05 ゴイムの証。~宮子は道具か珍獣か~
場所:マリルの屋敷
語り:小鳥遊宮子
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「いいのよ……でも、記憶がなくたって、その黒い魔封じの刻印は間違いなくゴイムの証だものね」
そう言って、にっこり笑ったマリルさん。顔は笑っているけれど、その声は凍るように冷たい。
目の前に並べられた美しいケーキ……。
それに手を伸ばそうとしていた私の背中に、ゾクッとした悪寒が走り、私は思わず手を止めた。
あの日バスルームで、私を「醜い珍獣」と言い放ったマリルさんが頭をかすめる。
自分の手首に刻まれた気分の悪い刻印に目をやった私は、「……そ、そうみたいです」と、つぶやくように言った。
向け先のない不満に唇をかむ私を見て、マリルさんは呆れたようにため息をついた。
「他人事じゃなくてよ? あなたは知らないかもしれないけれど、ゴイムはこの国では基本的に道具扱いなんだから」
「道具ですか……」
「そう。ターク様にとってあなたは、使えない他人の道具だわ。そばに置いたって何の役にも立たないもの」
私に謝罪したいと言った彼女だったけれど、その言葉には次第にとげが生えはじめた。
――ゴイムの扱いが人間以下なのは私だってよく分かってるわ……。
――こんな話をして、マリルさんは何も知らない私に、何か忠告をしようとしてくれているのかな。
――だけど、ターク様はゴイムを他人の道具だなんて、きっと思ってないわ。
そう思いながらも、何も言えない私。私がただ唇をかんで黙り込むのを見て、マリルさんは、ますます勢い付いた。
「でも、ターク様はやさしいから、あなたのこと、犬か猫くらいには思ってるみたいだわ。このわたくしに、わざわざ紹介するんですもの」
「あ、はは……」
「とは言え、所詮は他人の犬ですもの。ターク様だって流石にそろそろ迷惑しているはずですわ。そうでしょ? 記憶がなくてもそれくらいはおわかりよね?」
「は、はい……」
「でも自分の犬じゃなくても、あまり長く飼っていたら、不本意にも愛着が湧いちゃったりすることもあるでしょう? だから、そうなる前に、あなたをターク様のお屋敷から、連れ出したいのだけれど……」
「なるほど……」
「でも、わたくし、勉強がとても忙しくて、なかなか抜け出せないんですの。やる事のないゴイムと違って、本当に忙しいんですもの」
「そうですよね……」
「あら? どうなさったのかしら? ケーキが全然減ってなくてよ。食欲が無いようだけど、しっかり食べてね? ターク様はこんな美味しいものを、あなたに食べさせたりしないでしょう? ほら、こんなチャンス二度となくてよ!」
――マリルさん……ケーキの味が分かりません!
私はもう、顔に無理やり作り笑いを浮かべてヘラヘラするしかなかった。
紅茶ばかり頂いて、私はティールームを後にした。
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「時間はたっぷりありますもの、わたくしのコレクションを見せて差し上げますわ」
ティールームを出たマリルさんは、私を彼女の衣装部屋に案内してくれた。煌びやかなドレスが所狭しと並べられた夢のようなその部屋は、一歩足を踏み入れれば、女子なら誰でもため息が出る。
奥に設置された大きな鏡には、美しく着飾ったマリルさんと、サイズの合わないワンピースを着た、やぼったい私の姿が映し出されていた。
――あぁっ。格差が残酷!
