06 とにかく休みましょう。~ターク様は限界です~
場所:タークの屋敷
語り:小鳥遊宮子
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「はぁ……なぜこんなことに……? いくら戦力不足とはいえ、ミヤコたちを連れて行こうなんて……」
床に両手をついたまま、ターク様がボソボソとボヤいている。
彼女の実際のサイズ以上に、ガルベルさんが存在感を発していたせいか、彼女が出て行った後の客室は、なんだかガランと広くなったように感じた。
「大丈夫ですか?」
なんとか気を取り直した私は、ターク様の前に回り込んだ。
ようやく顔を上げたターク様は、光っていてもはっきりとわかるくらいに顔色が悪くなっている。
「とにかく、ソファーに移動しましょう」
私に促され、のそのそと移動するターク様。
ソファーテーブルのうえに残されたままのティーカップには、ベットリと赤い口紅の跡がついていた。
ターク様はそれを横目で見ながら、ブルブルと身震いしている。
私は慌ててティーカップをワゴンに片付け、目につかない場所まで移動させた。
「すごい人でしたね……」
「すごいなんてもんじゃないぞ……」
ターク様はどうやら、カミルさんからガルベルさんが屋敷に向かったと聞いて、私を隠そうと慌てて帰ってきたらしい。
「まさかこんなに早くお前に目をつけられてしまうとはな……」
「私なんかが戦地に行って、本当に役に立つんでしょうか?」
「あぁ……。ガルベル様の言うように、お前やマリルがいれば少しは戦況が……」
ターク様はそう言いかけて、いやいや、という風に首を横に振った。
そんなターク様を見ながら、私はこんなことを考えていた。
――私も出来れば戦地なんかにはいきたくないけど……。
――だけど、ターク様は長引く戦いに苦しむ人々のために、いつだって心を傷めているわ……。
――もしかすると、これは、ターク様に恩返しする、絶好のチャンスなのでは……!?
「あの……ターク様! 私、頑張りますよ! 歌を歌うだけみたいですし……!」
つい、テンションの上がった私が、張り切りだしたのを見て、ターク様はものすごくゲンナリした顔をした。
「おいおい……やめてくれ」
「だけど、ターク様に恩返しできるなら私……」
「バカ言うな。そんな簡単な場所なものか。マリルやカミルですら心配なのに、お前なんか行かせられる訳がないだろ」
「そ、そうですよね……」
「だいたい、お前を戦地なんかにやってみろ、私はタツヤに呪い殺されてしまう。あー! くそ……タツヤが煩すぎる……。あー、頭がいたい」
「あわわ……達也、お願い、落ち着いて!」
ターク様はますます頭を抱えて、ぐでっとソファーテーブルに突っ伏してしまった。
すっかり強がる余裕もなくしているみたいだわ……と思っていたら、ターク様は急に、キリリと顔を上げて言い放った。
「く……お前たちを戦地に送り込むくらいなら、私がいますぐポルールに戻ってあいつらを一網打尽にしてやる」
――おぉ……? ターク様、やる気……?
と思った次の瞬間、ターク様の額から、変な汗がどんどん噴き出してきた。
目の焦点があわなくなって、明らかに目を回している。
口からブクブクと、小さな泡が立って、ガクッと崩れ落ちたターク様は、顔面を思い切りテーブルの角にぶつけた。
ガチャン! と大きな音がして、テーブルのうえに血が広がっていく。
「ターク様!? 大丈夫ですか!?」
大慌てでターク様の顔を持ち上げると、血はついているものの、ケガはすでに治っていた。
――外傷に強い!
