09 ラストリカバリー。~宿屋を満たした光~
場所:とある村の宿
語り:ターク・メルローズ
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ウィーグミンからの帰り、ミヤコとライルを連れ、宿に立ち寄った私は、しばらく悩んだものの、また二人部屋を取った。
本当はライルを別室にしてやろうと思ったのだが、あいつはどうせ忍び込んでくる。ならば三人部屋を、と思ったがそんな部屋はなく、やむなく来た時と同じになってしまった。
――ライルはまたミヤコと眠るつもりか? 全く、猫だけに自由なやつだ……。
しかし、いつも気づけばそこに居るライルは、間違いなく大魔道士ガルベル様の指図を受けているはずだった。
――何のつもりだ?
追い出すべきか、好きにさせておくべきか、判断のつかない私は、結局ライルを放置していた。
『それにしても、ライル君、みやちゃんにくっつき過ぎじゃない? ああ見えて彼、男の子だよね?』
――さぁな。どちらかと言えば猫じゃないか?
ベッドの上で、ライルとじゃれ合っているミヤコを眺めていると、タツヤが文句を言ってきた。
――不満なら直接言ってやれ。
『いじわる!』
正直、チャームがかかっている時は、ミヤコにずっと抱きしめられているライルに私もかなりイラっとしていた。
しかし、チャームが解けた今となっては、ライルはやはり、ただの猫だ。
改めてチャームが切れた事にホッとしていると、ミヤコが突然、思い出したように質問してきた。
「あの、ターク様が闇魔導士に受けた精神攻撃ってどんなものなんですか? ウィーグミン伯爵みたいに幻覚が見えたりするんですか?」
「ん……? そういう訳ではないが……。何というか……見えていたはずの願いや想いが消えてしまったようだ」
話すつもりのない話を、ミヤコにはいつもポロっと話してしまう。まったり寛ぐミヤコを見ていると、気が抜けてしまうせいだろうか。
「願いが、消えた……?」
不思議そうな顔で、首をかしげるミヤコに、私はさらに話を続けた。
「あぁ。戦地に立つと、自分がなぜ戦っているのか分からなくなって、動けなくなってしまうのだ……」
「なるほど……。それは困った幻術ですね。だけど、消えた願いってどんな願いだったんですか? 思い出せないんですか?」
「いや……忘れたわけではない。私は早く戦いを終わらせ、ゴイム達を魔力タンクの役目から解放しようと考えていたんだ」
私がそう言うと、ミヤコは何故か目を輝かせ、身を乗り出してきた。
「ゴイムの開放が、ターク様の願い!? それって、好きだったミアさんの為ですか?」
――ミヤコが話に食いつく箇所は、カミルともマリルとも違うな。
私はそんな事を思いながらも、素直に話を続けた。
「そうだ。だがミアだけじゃない。私はずっと、他の者も皆、この手で救えると信じて疑わなかった。……だが……私は最初から、逃げていただけなのかもしれないな」
――一体私は、彼女に何の話をしようとしているのだろう。こんな話をするつもりは全くないのだが……?
