02 プロポーズ。~ターク君、本気なの?~
場所:タークの屋敷
語り:ターク・メルローズ
*************
ミヤコをひとまず奴隷から解放した翌朝、私はとある決心をしていた。
一番豪華なフリルのついたブラウスを着て、繊細な金の刺繍が施された黒いシルクの上着を羽織る。
マリルは野暮ったい鎧を嫌う。多少目立っても出来るだけ身だしなみを整えて出るのが良いだろう。
鏡の前でいつもより少し時間をかけて髪をセットしていると、背後からミヤコの声がした。
「ターク様、オシャレしてどこに行くんですか?」
振り返ると、彼女はモップとバケツを持って、メイド姿でそこに立っていた。
いつものぶかっとしたワンピース姿とは違い、ウエストがキュッとしまった黒いフリルスカート姿が新鮮だ。頭にかぶった真っ白なブリムが少し眩しく見える。
「なかなか似合ってるじゃないか、ミヤコ。だが、ターク様じゃなくて、これからはご主人様だ。覚えておけ」
「はい、ご主人様」
ミヤコが素直に返事をすると、途端に鼓動が早くなり、私は耳まで赤くなった。
――なんだ? チャームは治ったはずだが……タツヤか!? なぜ今盛り上がるんだ!?
『好きな子にメイド姿でご主人様って言われたら、普通盛り上がるよね』
――いや、なんだその普通は!?
タツヤはミヤコのメイド姿がよほど気に入ったようだ。タツヤの浮かれた気持ちが私にまで伝染して来る。
私は慌ててミヤコに背中を向けたが、鏡に映った自分の赤い顔を見て、思わずうずくまった。
「ご主人様? どうかしましたか?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。やっぱり、ターク様でいい。ご主人様はなしだ……」
「え? そうですか? どっちでもいいですけど、その方が慣れてるので助かります」
「あぁ、そうだな」
「ところで……もしかしてマリルさんに会いに行くんですか?」
「あ、あぁ。そうだ。実はな……」
私はなんとか気持ちを落ち着けて、姿勢を正し、ミヤコに向き合った。
「今日、マリルにプロポーズしにいく」
「え!? 本当ですか!?」
「あぁ、ようやくお前を部屋から出せたからな。早めにマリルに報告して、機嫌を直してもらって来るつもりだ」
「え!? そうなんですね! おめでとうございます。きっとマリルさん喜んで泣いちゃいますね!」
ミヤコはキラキラと瞳を輝かせると、私の髪形や服装をチェックして、「ターク様、最高にかっこいいです。お花を買っていけば完璧ですよ!」と言って笑った。
△
私はミヤコに手を振られて屋敷を出た。馬を走らせ王都に着くと、花屋によって、一番豪華な花束を買う。マリルの髪の色を思わせる、真っ赤な薔薇の花束だ。
商店のガラスに映り込んだ自分の姿は完璧だ。私が小さく「よし」と呟くと、心の中でタツヤが話しかけてきた。
『ターク君、本気なの?』
タツヤは信じられないと言う口調で朝から何度も同じ事を聞いてきた。
――タツヤ、この間は邪魔しないって言ったじゃないか。今日は大事な日なんだ。黙っていてくれ。
『だって、彼女はみやちゃんを爆発させたんだよ? 本当に結婚するつもりなの? 君やみやちゃんが許しても、僕はまだ怒ってるんだけど?』
――結婚するのは私だ。お前は関係ないだろ。……お前、いつまで私の中にいるつもりなんだ?
