08 私はどうかしている。~少し焦がしてしまいました~
場所:マリルの屋敷
語り:ターク・メルローズ
*************
セバスチャンに付き添われ、屋敷の入り口に戻った私だったが、ふと気になって立ち止まった。
いつもマリルの傍に控えている、あの女戦士が見当たらなかったのだ。
「そういえば、あの、マリルの護衛はどうしたんだ? 見かけなかったが……」
「エロイーズさんですか? そう言われてみれば、今日はお昼ごろから見かけてませんね」
セバスチャンもおかしいな、と不思議そうな顔をしている。
もしかすると、あのマリルにぞっこんの女戦士が勝手にミヤコをどこかにやったのかもしれない。
「今日屋敷の中で、何か変わったことはなかったか?」
「そういえば、昼間、ハーブ園が荒らされていました。私の大切に育てていたマルベットの花が無残に引きちぎられて……」
「マルベットって、睡眠薬の……?」
まさか……それをミヤコに飲ませたのだろうか。ますます嫌な予感がして、胸が押し潰されそうに痛む。
――タツヤ、頼むから落ち着いてくれ。
私は苦痛に胸を押さえながら、セバスチャンに案内を頼んだ。
そんな私の唯ならぬ様子に、何か察したセバスチャンは、真剣な顔つきで頷くと、ランプを手にし、先を歩いて私を案内した。
マルベットの花が咲いていたというグラスハウスに着くと、確かに、花がむしられ、地面に数枚の花弁が落ちている。
「どうやらここで、ハーブティーにして飲んだみたいですね。ティーポットが片づけられていますが、使用した痕跡があります。こんなに沢山飲んだら、眠るどころか、気を失って二度と目が覚めないですよ……」
捨てられた茶殻の量を見て、セバスチャンは首をかしげる。私はさらに青ざめながら、休憩スペースの周辺をウロウロと歩き回った。マントが小枝に引っかかり、ビリビリと音を立てる。
――落ち着け、タツヤ、あわてるな。
『君こそ落ち着いてよ』
背伸びしたり這いつくばったりしながらミヤコの痕跡を探していると、道の端に光るものを見つけた。
『僕があげた髪飾りだ……』
――私が買った髪飾りだ……。
『選んだのは僕だ』
――うるさい、買ったのは私だぞ。
心の中で言い合いながら、私は髪飾りを拾った。やはりミヤコはここに来ている。
顔を上げた先にはグラスハウスの奥の出口が見えた。庭はそこから、まだ奥へと繋がっているようだ。
「奥には何があるんだ?」
「マリル様の魔術訓練場です」
「案内してくれ」
「かしこまりました……」
私達は顔を見合わせてうなずくと、訓練場に向かって歩き出した。
△
セバスチャンが訓練場の扉を開くと、中にいたエロイーズが「ひっ」と声をあげた。
驚いたはずみで盾と鎧がぶつかり、ガチャ! っと、大きな音がレンガ造りの建物に響き渡る。
「エロイーズさん、こんなところで何をされてるんです?」
セバスチャンが声を掛けると、エロイーズはうわずった声を出した。
「わ、わ、私は何も……してませんっ」
怯えた顔で、何歩か後ずさりをした彼女は、突然くるっと方向を変え、後方の扉に向かって走り出した。
私は素早くそれに追いついて、腕を掴み床にねじ伏せた。
「まて。ミヤコはどこだ」
「は、離してくださいっ」
エロイーズはしばらくもがいていたが、腕力で敵わない事に気付くと、ようやく大人しくなった。
「私はただ、マリル様に元気を出してもらいたかっただけなんです……」
そう言って、彼女が指差す方向を見ると、大きな柱に、縄がかかっているのが見えた。
柱を回り込んでみると、そこには気を失ったミヤコがくくりつけられていた。
服はあちこち焼け焦げ、そこから見える肌が赤く焼けただれている。私は慌てて縄を解き、治癒魔法を試みた。しかし、魔力が少な過ぎる。
「く……ミヤコ、ミヤコ!」
彼女をマントに包み、必死に声をかけたが、深く眠っているのか反応がない。
途方もなく強い怒りと悲しみが胸に溢れ返り、私の中をかき乱している。この強い感情は私のものか、それともタツヤのものだろうか。
「マルベットを飲ませたのか?」
震える声を絞り出して、ぼんやり立ち尽くしているエロイーズに問いかけると、彼女は、「何を言われているか分からない」という感じの、とぼけた顔をして見せた。
「まさか、お前じゃないのか……?」
私の心に、今度は絶望に似た悲しみが湧き上がる。結論を導き出すのが怖くて頭が回らない。
――これをしたのがエロイーズじゃないとすると……。そんな……まさか……。
その時、「あら、もう見つかってしまったんですのね」と、背後から声がして、マリルが訓練所に入ってきた。
呆然としている私を見ても顔色一つ変えず、その声は恐ろしいくらい落ち着いていた。
「マリル、君がこんなことを……?」
「えぇ。わたくしは、ミヤコさんがさっさとご主人の元へ帰れるように、封印を解除して差し上げようと思っただけですわ。苦しむといけないから、ちょっと眠っていただきましたの。封印解除には失敗が付き物ですもの、少し焦がしてしまいましたけれど」
「マリル……私はやめてほしいと頼んだはずだ。平気な顔でこんな事をして……君はどうかしてるよ」
私の言葉に、落ち着いていたマリルの怒りが、一気に頂点に達するのが分かった。彼女はその可愛らしい顔をこれでもかと歪めて、大声を張り上げた。
「どうかしてるのはターク様の方ですわ!」
怒りで暴発した魔力によって、火柱のような熱気が彼女を包み、彼女の豪奢なドレスがチラチラと焦げていく。
私は黙って立ち上がると、その熱気の中に踏み込み、マリルを抱きしめた。
――もっと早く、こうしてマリルを安心させてあげれば良かった。マリルの強引な態度には何度も救われたはずなのに。
――戦地から戻り、自分の事で手一杯になっている間に、マリルをこんなにも追い詰めてしまった。
私の心には自分への失望だけがぐるぐると回っていた。
「そうだ、私はどうかしている。今は自分がどうなってしまったのかもよくわからないんだ。こんなに情けないのは生まれて初めてだよ。高潔な君にこんな事をさせて……これじゃ婚約者失格だな」
「ターク様……?」
マリルはハッとした顔で、ドレスを溶かすほどの熱気を静めた。燃えるように赤かったその顔から、みるみると血の気が引いていく。
「ターク様が話してくださった事は、全て本当でしたの……? わたくしはそれを嘘だと罵って……」
「いいんだ、マリル。信じられないのも無理はない。私にだってよく分からないんだからな」
「わたくし……なんて事を……」
「マリル、すまない。これ以上君を傷つけたくはないが、ミヤコをこのままにはしておけない。セバスチャン、エロイーズ、マリルを頼みます」
青ざめて床に崩れ落ちたマリルに、セバスチャンとエロイーズが駆け寄った。
マリルもかなり心配だが、今はミヤコの方が重症だ。マリルはこの二人に任せておくしかない。
私はまたしてもボロボロになってしまったミヤコを抱き上げると、慌ててマリルの屋敷を後にした。
タツヤと喧嘩しながらも、ついに宮子を発見したターク様。彼女の変わり果てた姿に強い怒りと悲しみを感じますが、その感情が自分のものなのか自信がありません。犯人がマリルだと分かりショックを受けるターク様ですが、自分のせいだと彼女を抱きしめました。
次回、宮子を治療するため精霊の集会所に行ったターク様が大変な事に……。