そう思いながらも、彼女の前ではいつも、情けない言葉を吐き出す自分を止める事が出来ない。
まるで、絡まっていた想いがするすると言葉に変わり、漏れ出していくようだった。
そんな私の話を、一言一句聞き漏らすまいとするように、ミヤコは懸命に耳をすませていた。
「私は…目の前の少女も救えない自分を誤魔化すため、私が戦いを終わらせるのだと虚勢を張っていた……。しかし、私がどんなに休まず戦っても、戦況は変わらないままだった。そして、今の私は、その戦いからも逃げている……。不死身の大剣士が、聞いて呆れるな……」
悔しさと情けなさを誤魔化そうと硬く握った拳の中で、爪に負けた皮膚が破れては修復されている。
私はミヤコの視線に耐えかね目を伏せた。
これではずっと、強がって隠してきたものが台無しだ。
いくらミヤコを見るとつい気が抜けてしまうとは言え、こうも止まらなくなってしまうとは……。
「……」
――なんだ?返事がないな。流石の宮子も呆れて声が出ないか……。
長い沈黙に耐えかね、伏せていた顔を上げる。
恐る恐るミヤコを見ると、彼女は瞳に涙を溜めプルプルと震えていた。
「ミヤコ……?」
突然、私の前に立ち上がった彼女は、私の両肩を掴んで叫んだ。
「ターク様は、大切な願いを失ったりしてません!」
「な、なんだ? いきなり。そんな大きな声で……」
ミヤコの勢いに面食らった私は、硬いベッドに手をつき、仰け反りながら彼女を見上げた。
「ターク様は、私を治療し、ゴイムの契約からも救ってくださったじゃないですか! 街の皆さんのことだって、分け隔てなく救っていらっしゃるじゃないですか! ターク様の願いは消えてなんていませんよ!」
「……し、しかしな……私は今、ポルールに行く事すら出来ないんだ。考えただけで目が回って……」
「たまには逃げたって良いじゃないですか! ターク様はずっと頑張りすぎですから!」
「しかし……不死身の大剣士なのに治療ばかりして回ってるんだぞ……?」
「みんな凄く助かってますから!」
「だ、だが……私は戦えない大剣士で……」
「絶対そんな事ありません! ターク様の剣技、すごくかっこ良かったですよ! 私、戦うターク様、大好きですから!」
「お……わ……?」
ミヤコがそう叫んだ瞬間、田舎の狭く汚い宿屋に、清らかな青い光が広がった。
それはまるで、花の咲き乱れる春の森の、澄み渡った湖のように、キラキラと輝いて部屋中を満たした。
私は一瞬で全てが満たされるように身体中に何かが……いや、魔力が満ちた。
私の魔力が、全回復していた。
――こ、この輝きは、ラストリカバリーか? 体力、魔力全回復の範囲魔法? まさか、そんな最終奥義みたいな術を……今……?
呆気にとられ、口を開けるばかりだ。
ミヤコも「はぁはぁ」と肩で息をし、その場にへたりと座り込んだ。
静寂に包まれた空間に、ライルのあくびが「にゃー」と響く。
――全く、ずっと気配を消していたと思ったら、こんな時に猫の真似か?
私は少しだけ冷静さを取り戻し、「こほん」と咳払いをした。
「すまない、また弱音を吐いてしまったな……。忘れてくれ」
「いえ、私こそ、興奮して、何か発動したみたいです。ターク様、大丈夫ですか?」
「あぁ。おそらく宿中の皆の元気が出たはずだ」
ミヤコはよく分からない、と言う顔で「え?」と言って首を傾げている。自分が伝説級の最上級魔法を発動したという実感が全くないらしい。
「本当に、いつまでもこうしている訳にはいかないな。ポルールが陥落すれば、国中が危険な状態になる。いい加減私が、あいつらを倒さなくては……」
少し気を取り直してそう言うと、またクラクラと目が回りはじめた。身体が前後に揺れるような気分の悪さにじっと耐えていると、ミヤコはにっこり笑い、私の手を取った。
「ターク様ならきっと出来ます。でも今はもう少し、きっちり療養した方が良いと思いますよ。私、ターク様が安心してゆっくり出来るよう、何でもお手伝いしますから」
――ミヤコ……。何も関係のないお前を、私が巻き込んだかもしれないと言うのに……。
――ここまで聞いても私を責めず、蔑みもせず、尻を叩こうともしないのか……?
――私は、ミヤコと休みたい。休んでいたい。
「ありがとう」
私はミヤコの手を握り返した。
彼女の手は柔らかく温かで、私の光り輝く癒しの手よりも、ずっと癒しに満ちていた。
――だが、休んではいられない。
――私は国を守り、彼女を守り、彼女を元いた世界へ無事に返す。必ずだ。
しかし、この新たな決意が、すぐに覆ってしまう事を、この時の私は、まだ知らなかった。




