05 ミレーヌの主人(2)~彼女はもう、ミレーヌではない~
場所:ウィーグミン伯爵邸
語り:小鳥遊宮子
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「あぁ、あぁ、あるとも……ありますとも……。それは私がやったのですから」
伯爵が黙り込んでしまい、重々しい空気が部屋を覆う。
「ミレーヌが言うことを聞かなかったのですか?」
伯爵は首を横に振ると、顔をこわばらせながらも、その日あったことを話し始めた。
「あの日私は、街を出てスクアナの森へ狩猟に出かけました。そこで私は恐ろしい闇魔導師に会ったのです」
彼の話はこうだった。
ウィーグミンの北にあるスクアナの森で闇魔導師に襲われ、必死に逃げのびたウィーグミン伯爵は、自分が幻術にかけられた事に気が付かないまま屋敷に帰ってきた。
その夜、大切な一人娘のピエトナが、病気になってしまう幻覚に苦しんだ伯爵は、一刻も早く娘を治療しなくてはと言う、ひどい焦燥感に襲われたと言う。
「そして私は、気がつくとミレーヌを傷だらけにしていました」
「なるほど……それは確かに闇魔導師が使う幻術のようですね」
青ざめた顔で震えているウィーグミン伯爵。彼が正気に戻るまでには、実に三日を要したと言う。
その間、傷を負ったミレーヌは、屋敷の中で倒れていた筈だったけれど、気がつくと姿が見えなくなっていた、と伯爵は言った。
「あぁ、すまなかった、ミレーヌ。あの傷は、もう癒えたんだね。ターク卿に治してもらったのか……?」
それ以来、ずっとミレーヌが心配で探していたと言う伯爵。
彼は、謝りながら、震える手を私に伸ばしたけれど、私は思わず、「ひっ」と声をあげて飛びのいてしまった。
ウィーグミン伯爵がミレーヌを傷付けたのは、彼の意思ではないと理解できたけれど、あの記憶の恐怖は、簡単に消せるものではない。
ターク様は、伸ばされた伯爵の腕を掴み、「すみません」と言って伯爵の動きを制止した。
「伯爵、彼女はもうミレーヌではないんです。記憶をなくして以来、ミヤコと名乗っています」
「ミヤコ……?」
伯爵はターク様につかまれた手を引っ込めると、自分の顎をつまんで小首をかしげた。
「実は今日、私はお願いに上がったのです。彼女にすまないとお思いなら、彼女の刻印を消し、私に引き取らせてはいただけないでしょうか?」
ターク様は立ち上がると、そう言って深々と頭を下げた。
これを言うために、私達は、はるばるメルローズからやって来たのだ。
私も慌てて立ち上がると、一緒に頭を下げ、ここにきて初めて言葉を発した。
「おねがいします!」
「ミレーヌを貴殿のゴイムにしたいと?」
驚いた声でそう尋ねた伯爵に、ターク様は「いいえ」と答えた。
ゴイムにするつもりも、奴隷として使うつもりもないと言うターク様に、伯爵は首を傾げた。
「では、これほどの素質のある彼女を解放すると?」
「はい。彼女はまだ記憶も戻らず、見ての通りひどく怯えています。私が引き続き、面倒を見たいと考えています」
今一度深々と頭を下げるターク様。彼の真剣な様子に、伯爵は感動した様子で三角の目をウルウルと潤ませた。
「大剣士ターク・メルローズ、貴殿は噂に違わず慈悲深い……」
「では、契約を破棄していただけるのですか?」
「ええ、良いですよ。突然居なくなってから、ずっと謝罪したいと思っていましたが、今日はそれが叶いましたからな」
「ほ、本当ですか!?」
思いの外あっさりと、ミレーヌをターク様に託すというウィーグミン伯爵。私が顔をほころばせてターク様を見ると、彼もキラキラした笑顔を私に向け、うんうんと頷いた。
「「ありがとうございます! ウィーグミン伯爵!」」
声を張り上げた私達を、伯爵は「ごほん、ごほん」と、大きな咳払いで制止した。
「ただし、ただしですよ、ターク卿」
条件があると言う伯爵に、「はい」と身構えるターク様。
伯爵の話では、ミレーヌはニ年前、奴隷商人が驚く程の高額で売りに出していたのを、伯爵が買い取ったのだと言う。
「彼女の能力は、ミア・グジェに匹敵する程だ!」と、奴隷商人に売り込まれたウィーグミン伯爵は、大喜びで彼女を買って帰った。
けれど、ミレーヌの魔力回復スピードはそれほど高くもなく、首を傾げる結果となってしまったと言う。
それでも、高い買い物をした伯爵は、きっといつか彼女の素質が開花するだろうと、ニ年間期待を込めて大切に使ってきたらしい。
――もしかして、ターク様に物凄い金額を請求するつもりなんじゃ……。
青ざめる私をよそに、ウィーグミン伯爵はターク様に深々と頭を下げて言った。
「大切なミレーヌを手放すその代わりに、ひとつお願いを聞いていただきたい。貴殿に娘の治療をお願いしたいのです」




