10 油断していた。~甘い香りのする花~[挿絵あり]
場所:タークの屋敷(書庫)
語り:小鳥遊宮子
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夜の森でターク様に襲われた私、小鳥遊宮子は、翌朝になっても一歩も書庫から出ず、閉じこもっていた。
まだ頭が痺れたようにボーッとしている。
――これはマルベットのせいじゃないわ……ターク様のせいよ……。
昨日、ターク様から受けた、あの執拗なキスはいったいなんだったのだろう。ちょっと言えないような恥ずかしい事までされてしまい、思い出しただけで悶え死にしそうだ。
それなのに、ターク様ときたら、それきり酷い仏頂面になって、何も言わなくなってしまったのだ。
――ターク様、いくらなんでも酷くないですか?
私がベッドの上で一人もんもんとしていると、ターク様が扉の前で、何度も咳払いしているのが聞こえてきた。
――今更謝っても、簡単には許さないんですからね。
私が身構えていると、ガチャリと扉が開き、ターク様が入ってきた。
だけど、昨日の仏頂面が全然治っていない。口をへの字に曲げたまま黙って私を見下ろしている。
「ターク様、昨日からいったい、何なんですか?」
私が先に口を開くと、ターク様はどかっと私の隣に座り、私の腕を掴んできた。
「きゃっ。やめてくださいっ」
慌てる私をみて、ターク様は「はぁ……」と、ため息をつく。
――ため息をつきたいのはこっちなんですけど……? ターク様はいったい、どうしてしまったの?
私は彼を警戒し、じりじりと後ずさった。
そんな私を不満そうに見ながら、ターク様は私の腕の黒い刻印を指差した。
「見てみろミヤコ。封印が一つ解除されてるぞ」
「へ!?」
慌てて自分の腕を見ると、確かにあの蠢いていた封印の文字が、綺麗に一列無くなっている。
「昨日は焦っていて気付かなかったが、マリルが一つ、解除に成功していたようだ」
「えっ! すごい!」
マリルさんがプレゼントをくれると言っていたのはこの事だったのかと、思わず歓喜の声を上げた私に、ターク様は苦々しい顔をした。
「お前、昨日の事どこまで覚えてるんだ?」
私が迎えに来たエロイーズさんについて行った話をすると、ターク様はまたも大きなため息をついた。
「おい……もう二度と勝手に出かけないって言ったの、忘れたのか?」
――私が怒っていたはずなのに、どうして私が怒られてるの?
不満げな顔をした私に、ターク様は昨日の経緯を話してくれた。
「私が駆けつけた時には、かなり危ない状態だった。それで、治療を急ぐため森へ連れていったんだ」
「そ、そうだったんですね。ごめんなさい」
眠っていて全く何も覚えていなかったけれど、思った以上に心配をかけてしまっていたようだ。随分服が焦げていると思ったけれど、私はどうやら、ドカン! と、なってしまったらしい。
しゅんと肩を落とした私を見て、ターク様は改まった顔をした。
「ミヤコ……。マリルは少し、思い詰めるタイプなんだ。一生懸命の裏返しと言うかな……」
「は、はい。わかります……」
「最近は私の態度が原因で、かなり気が滅入っていたようだ。それで、お前にこんな事を……。でも本当は気のいいやつだ。すまないが、憎まないでやってくれないか?」
懸命にマリルさんをかばうターク様。彼の言葉の一つ一つに、マリルさんへの想いが溢れているようだ。
――この愛をマリルさんに伝えてあげたい……。
少しやるせない気持ちになりながらも、私はにっこりとほほ笑んだ。
「憎んだりしませんよ! 確かに少し、怖い思いはしましたけど、マリルさんはターク様の大切な方ですから」
「そうか。……お前、心が広いな」
少し驚いた顔をしたターク様は、仕切り直すように小さな咳払いをした。
「……ミヤコ、それで、昨日の森での事だが……」
「はっはい!」
びくっと肩を震わせた私に、少し不満そうな顔をしながらも、昨日起った事を説明してくれるターク様。
彼が言うには、マリルさんによって解除されたのは、所有者の身元を隠す封印ではなく、補助魔法の封印だったらしい。
「お前は昨日、私に解放された魔法をかけたのだ」
「えぇっ!? 私、魔法を使ったんですか!?」
「実際は魔法と言うより、特殊な術だな」
私が昨日使ったという術は、魔法のような効果はあるけれど、自身の魔力を消費しない、特殊なものらしい。
覚えれば誰でも使えると言うものではなく、素質があるものが条件を満たせば使える、と言った類のものだと言う。
私は無意識にそれを発動し、完全に油断して、治療のために魔法を跳ね返す鎧も脱いでしまっていたターク様は、それをまともに受けてしまったのだそうだ。
「それで私、ターク様に何をしたんですか?」
私がそう尋ねると、彼は、「……言いたくない」と言って、くるっと背中を向けてしまった。よく見ると耳まで真っ赤になっている。
私はくるっと前に回り込んで、ターク様の顔を覗き込んだ。
「ターク様、教えてください!」
「わ、まて、ミヤコ、不用意に私を見つめるな!」
ターク様は慌てて仰け反って、後ずさりでベッドの上に登ると、真っ赤な顔をふいっと横に向けて、ボソリと言った。
「あれは、間違いない。チャームコンフューズ……だ……」
「チャームコンフューズ?」
「あぁ。甘い香りがする花びらを出現させ、敵を混乱させ、魅了する特殊な術だ」
「わ、私がターク様に魅了の術を……!?」
――それじゃ、私がターク様を誘惑したって事? 嘘でしょ! あーん!
