10 イーヴの愛。~あなたの土下座は見飽きたわ~
場所:アーシラの森
語り:イーヴ・シュトラウブ
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その日の森は、まるで悲しみに沈んでいるかのように昼間から薄暗かった。
立ち並ぶ大木が光を遮り、深い霧に阻まれ、少し先もよく見えない。
足元に横たわる木の根に足を取られながらも、ひそかにつけた目印を頼りに奥へ奥へと進んで行く。
すると、びっしりと茂った草木の奥に、人ひとりがようやく通れる隙間がある。
苔むした地面を這って進むと、毒々しい赤い花が咲き乱れるその谷に、ひっそりとたたずむ小さな小屋があった。
「シュベールの調子はどうだ」
谷に流れる川の水で、真っ黒に汚れた布を懸命に洗っていたファシリアは、私を見て深いため息をついた。
『もう来ないでって言ったはずよ』
「そういう訳にはいかない。私にも手伝わせて欲しい」
全身草にまみれた私が、そう言って洗濯の籠から汚れた布を取り出そうと手を伸ばすと、ファシリアは慌てて籠に覆いかぶさった。
『触っちゃダメよ、人間には毒気が強すぎる』
ファシリアは布から立ち上がる黒い蒸気のようなモヤに咽ながらも、キッと私を睨むと、黙ったまま籠をもって立ち去ろうとした。
「ファシリア、お願いだ。シュベールに会わせてくれ」
その悲痛な声にファシリアが振り返ったのを見て、私は地面に頭をこすりつけ、「頼む!」っと何度も頭を下げた。
『イーヴ、あの子はひどい状態よ。ずっとあの坊やの名前を呼んでいるわ。貴方の事を覚えているかもわからない』
「それでもいい、頼む。私にも面倒を見させてくれ」
若い頃、森で偶然出会ったシュベールに心を奪われた私、イーヴ・シュトラウブは、冒険や戦いの武勇伝を手土産に何度も森に足を運んだ。
シュベールは私を見つけると、いつも自分から姿を見せてくれた。
タークを弟子に取ってからは、自分の弟子が如何に強くて可愛いか、得意になってシュベールに言って聞かせた。
「タークは私の自慢だ」と話す私の顔を、シュベールはいつも、キラキラした笑顔で見つめていた。
――まさかあのシュベールが、タークに光を授け、精霊の闇に堕ちてしまうなんて……。
あの金色に輝く髪、バラ色の頬、宝石を散りばめたような美しい羽、優しい癒しの光……それが失われた今も、私はシュベールの事が忘れられず、何度もこうしてファシリアに頭を下げに来ていたのだった。
タークが癒しの加護をシュベールに託されてから、そろそろ二カ月が経とうとしている。
その間、来るな触るなの一点張りだったファシリアだが、その日ついに、私の想いの強さに根負けした。
『イーヴ、あなたの土下座はもう見飽きたわ。分かったから、それじゃぁ痛み止めに使う薬草を取ってきてちょうだい』
「ああ! 任せろ! 任せてくれ!」
私は喜んでファシリアの手伝いをした。
闇の毒気が強いからとファシリアは一向にシュベールに会わせてくれなかったが、私はそれでも出来る限り森に通った。
私の可愛い弟子を精霊狩りから救う為、闇に堕ちた彼女を見捨てるわけにはいかない。私は、彼女を愛しているのだから。
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半年ほど経つと、『ようやく少し、闇が落ち着いてきたわ』と、ファシリアは私をシュベールに会わせた。
「シュベール、私が分かるか?」
しかしシュベールは、どす黒い闇に包まれうなされては、『ターク……可愛い坊や……』と、弟子の名前を呼ぶばかりだった。
「シュベール……。なぜタークなんだ……? 一度でいい、私の名前を呼んでくれ! シュベール!」
『イーヴ、もう離れて! 気を失うわよ!』
「あぁ……シュベール……」
『大丈夫、あなたのおかげで、シュベールはだんだん元気になってきてるわ。もうすぐきっとあなたの事も思い出す。あきらめないで頑張りましょう!』
ファシリアは落ち込む私を懸命に慰めてくれた。彼女は一見そっけないように見えるが、本当に心の温かい精霊だ。
「ファシリア……シュベールの面倒を見てくれてありがとう」
『当然よ、この子は私のためにこうなったんだから』
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それから二年も経ったころ、シュベールはようやく話ができる状態にまで回復した。
その頃には私は、シュベールと同じくらい、ファシリアを愛するようになっていた。
そして、ファシリアもまた、私を愛してくれた。




