04 マリルさんのお屋敷で。~水の国ベルガノン~
語り:小鳥遊宮子
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――いったい、どうしてこんな事に? マリルさんのお屋敷で、三日も過ごすなんて、修羅場しか見えないんですけど……。
少し心配そうな顔で私たちを見送るターク様に、引きつった笑顔を見せながら、私はそんなことを考えていた。
二人の会話の間中、必死にターク様に向かって、「無理です」という視線を送っていた私。
だけど、事情を知らない彼に、その気持ちが伝わることはなかった。
私の顔をチラチラと見ながら、しきりに顔を顰めていた彼は、どうやら私が腹痛を起こしたと思っていたらしい。
ターク様はマリルさんの目を盗み、私にヒールをかけてきたかと思うと、「腹は治してやったが、菓子はほどほどにな」と、耳元で囁いた。
――そうじゃないんですよ! ターク様!
マリルさんが乗ってきた馬車に乗せられた私は、緊張のあまり、本当にお腹が痛くなりそうだった。
握った手のひらに、嫌な汗がにじんでいるのを感じる。
さっきまで、あんなに饒舌だったマリルさんが、さっきから一言も言葉を発しない。それが余計に恐ろしかった。
それでも、馬車が動き出すと、私の心はワクワクと高鳴りはじめた。
王都にあるマリルさんのお屋敷までは、馬車でニ時間くらいの距離らしい。
考えてみると、馬車で王都へお出かけなんて楽しいに決まっている。
マリルさんの家に行くのは怖いけれど、せっかくの外出だ。こうなったら風景を楽しむしかない!
この世界に来てもうかなりたつけれど、メルローズ領から出るのだってはじめてのことだ。
私はワクワクと瞳を輝かせて、窓の外を眺めた。
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メルローズののどかな田舎道を南へ向かい、川にかかる大きな橋を越え、城下町へ入る城壁の門をくぐると、馬車は賑やかな王都に入った。
――すごい……! なんて華やかな街なの?
水の国ともよばれるベルガノン王国の王都には、たくさんの水路が走っていて、端の尖ったカラフルなゴンドラ船がのんびりと行き交っている。
華美な装飾を施された馬車が走る石畳みの街道に、所狭しと並ぶお店の看板も可愛らしい。
街のあちこちには、神話に出てきそうな見事な彫刻が施された大きな噴水があり、リズミカルに水を吹き出す様子が、私の目を楽しませてくれた。
商店街をすぎると、荘厳な大聖堂が目の前に現れ、その前の大広場には、英雄の彫刻なのか、大剣を高々と掲げたフィルマンさんらしい大きな石像がある。
――わぁ、キノコでお腹を壊したお爺ちゃんとは思えないわ! なんて立派!
しかし、フィルマンさんの石像の周りには、よく見るとたくさんのケガ人たちが、治癒魔法を求めて集まっているようだった。
――一見華やかに見えるけど、やっぱりこの国は疲弊してるんだわ……。
そんなことを考えている間にも、馬車はまるで絵本のなかのような、メルヘンチックな市街地を抜けていった。
しだいに建物の間隔が広くなり、緩やかな緑の丘を登った先に、マリルさんの住む壮麗な屋敷が見えた。
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ターク様の石造りの屋敷とはまた違い、マリルさんの住む屋敷は装飾的で、とても華やかだった。
人口の多い王都の建物は、背が高く敷地が狭い印象だったけれど、彼女のお屋敷は、ターク様のお屋敷と変わらない広さがあるようだ。
「ステキなお屋敷ですね!」
私が興奮気味にお屋敷を褒めると、マリルさんは、「ふふん」と鼻を鳴らし、見事なドヤ顔をして言った。
「当然ですわ。ターク様の婚約者に選ばれるにふさわしい、この、わたくしが住んでいるお屋敷ですもの」
「あはは……。そうですよね」
苦笑いをする私を、マリルさんはじっと見詰めた。
馬車に揺られている間も、ずっと黙っていた彼女。いったいなにを考え込んでいたんだろう。
風景に見とれてついついテンションがあがっていたけれど、ここは彼女のホームグラウンドだ。
私の身体に再び緊張が走り、冷たい汗が背中を流れる。
凍るような沈黙のあと、マリルさんは声を抑えて言った。
「それにしてもあなた、ターク様にあのこと、本当に言わなかったのね?」
あのことというのは、あのバスルームでの出来事を言っているのだろう。
「言うわけありませんよ……」
私がうつむくと、マリルさんは改まった顔をした。
「助かりましたわ。この間は取り乱してしまって、悪いことをしましたわね。言わないでくれて、ありがとう」
彼女の予想外の謝罪に、私は耳を疑った。
「いえ、そんな……! こちらこそ、ご迷惑おかけしてます」
「よろしくてよ。今日は本当に、あなたにお詫びしたくておよびしましたの」
そう言って決まりが悪そうに目を伏せた彼女は、なんだかとてもいじらしく見える。
――この人は……ただ高飛車なだけのお嬢様ではないのかもしれない。当然よね、ターク様が選んだ婚約者なんだもの……。
彼女は今日、ターク様に会えば、この間のことを注意されると思っていたようだ。
一見楽しそうに振舞っていたけれど、あれで彼女なりに緊張していたのかもしれない。
――本当はずっと、落ち込んでたとか……?