ターク様をなんとかソファーに寝かせ、私は彼の手を握りしめた。
ポルールには行けないといっていたターク様だけど、まさか行くといっただけで気を失ってしまうなんて……。
すぐに目を覚ましたターク様は、驚いた顔で起き上がった。
「なんだ……? どうなった?」
「ターク様、無理はダメですよ」
「あぁ……だがな……ガルベル様は湿地の闇魔導師なんかより、よほど恐ろしい人なんだ。いますぐ私が行かないと、お前たちを連れて行かれてしまう……」
天井を見上げたまま、苦しそうに眉根を寄せるターク様……。
「どうして私は……こんなに情けないんだ……?」
「ターク様、これ以上考えるのはやめて、一度休みましょう。最近また、眠れてないんじゃないですか? 私のことより、ターク様のほうが心配です」
「休むって……いまはまだ夕方だぞ」
「ターク様は療養中なんですから、いつ休んだっていいんですよ。ほら、いつまでも鎧なんか着てないで早く脱ぎましょう!」
「あ……あぁ……え?」
私が鎧を脱がそうと留め具に手をかけると、ターク様は慌てて立ち上がった。
「わ、待て待て、自分で脱ぐから」
「それじゃぁ、お風呂の準備をして、着替えをお持ちしますね。あ、食欲はありますか?」
「いや……いまにも吐きそうだ」
「きちんと食べたほうがいいですよ。いつから食べてないんですか?」
「ウィーグミンの帰りにパンを……」
「はぁ!? 何日たってると思ってるんですか? いい加減にしてください!」
ターク様のあまりの不摂生に、私が思わず大声を上げると、ターク様は驚きに目を丸くして「えっ……」と小さく後退りした。
「お食事ご用意しますから、きっちり食べてくださいね?」
「あ、あぁ……」
私はそれから、テキパキとターク様の休む準備を整えた。
言われるままお風呂に入り、「こんなこわいメイドになるとはな……」と、文句を言いながら食事を摂るターク様。
「それじゃぁ、もう寝ましょうか!」
私はそう言って、ターク様をぐいぐい押しながらベッドへ連れて行った。
以前は私に押されたくらいではびくともしなかったターク様が、「しかし、いまは寝てる場合じゃないぞ」と、文句を言いながらも押されるままベッドのほうへ後退りしていく。
「いいからいいから!」
「わ、おい、押しすぎだ……」
「きゃっ、ごめんなさい」
私に押されたターク様がベッドにあおむけに倒れ、勢い余った私はターク様の上に乗ってしまっていた。
慌てて離れようとする私の腕を、ターク様ががっしりと掴む。
「ま……まって……行かないで」
――え?
いつもなら、「まて!」と命令口調のターク様が、まるで、おねだりする子犬のようにすっかり可愛くなってしまっている。
照れたように少し赤くなった顔。
うるうると潤んだ瞳。
――これ、本当にターク様?
妙に胸がドキドキして、彼から目が離せない。
トキメキ……というよりは、嫌な予感……といった感じだ。
「ど……どうしましたか?」
「どうって……私は……お前がいないと眠れないとはっきり言ったはずだぞ」
「ターク様、最後に眠れたのはいつなんですか?」
「ウィーグミンでピエトナと……」
「それもう、一週間以上前ですけど……」
「いや……青いドレスの……」
「それでも五日前ですよね」
「だから頼んでるんだろ」
ターク様は、私をひょいと持ち上げると、ぽいっとベッドの上に置いて、隣に横になった。
胸に抱えたピエトナ抱き枕越しに、しっかりと私の腕を掴んでいるターク様。
「私はもう、限界だ……」
酷く弱々しい掠れた声……。不死身の身体を持つ彼が、こんなになるまで、眠れないなんて……。
――なにかひとつでも、ターク様の悩みが解決しますように……。
子守唄を歌うわけにもいかないので、腕を伸ばしターク様の髪を撫でてみる。
柔らかくて、フワフワで、触れるたび光の粒が舞っている。
ターク様はピエトナ抱き枕の頭越しにじっと私を見つめたままだ。
「ターク様、目を閉じないと眠れませんよ」
「ミヤコ……私が寝たら出ていこうと思っているな……?」
「あ、はい。まだ掃除が途中で……」
「ダメだ。私の目が覚めるまでここにいるんだ。分かったか?」
――ご命令とあらば、私はいつまででも、あなたのそばにいますよ!
私が勢いよく頷くのを見て、少し口元を緩ませるターク様。
「それと……もう、ポルールに行こうとかバカなことは考えるなよ。ガルベル様は私がなんとかするから」
「分かりましたから! 余計なこと考えずにいまは休みましょう、ターク様」
「よし……」
ターク様は、ようやく安心したように目を閉じた。
――ターク様をなんとか元気にしてあげたい……。
見た目には、前となにも変わらなく見える彼だけど、明らかに前より気持ちが弱っているみたいだ。
なんだか今日の彼は、小さな子供みたいに見えた。




