04 ミレーヌの主人(1)~蛇のような目の男~
場所:ウィーグミン伯爵邸
語り:小鳥遊宮子
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沢山の魚屋が建ち並ぶ市場に通りかかると、ライルは「僕はお魚を食べてくるよ」と言い残し、どこかへ消えてしまった。
私とターク様はそのまま、ミレーヌの所有者がいる屋敷を目指して、今はその人が居る客室の前まで来ている。
私たちは二人して入口に立ち止まったまま、中の様子を静かに窺っていた。
部屋の中にはひょろりとした細身の身体で、いかにも貴族と言う感じの派手やかな服装を着こんだ男が、ソファに深く腰をかけ、足を組んでいるのが見えた。
足がすくんで一歩も動けない私。
あの感情の見えない蛇のような目、彼は間違いなくミレーヌのご主人様だ。
「ミヤコ、行けそうか?」
「こ、怖いです……」
「大丈夫だ。私がついている。刻印を消してもらいに行こう」
「はい!」
私達が近づくと、男は立ち上がり、仮面のような笑顔をこちらに向けた。
「やぁやぁ、いらっしゃい」
「お招きいただきありがとうございます、ウィーグミン伯爵」
「いえいえ、ご足労でした、ターク卿。ふむふむ、これはこれは……」
ウィーグミン伯爵は、ターク様の姿をまじまじと見ながら、その周りをぐるりと一周すると、興奮した様子で、釣り上がった目を輝かせた。
「ほうほうほう、実に素晴らしい! 噂に聞いた通りですな! 金色に輝く不死身の身体を持ち、大剣を操り神業のような剣技を繰り出す、まさに国の希望! 今をときめく大剣士ターク・メルローズ! お会い出来て嬉しいですよ!」
「ありがとうございます」
ターク様はにっこり微笑んで片手を差し出し、ウィーグミン伯爵と握手を交わした。
「素晴らしい……なんて神秘的な感覚だ! これが癒しの加護!」
伯爵はターク様に握られた手をうっとりとした表情で見つめた。
ターク様は私の肩にそっと手を置くと、私を伯爵の前に押し出した。
「さっそくですが、ウィーグミン伯爵、彼女がこちらで使われていたミレーヌで間違い無いでしょうか?」
「ふむふむふむ!」
ウィーグミン伯爵は、今度は私の周りをぐるっと一回りしながら、顎に手を当てふんふんと眺めまわした。
――怖い……。
私はその視線にビクビクしてぎゅっと目を閉じ肩をすくめた。
「そうだ、そうだ、ミレーヌ、久しぶりだな。とにかくまぁ、ターク卿、どうぞお座りください。ミレーヌもここに座りなさい」
伯爵が手を叩いて給餌を呼び、紅茶とお菓子が並べられて、甘い香りがあたりに漂った。
伯爵は紅茶を手に取ると「ほうほう」と言いながら紅茶の香りを堪能する。
私は小さくなって震えていた。伯爵の鋭い目つきが怖くて仕方なかったのだ。だけど、伯爵は思いの外優しい声で、私に話しかけてきた。
「……ミレーヌよ、心配したぞ。外に出ていてよく無事だったものだ。ピエトナもきっと君に会えば喜ぶだろう」
――ピエトナ……?
聞き覚えのない名前にきょとんとして思わずターク様の顔を見る私。
「ウィーグミン伯爵、彼女は過去の記憶がほとんどないのです。出会った時は、自分の名前すら忘れていました」
ターク様が説明すると、伯爵がおどろいた様子で眉を持ち上げた。鋭かった伯爵の目が垂れた三角のようになる。
「なんと……! 私やピエトナの事を覚えていないと?」
「伯爵様の事は最近断片的に思い出したようです」
「ほうほう……ミレーヌよ、それは大変だったな。ミレーヌを助けてくださった事、感謝しますぞ。ターク卿」
伯爵は、紅茶を置くと改まった様子でターク様に礼を言った。
「いえいえ。彼女はたまたま、私の屋敷の前に倒れていたのです。しかし、こんなに遠方から彼女が一人でメルローズ領まで来たとは考えにくい。ウィーグミン伯爵、心当たりはごさいませんか?」
「うーむ。私も不思議に思っておりました。なにせミレーヌは急に居なくなってしまったのです」
「そうですか……ではこれはどうですか?」
ターク様は私に、腕の刻印を伯爵に見せるよう促した。
「ほうほうほう。これはこれは……」
「彼女の刻印には、所有者を隠すための封印がなされています。それでなかなか伯爵を見つけられず、今まで預かっていたと言うわけなのです。なぜこんな封印がかけられたのか、ご存知ないですか?」
「ふーむ、ふむ。私も手紙をもらった時から不思議に思っていたのです。所有者ならしっかり刻印に刻まれているはずなのに、と。封印に記憶喪失……これはいったい、どういう訳か」
ウィーグミン伯爵は、全く心当たりがない様子だ。自分の顎を指先でつまんだり放したりしながら、ターク様の話を不思議そうに聞いている。
「では、初めて会った時、彼女には鞭で打たれたような無数の傷がありました。それには心当たりありませんか?」
ターク様がそう言うと、伯爵はどきりとした様子で口に手を当てたまま固まってしまった。
「ウィーグミン伯爵……?」
ターク様が伯爵の顔をじっと見つめると、伯爵は視線を落とし、震える声で言った。
「あぁ、あぁ、あるとも……ありますとも……。それは私がやったのですから」
手に持っていた紅茶をテーブルの上のソーサーに戻そうとするウィーグミン伯爵。
伯爵の手が細かく震えて、カップはカタカタと音を立てていた。