『さぁね。分からないよ。だから結婚相手は慎重に選んでほしいって言ってるんだよ』
――私はマリルとの結婚を決めていると、何度も言ったはずだ。
『僕はてっきり、君もみやちゃんを好きになったのかと思ってたよ』
――馬鹿を言うな。多少お前の影響を受けている面はあるが、チャームもようやく解けたし、もう私は惑わされない。だいたい、一つの身体でお前とミヤコを取り合いするなんてごめんだな。
『そんなの、僕だってごめんだよ!』
――なら黙っていろ。邪魔するなよ。
△
なんとかタツヤを黙らせた私は、再び馬に乗りマリルの屋敷に到着した。
私の気合いの入ったファッションを見ると、セバスチャンはニコニコしながら私をティールームに通した。
「すぐにマリル様を呼んで参ります」
「あぁ、頼む」
マリルを待つ私の胸が緊張に震え始める。最後に会った時、マリルはミヤコの封印解除に失敗し、絶望した顔で膝をついていた。
マリルがどんな顔で現れるのか、考えただけで冷や汗が流れる。
――だがもう、マリルを安心させるにはこれしかない。
私は改めて気合いを入れ直し、姿勢を正すと、再度「よし」と呟いた。
しばらくすると、マリルがティールームに現れた。彼女は私に負けず劣らずの緊張した顔をしている。
「マリル、すぐに会いに来られなくてすまなかった。今日は君に聞いて欲しいことがあるんだ」
私がそう言うと、マリルは黙ったまま、こくんと頷き、そのままじっと下を向いた。
「ポルールから帰って以来、君に心配ばかりかけてしまった。師匠に帰れと言われ、大志を見失った私に出来る事は、傷ついた人達の治療だけだったんだ」
私は話しながら、少しずつマリルに歩み寄った。少しでも慌てて足を踏み込めば、マリルは逃げてしまいそうに見えた。
「だが、君を悲しませるつもりはなかった。ミヤコはもう私の部屋にはいないよ。もう何も心配は要らない」
マリルはようやく少し顔を上げ、私の顔を見つめた。淡いグレーの瞳が揺れている。
「マリル、君は私の自慢のフィアンセだ。もう、そんな辛そうな顔はさせたくない。本当は、ずっと戦いを終わらせてから言うつもりだったが……」
私はまた一歩マリルに近づくと、片膝をついて花束を差し出した。
「マリル、私と結婚してくれ」
「ターク様……」
やっと口を開いたマリルの瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「受け取ってくれるか?」
私は不安に歪む顔でマリルを見上げたが、彼女は私を見下ろしたまま動こうとしなかった。
「ターク様、どうしたらそんな事が言えるんです? わたくしがした事をお忘れになったんですか?」
「あれは、私のせいだ」
「そんなわけ、ないじゃありませんか! わたくしは……! あなたに誇れる自分になりたかった! それなのに、あんな風に嫉妬に狂って自分を見失って……!」
「マリル……」
「あの時わたくしは、ミヤコさんもターク様も苦しめばいいって、そう思ったんですのよ!」
マリルは大声でそう叫ぶと、その場に座り込んでオイオイと泣きはじめた。私は彼女を慰めようと手を差し伸べたが、彼女は勢いよくその手を振り払った。
その拍子に、私の手から花束が滑り落ち、ティールームの白い大理石の床に赤い花びらが散る。
「ターク様、婚約者失格なのはわたくしです。もう、結婚なんてとても無理です」
「マリル、待ってくれ。私は……!」
「婚約は破棄してください」
「マリル……!」
両手を床につき、下を向いたまま涙を流す。
私はずっと信じていたのだ。マリルならどんな時も、側で笑っていてくれるはずだと。
長年当たり前のように自分を愛してくれていた彼女に、拒絶される事がこんなに辛いとは……。
床に這いつくばったままの私を残して、マリルはティールームを出ていってしまった。
△
少しボリュームが減り、寂しくしおれてしまった花束を持ったまま、私は行くあてもなく王都を歩き回った。
『振られたね。思った以上に落ち込んでる。ターク君、本当に彼女を好きだったんだね』
タツヤが意外だとでも言うように私に話しかけた。
――当然だ。何度も言っただろ。マリルは可愛いフィアンセだって。
『信念みたいなものかと思ってたよ』
――うるさい、お前のせいで混乱が増してるんだ。静かにしていろ。まったく、なんなんだ……何故こんな事に……。
『仕方ないよ。女の子は特別が好きなんだ。誰にでも優しい男は嫌いだって、日本じゃ常識だよ』
――日本の……常識か……。
『僕も同じだったけどね。だけど今はみやちゃんさえ無事なら後の事はどうでもいいんだ』
――なるほど、それが特別か。
『君は大切な物が多すぎるよ。もう帰ろう、僕はみやちゃんが心配だ』
――あぁ……。だがもう少しだけ……。
私はふらふらしながら商店街を歩き回ると、ドレスやアクセサリー、高級菓子など大量の土産を買って帰った。