しかし、彼女が謝罪や感謝を口にしたことで、私の罪悪感は一気に膨れあがってしまった。
確かに告げ口はしなかったけれど、そのせいで、マリルさんの苦悩を知らないターク様と、何度も一緒のベッドで寝てしまったのだから。
――私、どうすればよかったんだろう。
――もし、マリルさんが悲しみますよって、一言言えていれば……。
後悔と罪悪感に苛まれる私の手を引いて、マリルさんは歩きはじめた。
△
私たちは、花がいっぱいのステキな庭を抜け、屋敷に入り、華やかで上品な装飾の、美しいティールームへと移動した。
長いテーブルの上に、金の飾りがついた大皿がいくつも置かれており、その上に色とりどりのケーキが並べられている。
――すごい……どこをみても豪華!
「あなたもここに座って一緒に食べましょ!」
マリルさんは、キョロキョロしている私の手を引いて椅子に座らせてくれた。
彼女が手を叩いてよぶと、給仕たちが選んだケーキをお皿に取り分けてくれる。
「おわびに用意したのだから、好きなだけ食べてよくってよ」
「わぁ、すごい! どれも美味しそうです」
私が目をキラキラさせているのを見て、マリルさんは得意げに言った。
「素晴らしいケーキでしょう? いまは昔みたいにお料理にも魔法が使えないから、お菓子職人たちが全て手作りしているのよ。ここまでできるようになってもらうのには苦労しましたの」
「そうなんですね! でも魔法でケーキを作るところも一度見てみたいです」
「ミヤコさん、生活魔法を見たことがないんですのね。ターク様に会う前のことをなにも覚えてないって本当ですの? そんな状況で自分がゴイムだなんて、戸惑ったんじゃなくて?」
「ええ……」
この世界で初日に起こった出来事を思い出し、表情をかたくした私に、マリルさんは哀れむような眼を向けていた。
「ごめんなさい、嫌なこと言ったかしら?」
繊細な金彩と、ローズの模様が美しい華やかなティーカップを手に、小首をかしげたマリルさんは、本当に可愛らしかった。
お嬢様という言葉がなんて似合う人なんだろう。
上品な振舞をする彼女を見ていると、この間バスルームで起こったことは、夢だったんじゃないかと思えてくる。
――きっとあれは、なにかの間違いだったのね。
「そんなこと……私はぜんぜん大丈夫です。ターク様がとてもよくして下さってますから。だけど、お二人には、本当にご迷惑をおかけしてます」
私がそう言うと、彼女はまるで花のようににっこり笑い、「いいのよ。でも……」と話をつづけた。
マリルさんのお屋敷に行くのが恐い宮子ですが、王都に向けて出発するとだんだんワクワクしてきてしまいます。
お屋敷に着くと、マリルさんに先日の一件を謝罪され、宮子はまた罪悪感に苛まれました。
次回、マリルの止まらないお喋りに、宮子はただただ相槌を打っていましたが……。