「素敵でしょ? 光輝くターク様のとなりに立つなら、よほど美しくないとね」
そう言って、手に持ったドレスを得意げに身体に当てて見せる彼女。
いつも鎧姿のターク様が、彼女が来るのに合わせて、王子様ファッションに身を包んでいた事を思い出す。
――そっか、あの格好はきっと、マリルさん用なんだわ。
婚約者の好みに合わせて、ファッションを変えるターク様の気遣いに、気遣いの達人だった達也を思い出さずにはいられない。
――全然雰囲気の違う二人だけど、どこか似てるのよね。
そんな事を考えていると、彼女は素敵な花柄の布が貼られた、可愛らしい宝石箱から、次々と豪華なアクセサリーを取り出して並べて見せた。
「これは、ターク様のお母様が、亡くなる少し前に、わたくしに用意してくださったものなのよ」
街の外れで魔物に襲われ亡くなってしまったというターク様のお母様のことを、マリルさんは悲しげに話した。
「お母様から、こんなに沢山ですか?」
「そう、ターク様のお母様は、彼の今後を心配していたのね。わたくしにターク様を支えてほしいと、願っておいででしたわ」
「それは、責任重大ですね」
そう返事をした私に、マリルさんは自信に満ちた瞳を輝かせ、にっこりと微笑んだ。
「心配は無用ですわ。わたくし、選ばれるべくして選ばれたのですもの」
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ひとしきり彼女のファッションへのこだわりと自慢話を聞いた後、私達は大きなテーブルが置かれた広間に移動し、ディナーをいただいた。
と言っても、マリルさんの意地悪なおしゃべりが延々と続き、結局私は、豪華なディナーもまったく喉を通らなかった。
――だけど、マリルさんが私にお詫びをしたいと言ったのは、きっと嘘ではないんだわ。納得いかない気持ちが勝っているだけみたい。
――マリルさんだって、いつまでも私を部屋に置いているターク様を、理解しようと努力したはずだわ。
――その気持ちを裏切っているのは私と、そしてターク様よね……。
へらへらと相槌を打ちながら、最近のターク様を思い出す。
強引に私をベッドに押し込み、幸せそうに眠るターク様……。少し過剰なスキンシップを取っては、満足そうにニヤリと笑うターク様……。
――ダメだわ。こんなのがマリルさんに知れたら、私、どうなっちゃうか分からない……。
食欲のない私を見て、「せっかく準備させたのに!」と、マリルさんは不満そうな顔を見せた。
「まぁ、よろしくてよ。身分の違うわたくし相手に、緊張するなと言う方が無理な話ですわね。今日は移動も長くて疲れたし、早く部屋に戻ってゆっくり寝ましょう」
私はマリルさんに手を引かれ、彼女のベッドルームに移動した。
△
彼女のベッドルームは、上品な金の猫足の洗練された調度品が揃えられ、高級な光沢のある花柄のカーテンが女性らしくて、とても優雅な雰囲気だった。
シャワーを浴びた後、肌触りの良さそうなシルクの寝間着に着替えたマリルさんは、大きなベッドに入ると、「あなたもこちらへ」と、私を誘った。
「お邪魔します」
ドキドキしながらマリルさんのベッドに登ると、彼女はにっこりと微笑みながら、私の手をつかんだ。
「あなたを一人にして何かあればターク様にご迷惑をかけるからね、ここにいる間は一緒に寝ましょ! なんだかお友達が泊まりに来たみたいで楽しいですわね」
「は、はい……」
「明日はその刻印に封印された、あなたの本当のご主人様の名前を解読してさしあげますわ。楽しみにしていらしてね」
――え!? これ、下手に触ると、ドカン! なんですけど……?
マリルさんの言葉に慌てた私は、刻印のある手を背中の後ろに回し、彼女から隠した。
「ふ、封印解除は危険だからって……ターク様が……」
だけど、青ざめた顔で怯えている私とは対照的に、マリルさんは封印解除に自信満々のようだった。
「問題ないですわ! わたくしは、この国で一番高名な魔法学校で一番の成績なんですのよ。ターク様は色々と心配しすぎなんです」
「はぁ……」
「わたくしに任せておけば、大丈夫ですわ」
マリルさんの勢いに負け、「は、はい……」と返事をしてしまってから、吐きそうな後悔に襲われる私。
――どうしよう。明日、私、ドカンってなっちゃうの!?
ますます青ざめた私に、「早く横になって」と促すマリルさん。彼女は私のとなりに横になると、私にぴとっとくっついて言った。
「魔術のテストで魔力が減ってしまったから、しっかり寝て回復しなくちゃいけませんの。これだけの魔力を回復するにはたっぷり二晩かかるんですのよ」
そう言うマリルさんのステータスを見ると、彼女の最大魔力は三千近くあった。
これを二晩で回復出来るのだとしたら、マリルさんの魔力回復速度はターク様よりかなり早いようだ。
――ターク様は魔力少ない方なのかな? ずいぶん差があるのね……。
そんな事を考えているうちに、気疲れのせいか眠気に襲われた私は、落ち着かないながらも朝まで眠った。
マリルの意地悪なお喋りにすっかり食欲を無くしてしまった宮子ですが、マリルが謝罪したいと言った気持ちを信じています。自分とターク様の行動に問題があったと感じていた宮子は、マリルの勢いに負け、封印解除の提案を受け入れてしまいました。
次回、宮子とマリルは再び修羅場を迎えます。