確かに昨日、ターク様に押し倒された時、空から不思議な香りがする花びらが降ってきていた。
あれを出現させたのがまさか自分だったなんて、思いもよらなかったけれど……。
ショックと恥ずかしさのあまり、小さくなって枕で顔を隠す私。本当に、なんてものを発動してしまったんだろう。
「ごめんなさい。私にそんな力があるなんて知らなくて……」
「いや、私も油断し過ぎていた……。その……悪かったな。あんな……その……なんだ……」
赤い顔で口ごもるターク様。
治療の時はかなり距離感がおかしい彼だけれど、毎日一緒に寝ていた時でも、あんな風に触ったりはしなかった。
ターク様はマリルさんの事をこんなに大切に思っている訳だし、これは本当に私のかけた術のせいで、不覚にも襲ってしまっただけのようだ。
そう思うと、なんだか、本当に申し訳ない気分だった。
「ターク様、大丈夫です! 私もう、気にしないので、ターク様も、忘れて下さい!」
私がそう言うと、ターク様はホッとしたように笑顔を見せた。
「悪いな。だがその術、勝手に発動したのでは危険だ。どうやって発動させたのか、分かるか?」
「さっぱり分かりません」
「以前にも同じような幻術にかかったことがあるが、あの時は耳元で一言囁かれただけで……あ、いや……何でもない」
何か言いかけたターク様は、慌てたように口を閉じた。何か言いたくないことを思い出したようだ。
――と言うか、魅了に掛かったの初めてじゃないんですね……。いったい、誰に囁かれたんですか!? 囁かれてどうなったんですか!? ターク様……!?
あぁ気になる!……と、ターク様の顔を見ていると、彼は私から顔を逸らしながら、さらにジリジリと後ずさった。
「と、とにかく、あの時お前は私を見つめながら、何か呪文を唱えたんじゃないか?」
「呪文ですか……? 歌なら歌いましたけど……」
「なるほど、あの歌か……確かにあれは妖しい歌だったな。それが呪文の代わりになり、幻術が発動したのかもしれないな」
ターク様によれば、術はある程度近くに居て、発動者が見つめたり思ったりしている相手がターゲットになるらしい。
歌によっては何か他の術が発動する可能性もあるらしく、「歌にはとにかく気を付けろ」とターク様は念を押した。
気軽に歌えないのは少し悲しいけれど、何が起こるか分からないのでは仕方がない。
「分かりました。色々とご迷惑をお掛けしてすみませんでした」
「いや。いいんだ……ははは……」
引きつった顔で苦笑いを浮かべたターク様。
この時の私は、この後ターク様からひたすら避けられることになるなんて、全く想像もしていなかった。
宮子にマリルを許して欲しいとお願いするターク様。そんな彼を見て、宮子は二人の幸せを願います。そして、ターク様が自分を襲った原因が自分の発動したチャームだったと知り、ショックを受ける宮子。ついに宮子は魔法が使えるようになったようです。
次回からはいよいよ第八章になります。この章では宮子の所有者から手紙が届き、二人は所有者の元を目指します。冒険みたいと喜ぶ宮子ですが、ターク様は新たな悩みを抱えてしまったようです。
次回、ターク様は必死に宮子を避けています。驚きのその原因とは……。




