孤独でボス戦
アラクネといえば、ギリシャ神話に登場する織物の名手で、その腕前を自慢したことでアテナの怒りを買い、蜘蛛に変えられたとされる女性だ。
流石に目の前のアラクネと名乗った魔物がギリシャ神話のアラクネと同じとは思わないが、言葉を喋る魔物ということはこいつは特別な魔物に違いない。
俺は深呼吸を一つして気持ちを落ち着けると、まだ体液で濡れているアラクネを凝視する。
……言っておくが、別にアラクネの人間部分が裸同然だからジロジロと見たいわけではない。
それに、見た目は美人でスタイルがよくても、全身が緑色で下半身が蜘蛛の女性にときめくことはないので、シドには安心してもらいたい。
なんてどうでもいい言い訳を考えていると、アラクネの顔にキラリと光る何かが見える。
「――っ!?」
それが何かを判断する前に直感的に逃げるように横に飛ぶと、俺がいた場所に何かが通り過ぎる。
何かは背後にあった木に直撃すると、太い幹に深々と突き刺さる。
それは糸のように細い杭のように見えた。
「……ホウ、アレヲヨケルカ」
感心するような声が聞こえ、アラクネの方へ目を向けると彼女(?)の長い髪がまるで意志を持っているかのようにユラユラと揺れ出したと思ったら俺の方を向く。
「まさか……」
さっきの杭の正体は? 何て思っていると、
「ナラ、ツギモヨケラレルカナ?」
アラクネの嘲笑うような声が聞こえて無数の赤い光が俺に向かって伸びて来る。
「いいっ!?」
太い幹を簡単に貫通するような杭なんてガードできるはずもないので、俺は慌てて赤い光の射線から逃げ出す。
動き出すと同時に、俺がいた場所に次々とアラクネから発射された髪が次々と突き刺さる。
「チッ、チョコマカト!」
回避されると思っていなかったのか、苛立ちを露わにしたアラクネが次々と攻撃を繰り出してくるが、調停者の瞳のお蔭で直撃を受けることはない。
幸か不幸かアラクネの攻撃はどれも俺が現在いる場所を狙って放たれるもので、FPSのプレイヤーとかがよくやる偏差撃ちをしてこないので、容易に回避できるのはありがたい。
ただ、問題は回避はできても、反撃に転じることは難しい。
髪の杭による遠距離攻撃をかいくぐったとしても、殆ど動きを見せていない蜘蛛の部分が何かをしてくるはずだ。
ちらと視線を走らせれば、自警団たちが対峙しているメガロスパイダーは足を忙しなく動かして素早く動き、口から糸を吐いて牽制を繰り返している。
アラクネがそれ等の行動をできないはずもないだろうから、変に動きを変えて予測できないことをされるのは避けたい。
それに、攻撃するにしても問題はある。
それは果たしてアラクネの本体は上半身の人間部分か、それとも下半身の蜘蛛の部分か、ということだ。
攻撃のチャンスが回って来たとしても、本体を見誤れば、返す刀で反撃を受けてしまうだろう。
何としてもソラと一緒に最期まで辿り着く必要がある身とすれば、ここで怪我を負うわけにはいかない。
まだ泰三たちの戦っていて援軍も期待できないので、体力に余裕がある内に何か手を打つべきだろう。
「だからここは……」
本体がどちらかわからないのであれば、とにかく片方を無効化してしまおう。
そう判断した俺は、回避を続けながら腰のポーチへと手を伸ばし、手探りで小瓶を取り出す。
中身はもうお馴染みとなっている、灰とトウガラシが入った目潰し用の瓶だ。
ひとまずこれで人間の方を黙らせて、あわよくば無効化できれば勝機が広がる……はずだ。
一人で強敵と戦った経験がないので不安はどうしても拭いきれないが、これまで培った能力を最大限に活かして過去の因縁を断ち切りたい。
「……ふぅ」
大きく息を吐き出して気合を入れ直したところで、俺は腰を落として髪の杭を避けて横移動をやめてアラクネへと突進する。
「ナニッ!?」
突然の軌道変更にアラクネが動揺するのが見てとれた俺は、まずは腰のナイフを引き抜いて奴に向かって投げる。
「シッ!」
短く息を吐き出して投げたナイフは、空気を切り裂いてアラクネの眉間目掛けて飛ぶ。
「ナメルナッ!」
僅かに動揺が見て取れたアラクネだったが、俺が投げたナイフを素手でいとも簡単に叩き落とす。
だが、それこそ俺の思う壺であった。
ナイフを叩き落としたすぐ後に飛んできた小瓶を見たアラクネは、
「ムダダッ!」
同じ要領で小瓶を手で振り払う。
瞬間、小瓶が割れて中身が周囲にブチ撒かれる。
「ナ、ナンダコレハ……ウッ!?」
瓶の中身を受けたアラクネが苦しみ出すのが見えたので、俺はここがチャンスと思って攻勢に打って出る。
やはりアラクネのような魔物でも、人間部分の弱点は同じようだ。
「ここで決める!」
次のチャンスがあるなんて思えない。
本当は背後からバックスタブを狙いところだったが、そんな余裕はなさそうなので、俺はもう一本のナイフを取り出してアラクネの首を狙うことにする。
首を切り落とすことができれば、下半身の蜘蛛部分も動きを止めるかもしれない。
そう判断して前へと出るが、
「…………カカッタナ」
アラクネの嘲笑うような声が聞こえたかと思うと、これまで動く気配のなかった蜘蛛部分が大きく足を振り上げる。
「しまっ!?」
そこで俺は自分がアラクネの仕掛けた罠にかかったのだと理解するがもう遅い。
視界は既に真っ赤に染まり、今から安全な場所まで退避できる余裕があるはずもない。
「ならば……」
薄暗い中でも鋭さだけはハッキリとわかる巨大な爪を前に、俺はどうにか致命傷だけは避けようと必死に目を走らせる。
すると、
「大きく後ろへ跳んでください。今すぐ!」
「――っ!?」
どこからか声が聞こえ、俺は反射的に大きく後ろへ跳ぶ。
同時に、俺とアラクネの間に何か巨大な影が割って入って来たかと思うと、蜘蛛の足が巨体ごとのしかかって来る。
「クッ!」
潰される。そう思って反射的に目を瞑る俺の耳に、アラクネの巨体がぶつかる音が聞こえて体をビクリと震わせる。
「…………」
だが、音はすれど衝撃は来ないので、一体何が起きたのかと俺はおそるおそる目を開ける。
すると、
「コーイチさん、大丈夫ですか?」
俺の目に、額に角のようなものを生やした褐色の大男がニヤリと笑っているのが飛び込んで来た。




