ここはもう戦場
「あれは……」
シドが指差す先の生物を見て、俺第一印象を口にする。
「猫?」
猫科の特徴を持った丸みを帯びた顔、すらりと伸びたしなやかな体躯は、夜の闇に溶けてしまいそうな真っ黒な毛皮に包まれているが、あれは猫……というよりヒョウかチーターに似た生き物に見えた。
「違うな。あいつはただの猫じゃないぞ」
俺の感想を聞いたシドが、かぶりを振って木の上の生物のある場所を指差す。
「見てみろ。奴の尻尾を……」
「尻尾って……あっ!?」
そう言われて俺は、あの猫がただの猫じゃないことに気付く。
「尻尾が二つに分かれている?」
「そうだ。しかも、先端が変に膨らんでいる……何か秘密があるのかもしれないぜ」
「本当だ……」
暗がりで殆ど影しか見えないが、ゆらゆらと揺れる尻尾が顔付近に来ると、まるで顔が三つになったかのように見える。
尻尾が二つに分かれ、変な形をしている猫はロキよりやや小さいぐらいのサイズだが、猫科の動物は狼よりも顎の力が強いので、万が一噛まれでもしたらそれだけで致命傷だろう。
ゆらゆらと二本の尻尾を揺らしてこちらを見ている黒猫を見て、既に身を隠しても無駄だと思った俺は、ゆっくりと立ち上がってシドに話しかける。
「それじゃあ、ちょっと話してみるよ」
「ああ……だが、気を付けろ。問答無用で襲いかかってくるかもしれないからな」
「わかった」
敵意がないことを示す必要があるが、それでも警戒するに越したことはないと、俺は調停者の瞳を発動させる。
これで少なくとも、ある程度の脅威には対応できるはずだ。
心を落ち着けるために一度深呼吸をした俺は、黒猫の前へと進み出て話しかける。
「こんにちは」
「…………」
………無視ですか。
軽く挨拶から入ってみたが、黒い猫は俺の目を真っ直ぐ見据えたまま尻尾をゆらゆらと揺らし続けている。
ただ、いきなり襲いかかって来ないところを見ると、俺の声が全く届いていないということはなさそうなので、引き続き声をかけ続ける。
「あの……ちょっと話を聞いてもらっていいかな?」
「…………」
相変わらず返事は返って来ないが、俺は構わず話を続ける。
「知ってるかもしれないけど、今この森に危険が迫っているんだ」
「…………」
「このままでは、全て混沌に飲み込まれてしまうんだ。だからお願いだ。今だけでも俺たちに協力してくれないだろうか?」
「…………」
「…………ダメ、かな?」
「…………」
念押ししてみたが、やはり黒猫は俺をジッと見たまま何も答えてくれない。
黒猫からは脅威を示す赤い色は発せられていないので、俺に対して敵意を持っているわけではなさそうだが、この何とも言えない違和感は何だろうか?
のれんに腕押し、ぬかに釘と言ったような感じには違いないが、それ以外にも何と言うか……、
「おい、お前、聞いてんのか!?」
俺が違和感の正体を探ろうとしていると、我慢の限界が来たらしいシドが黒猫に向かって叫ぶ。
「さっきからコーイチが話しかけているだろうが! こいつの言葉がわかるなら、挨拶の一言ぐらい返したらどうだ!」
「ちょっ、シド……」
いきなり前に出ようとするシドを止めようとした途端、シドに向かって赤い光が一直線に伸びて行くのが見える。
「――っ!?」
それが目に入った瞬間、俺は反射的に動き出していた。
「シド!」
体ごとぶつかるようにしてシドの体を抱えた俺は、大きく飛んでその場から退避する。
次の瞬間、シドがいた場所に何か影のようなものが通り過ぎると、その先にあった木に直撃する。
すると、ジュウウゥゥ、という何かが焦げる音が聞こえたかと思うと、バキバキと破砕音がして木が倒れていく。
「えっ、ええっ!?」
かなり立派な木があっさりと倒れるのを見て、俺は青い顔をして黒猫の方へと目を向ける。
もしかしたら連続で攻撃を仕掛けてくるかと思ったが、幸いにも黒猫は未だ木の上でゆらゆらと尻尾を揺らし続けている。
ただ、二本ある尻尾の内の一本から、何かの液体がポタポタと垂れているのが見える。
どうやらあの黒猫は、尻尾から強力な溶解液を発射することができるようだ。
「あの野郎……もう我慢ならない」
すると、押し倒す形になっているシドから怒気を孕んだ声が飛んでくる。
「おい、コーイチ。あんな獣風情を仲間にするのなんて諦めて諦めようぜ。それより、後ろから刺されないためにもここで始末すべきだ」
「ちょ、ちょっと待って」
いきなり物騒なことを言い出すシドをどうにか宥めながら、俺は黒猫に向かって叫ぶ。
「あのっ、急な話で驚かせてしまったかもだけど、俺は君と敵対するつもりはないんだ!」
シドの言う通り仲間にするのは無理だとしても、せめて後ろから刺されるようなことはされないようにしておきたい。
「今からここは戦場になる。一緒に戦えないのなら、せめて安全な場所まで逃げてくれ!」
そう言って、俺は不満そうな顔のシドの手を引いて立たせると、黒猫に背を向ける。
ここで背中から襲われるようなことがあればタダでは済まないが、俺が話をしている間、何もしてこなかった黒猫を信じて歩き続ける。
すると、
「ガルル……」
「えっ?」
黒猫から声をかけられ、俺は思わず足を止めて振り返る。
「今、何て?」
「ガウッ、ガウガウ!」
俺に一方的に話した黒猫は、立ち上がると音もなく何処かへ立ち去っていく。
「――っ!?」
黒猫が立ち去るのを見た俺は、先程謎の攻撃で倒れた木の方に向かって走る。
「おい、コーイチ!」
後からやって来たシドが、隣に並んで俺の肩を激しく揺さぶって来る。
「あたしはあいつの言葉がわからないんだよ。何が起きたのか説明しろ」
「あ、うん、ゴメン……」
俺は倒れた木の様子を確認しながら、シドに黒猫が語った言葉を話す。
「あの黒猫が言うには、ここはもう戦場だって」
「戦場?」
「うん、そしてなんか王に呼ばれたから行くって言って去っていった」
「王? 王って誰だよ? この森を統べる奴でもいるのか?」
「わからない……わからないけど、ここが戦場なのは確かなようだよ」
そう言って俺が倒壊した木の下を指差す。
そこには奇襲を仕掛けようとしたのか、それとも単に群れからはぐれただけなのか、三匹のゴブリンが潰れて死んでいた。




