01 主人からの手紙。~まだ解けないのか?~
場所:タークの屋敷
語り:ターク・メルローズ
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森での一件から二日、私、ターク・メルローズは、出来るだけミヤコと距離を置いて過ごしていた。
朝はミヤコが起きるより早くからデスクに向かい、ミヤコが起きてくると、すぐに出かけ、そのまま遅くまで帰らなかった。
ミヤコは私が帰った事に気づくと、書庫から出て、「お疲れ様です」と私に声を掛けた。
ビクッと肩を上げた私に、怪訝な顔をして首を傾げるミヤコ。
「あ、あぁ。起きていたのか。先に寝ていいと言ったはずだが」
あの日以来、私はミヤコの姿を見ると、まだかなり危うい状態にあった。
ミヤコの姿はまるで空から舞い降りた天女のように魅惑的に私の瞳に映り、その声は私を耳から溶かそうとしているかのように甘く響いた。
――ダメだな。ミヤコにかけられたチャームはまだ解けないのか?
私のステータスには、未だにはっきりと「状態異常:チャーム」の文字が表示されていた。
混乱状態が解けているのはまだ救いだが、こんなものを人に見られてはたまらない。
私はあれ以来ステータスを常にロックして過ごしていた。
本人の素質によって発動する術は、その素質の強さによって、強度や効果時間が変わるが、チャームの効果なんてものは、通常なら長くても数時間で解けるものだ。
それがもう、丸二日解けていない。
ミヤコはどうやら、かなりの素質を持っているようだった。
私は毎日楽しみにしていた眠くなる歌も断って、とにかくミヤコを避けて過ごした。
万が一、ミヤコにあの歌で睡眠の魔法でもかけられたなら、数日目が覚めなくなる可能性もある。
「お顔を見てから寝たいんです」
ミヤコはまるで、捨てられた子犬のように寂しそうな顔でそう言った。部屋から出られない彼女にしてみれば、数少ない接触相手である私に避けられるのは少し辛いかもしれない。
しかし、またあんな事になったらと思うと、私にはこれ以外方法がなかった。
「好きにしろ」
私はそれだけ言うと、いそいそとベッドルームに入った。
興奮状態が続いているせいか、全く眠れず、食欲もないが、その割りには頭が冴え渡り、ふらつきも感じない。むしろいつもより機敏に動けるくらいだが、タツヤの機嫌がとにかく悪い。
タツヤは私がミヤコに触るとうるさく怒るが、この間の一件以来、私がぼんやりミヤコを見ているだけで、頭を引き裂くような耳鳴りを起こすのだ。
タツヤは完全にミヤコに夢中だ。
いつも「僕のみやちゃん」と、ミヤコを自分の物かのように話している。
――だが、ミヤコの方はどうなんだ? 幼馴染だと言っていたが、彼女が泣くほどタツヤに会いたがっていたのは私もよく知るところだ。
――もしかすると、二人はやっぱり恋人で、間に入っている私は邪魔者なのか?
――ミヤコが眠る前に顔を見たいと願っているのはきっとタツヤの方だ……。
気がつくと、そんな事を考えてしまっている私が居る。
――う……なんて効果時間が長い術なんだ……。これではまるで、私が嫉妬しているみたいじゃないか。
私は一人、重苦しいため息をついた。
△
翌日の夜、書斎に戻ると、デスクの上に、沢山の手紙が届いていた。
ミヤコがミレーヌというゴイムの名前を思い出したため、私は先日、ゴイムを所有する貴族達に改めて手紙を出していたのだ。
「違うな、これでもない……。ん!? これは……!」
数枚目の手紙を開封した所で、私は立ち上がり、大声でミヤコを呼んだ。
「ミヤコ! ちょっとこい!」
慌てて書庫から出てきたミヤコは、風呂上がりのようで、ターバンのように頭にくるくるとタオルを巻きつけていた。
「は、はい?」
「わ、なんだその頭は」
「あ、すみません、まだ髪が濡れてるもので……」
ミヤコがあわてて頭のタオルを取ると、濡れた長い黒髪が肩におり、寝巻きの胸元に水の輪がじわりと広がった。
途端に胸がドキドキと音を立て始め、目が離せずにいると、『何見てるんだよ』と声がして、タツヤが頭痛を起こしてきた。
「く……おい、風邪ひくぞ」
「あ、すみません、しっかり拭いてきます」
ミヤコがバスルームに向かうと、私はデスクに両肘をつき、頭を抱えた。ガンガンと頭を内側から殴られているような痛みと騒音が私を襲っている。
――タツヤ、勘弁してくれ、これは私のせいじゃないんだ。分かってるだろ?
顔がますます赤くなり、鼓動が激しい。はぁ、とようやく呼吸を整えた所にミヤコが戻ってきた。
「お待たせしました。何か御用でしたか?」
「あぁ……」
私は平静を装って、真顔を作り、ミヤコに向き合った。
――うぅ……危険だ。ミヤコが眩しすぎる。うっかり見ているとまた吸い込まれそうだ。
少しでも気持ちを落ち着けようと、ゴホゴホと咳払いをしてみる。
「ゴホン……。ミヤコ、お前の所有者が分かったぞ」
「え!?」
貴族から届いた沢山の手紙の中には、ミレーヌの主から届いたと思われる手紙が混ざっていた。
差出人は、東の海に面した漁港の盛んな街を領土に持つ、ウィーグミン伯爵だった。
「ウィーグミン領か……。ここからかなり離れた場所だな……もっと近くに住む貴族かと思ったが……」
「ターク様、ミレーヌの所有者は何て言ってるんですか?」
ミヤコはそう言うと、不安そうな顔で私の横にちょこんと立った。
――ぐ……ちょっと近いな……。ん……? なんだかいい香りがするぞ……。
微かに森で降ってきた魅了の花の魅惑的な香りがして、また顔が熱くなった私はミヤコに吸い寄せられるように立ち上がった。しかし、頭に酷い耳鳴りが響き、慌てて椅子に座り直す。
「いてっ……」
『ターク君、落ち着いて!』
――うるさい、分かってる。お前も落ち着け。
タツヤの一撃で現実に引き戻され、青ざめた顔を上げた私を見て、ミヤコが戸惑った顔をした。
「ターク様大丈夫ですか? 達也に何かされました?」
「いや、なんでもない。大丈夫だ……」
タツヤが継続的に起こしている頭痛のおかげで何とか正気を保っているが、ミヤコがキラキラして仕方がない。誘惑を断ち切るため、私はまた、大きく咳払いした。
「ゴホン。手紙によるとな、ちょうど、私がお前を拾った頃に、ミレーヌと言う名のゴイムが忽然と姿を消したらしい。屋敷に招待するから、ミレーヌを連れてきてほしいと書かれている」
「屋敷に……」
アーシラの森で見た、ミレーヌの記憶を思い出しているのか、ミヤコは少し、青ざめた顔をしている。
「そんなに心配するな、言っただろ? お前を持ち主には返さない。私が必ず契約を破棄させると」
「ターク様……ありがとうございます!」
黒目がちな丸い瞳に涙を溜め、潤ませながら私を見つめるミヤコ。その小動物のような顔や仕草も、天使のような声も、全てがズキュンズキュンと胸に突き刺さる。
――本当にまいった! もう限界だ!
私は慌てて立ち上がると、ミヤコにくるっと背中を向けた。
「……不用意に私を見つめるな。安心したならさっさと寝るんだ、明日の朝出発するぞ」
私はそう言うと、ドキドキと高鳴る胸を押さえ、そそくさとベッドルームに逃げ込んだ。




