが、声の調子からあまり良くないと察した俺は、腰に回されているソラの手を握って叫ぶ。
「辛かったらもっとくっついていいから。目を閉じて、背中に顔をくっつけて!」
「は、はい!」
やはり辛かったのか、ソラは俺の背中に顔を押し付け、俺の腹に回している手に力を籠めて体を密着させてくる。
これは、早めに決着をつけたいところだ。
ソラのためにも、何とかして黒い竜巻に接敵してレオン王子に声をかけたいところだ。
そう思っていると、
「わんわん!」
「えっ?」
ロキからの「跳ぶよ!」という危険を報せる声が聞こえたかと思うと、巨大狼が突如として大きく右に飛ぶ。
「――っ!?」
危うく振り下ろされそうになったが、足を踏ん張り、悪いと思いながらもロキの黒い毛をギュッと強く掴んでどうにか耐える。
「一体……」
何事かとロキに声をかけようとした途端、左側に閃光が走り、耳を劈くような轟音が響き渡った。




