後を託して
例え森に火が放たれたとしても、俺たちに退却するという選択肢はない。
幸いにも敵影はないとのことなので、俺は最後方に下がってソラと一緒に警戒しながらまだ火の手の見えない森の中を進む。
だが、森の異変はすぐに気付くことになる。
「臭いが……」
「はい、焦げ臭いですね」
俺より鼻が何倍も効くであろうソラが、森の先を見ながら苦しそうに表情を歪める。
「木だけじゃなく、色んな臭いが混じっています。おそらく、街はもう……」
「そう……か」
ソラが分かるということは、当然ながら同行している獣人たちの何人かは、既に自分の戻るべき場所が跡形もなく無くなっていることに気付いているだろう。
それでも誰一人、嘆くことなく真っ直ぐ前を見据えて歩き続ける。
この戦いに勝利した後、カナート王国の復興までに長い年月を要するとしても、獣人たちは決して折れることなく立ち上がろうのだろう。
それはカナート王国の歴史が証明しているし、彼等の不屈の精神を俺も見習いたいと思った。
まだ距離があるからか、臭いはするが火も煙も見えない中を俺たちは進み続ける。
赤い世界に包まれてからは魔物が現れる様子はない。
もしかして打ち止めか?
何て甘い考えが頭をよぎった時、前方の木の影から何かがゾロゾロと湧き出てくる。
「おい、虫の化け物が出たぞ!」
「あれは手強いぞ! 全員、今すぐ戦闘態勢に入れ!」
これまでの魔物とは違う敵の登場にも、あらかじめ情報を共有していた戦士たちは慌てることなく、現れた敵に突撃していく。
「あ、あれは……」
次々と臨戦態勢に移る仲間たちを見ながら、俺はここに来て最悪の敵が現れたことに歯噛みする。
「クソッ、ペンターの野郎……」
「えっ? ペンターって?」
「ああ、違うよ……っていっても完全に違うわけじゃないんだけどね」
思わず顔を上げるソラに、俺は現れた敵について解説する。
「あの化け物はペンターの置き土産なんだ。魔物に虫が寄生したやつで、俺たちは虫人って呼んでる」
「虫人……」
ギチギチと不気味な音を立てて空から舞い降りてくる虫人たちを見て、ソラは口元を手で押さえて顔を青くさせる。
小さく震えるソラを励ますように、俺は彼女の肩に手をかけて笑いかける。
「大丈夫、ソラは何があっても絶対に守るから」
「コーイチさん……はいっ」
ソラが力強く頷くのを見た俺は、腰のポーチをポンと叩いて笑いかける。
「見ててよ。皆と協力してサクッと蹴散らしてくるからさ」
『いえ、それには及びません』
飛び出そうとする俺の肩に、背後から手が伸びてきてしかと押さえつけられる。
背後を見やると、ライハ師匠とセシリオ王が真剣な表情で俺たちを見ていた。
『見たところあれは非常に危険な生物です。それに森に火が放たれた以上、時間もありません』
「ここは僕たちが引き受けますから、コーイチさんとソラさんは先に進んで下さい」
「ライハ師匠、セシリオ……でも」
虫人の強さを知っている者としては、少しでも犠牲者を減らすために協力したいと思う。
だが、そんな俺の考えを見透かしたようにライハ師匠が首を横に振る。
『我々のことは気にする必要はありません。いくら屍を築こうとも、全体の目標はコーイチたちを混沌へ届けることが最優先です』
「それは、そうですが……」
確かにライハ師匠の言うことは理解できる。
だが、そうなるとここに非戦闘員であるセシリオ王までいる必要があるのだろうか?
そう思った俺は、静かに佇むセシリオ王に話しかける。
「セシリオ、せめて君だけでも安全な場所に逃げるべきじゃないか?」
「いえ、そういうわけにはいきません」
俺の提案を、セシリオ王はきっぱりと拒否する。
「僕にはここでやることがありますから」
「それってここじゃないとダメなのか?」
「はい、ダメです。何、大丈夫ですよ。僕のことはライハ様が守って下さいますから」
『当然です。私の最優先目標は王の安全ですから』
ライハ師匠は大きく頷くと、俺に向かって手で追い払うような仕草をする。
『というわけです。コーイチたちがここにいると、私の仕事が増えて大変なのです。クラベリナとその部下たちを付けますから、早く抜けてしまいなさい』
「で、ですが……」
『黙りなさい。これ以上の御託は要りません』
「――っ!?」
ライハ師匠の有無を言わさない鋭い眼光で射貫かれた俺は、思わず言葉を飲み込む。
クラベリナさんと自警団の面々を連れて行ったら、ここが厳しい状況に置かれるのは百も承知のはずだ。
だが、火が迫るような時間に追われた状況では、立ちはだかる全ての敵を倒す余裕なんてない。
いざという時には誰かを囮にして、俺たちが先に行くというのは事前に取り決めてある。
つまり今、その時が来たということだ。
「わかりました」
俺は大きく頷くと、ライハ師匠たちに頭を下げる。
「この場はライハ師匠たちにお任せします。一刻も早く混沌なる者に接敵して、この戦いを終わらせてきます」
『ええ、頼みましたよ……では、道を拓きましょうか』
そう言ってライハ師匠は静かに息を吐くと、
『ハッ!』
短く息を吐いて抜刀して何もない空間を斬る。
一見すると虚空を斬っただけ。
そう思ったが次の瞬間、つむじ風のような風の渦が発生して先にいた虫人たちが派手に吹き飛ぶ。
『さあ、行きなさい!』
「はい、ソラ!」
「行きましょう」
俺とソラは互いが離れないようにしっかり手を繋ぐと、ライハ師匠が切り拓いてくれた道を真っ直ぐ駆け出した。




