11 シュベールの誘い。~託された遺跡の鍵~
場所:アーシラの森
語り:イーヴ・シュトラウブ
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ファシリアは風の精霊だった。彼女は全身に風を纏い、いつも爽やかな薄緑色に輝いている。顔つきは無邪気な少女のようだが、その瞳は凛として涼しげだ。
私は彼女が軽やかに飛び回るのを見るのが好きだった。
私が谷にやってきた事に気づくと、彼女はキラキラと爽やかな緑の風を吹かせ、にこやかに私を迎える。
彼女が何かに慌てて空中を飛び回る時は、巻き上がったつむじ風がヒュンヒュンと音を立てる。
本来ならこんなに長く一つの場所に留まる事なく、この広大な森を自由に駆け回っているのが彼女の姿なのだろう。
しかし彼女は、もう二年以上シュベールから離れる事なく、せっせとその世話をしてきた。
私はファシリアもシュベールも不憫で仕方なかった。速くシュベールを治し、ファシリアを自由にしてやりたかった。
そんなある日、私が谷の小屋に着くと、ファシリアが慌てた様子で飛び出してきた。
彼女が飛び回った事で、勢い付いた谷風がビュービューと川の水面を揺らし、吹き付けられた草木が、斜めになびいてざわめいていた。
『イーヴ! シュベールがいないわ!』
「なんだって!?」
最近ずいぶん言葉を話すようになり、意思疎通が出来るようになったシュベールだったが、いつの間に歩けるようになったのか。
ファシリアがほんの少し目を離した隙に、忽然と姿を消してしまったらしい。
「一度落ち着くんだファシリア。そんなに慌てていては君の風で小屋が倒れてしまうよ。私が探してくるから、君はここで待っているんだ」
『でも……!』
「大丈夫、シュベールはまだ近くにいるはずだ」
私が震えるファシリアの肩を抱くと、ファシリアの巻き起こした風が、刃になって私の肌に小さな切り傷をつける。ファシリアは慌てて風を収め必死に気持ちを落ち着けようとしていた。
『取り乱してごめんなさい、シュベールをお願い!』
「任せておけ」
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私は森の中をシュベールを探して歩いた。彼女が近づいた事で小さな草花が萎れ、力なく地面に横たわっている。
そんな闇の気配を辿った先に彼女は居た。
『イーヴ……あなた、イーヴね!? 覚えているわ。あなたが話してくれた可愛い坊やの話……』
シュベールは不気味に笑いながらそう言った。
「シュベール、何をしているんだ? ファシリアが心配している。早く小屋に戻ろう」
『うふふ、この先に凄くいいものがあるの。可愛い坊やを愛するあなたに必要なものよ。私についてきて』
「待つんだ、シュベール!」
私はシュベールを追いかけて、どんどん森の奥に入り込んで行った。しばらく行くと、生い茂った草木に覆い隠されながらも、少し拓けた場所に出た。
足元は石畳で舗装され、蔦に半分覆い隠された古い扉が見える。
「ここは……?」
『精霊の秘宝が眠る遺跡よ』
「なんだって!?」
『知ってるわ。あなた、ファシリアを陥れて、あの子の風を奪おうとしているんでしょ?』
「バカを言うな! 私がそんな事するはずがない! 私はファシリアを愛しているし、君の事だって……!」
『嘘をつかないで。あなたは羨ましいのよ。私の光を授かったタークを、妬んでいるの。だからファシリアに近づいたんだわ』
「そんなんじゃない!」
『いいえ、あなたはファシリアの風を求めている。許さないわ! あの子を傷つけるあなたを許さない!』
私はシュベールの言いように悲しみで胸が詰まりそうだった。
私がタークを妬み、ファシリアをシュベールと同じ闇に堕とそうとしているなんて……。
昔のシュベールなら絶対にそんな事は言わなかった。彼女の闇は想像以上に深いようだ。
シュベールは怒りに震え、身体中からもくもくと不快な闇のモヤを放った。
「シュベール、何を言っているんだ。君の心はまだ闇に囚われている。帰って治療の続きをしよう」
私はそう言いながら、シュベールの吐き出す闇に捕まらないよう口を押さえ後ずさった。
『逃げないで。あなたに必要なものをあげると言ったでしょ? 精霊の秘宝……それを手にすればファシリアの風なんて要らなくなるわ』
「私は精霊の力など求めていない。私はただ君たちを愛しているだけだ。さぁ帰ろう!」
私がそう言ってシュベールに手を差し伸べると、彼女は『さぁ、どうかしら?』と不敵に笑った。
『私があの可愛い坊やにあげた光……あなた達は癒しの加護って呼んでるみたいだけど、本当にそうだと思うの?』
「どう言う事だ?」
『あれはね、闇に侵された私が、坊やに贈った呪いよ。坊やはいずれ、あの力に苦しむ事になる。人間に精霊の力は強すぎるもの』
「呪いだと……!? そんなばかな! タークはどうなるんだ!?」
『あの子はもう、休めない。どんなに心が疲れたと叫んでもあの光が休む事を許さない。死にたいと泣き叫んでも死ぬ事だって出来ない。闇に逃げることすら出来ないわ』
そんな事を言いながらも、恍惚な表情を浮かべ、不気味に笑うシュベール。
「そんな……」と立ち尽くす私の前で、彼女は私を誘うようにくるくると回った。
『それだけじゃないわ。坊やは愛する人と共に老いることも出来ないのよ。あぁ、ターク……。可哀想なターク悲しまないで……苦しまないで。ねぇそうでしょ? あなたもタークを守りたいでしょ?』
「シュベール、嘘をつくな。君はタークを愛している。あの優しくて美しい光が呪いだなんて、そんな事あるわけがない!」
私の出した大声に怯む様子もなく、彼女は闇に染まりボサボサになった髪を妖しい仕草でかき上げる。
『よく見ていればわかるわ。誰にも分からないあの子の苦しみに気付けるのは、この事実を知るあなただけ。ねぇ、イーヴ。精霊の秘宝をあなたにあげる。だからその力でタークを救って……』
黒ずんだ唇から闇を吐き出しながら、彼女は「こっちへおいで」と言うように、私に手を差し伸べた。
「精霊の秘宝……それがあればタークを救えるのか……?」
『えぇ! そうよ。あなたがあの力を手に入れれば、タークを殺してあげられるわ!』
醜い笑顔を浮かべて楽しそうにそう叫んだ彼女は、まだ完全に闇の中にいるようだった。
「バカな事を言うな!」
薄暗い森に、私の叫び声が響き渡る。可愛い弟子を殺すことなど、私に出来るわけがない。
『うふふ、そのうちあなたにもわかるわ。あの光が呪いだって事も、タークを助けるには殺してあげるしかないってこともね。これを持っていて。遺跡のカギよ。必要になったら使ってね』
シュベールは、醜く痩せ細りひび割れた手で私に遺跡のカギを差し出した。
「私は、こんなものに興味はない!」
そう叫んだものの、私はそのカギから目が離せなかった。
――全てを叶える無限の魔力が手に入ると言われている精霊の秘宝……それがあれば……私は……。




