02 やってきたマリルさん1~宮子は猿か、それともリスか~
場所:タークの屋敷(客室)
語り:小鳥遊宮子
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昼になって、ターク様の部屋にやってきたのは、思ったとおり、マリルさんだった。
「ターク様、ご機嫌よう」
予想はしていたけれど、いざ彼女の姿を見ると、私の身体が緊張にこわばる。
できればいまからでも、どこかに隠れに行きたいけれど、ターク様がここにいろと言うのだから仕方がない。
客室の隅に立ち、できるだけ目立たないように、背中を丸めて息をひそめた。
――どうしよう! 話しかけられたら、とりあえず初対面のフリ!?
ドレスの裾を持ち、膝を曲げて優雅に挨拶するマリルさんは、気品に満ちている。
この間のバスルームでの出来事が、まるで嘘のようだ。
マリルさんは挨拶するなり、ターク様の腕にしがみついた。
甘えるような声を出しながら、大きな薄灰色の瞳で彼を見あげている。
今日の彼女は、豪華なフリルがたくさんついた、ボリュームたっぷりの赤いドレスだ。
燃えるように赤い、彼女の髪色によく似合っている。
――まるでお人形さんみたい。なんて整った小さな顔なの……?
地味なブカブカワンピース姿の私は、自分と彼女の格差に、ただただ圧倒されていた。
もともと、マリルさんと競いあうつもりはまったくないけれど、できればとなりに立たされるのは避けたい。
――どうかターク様が私のことを忘れていてくれますように……。
「マリル。変わらず元気そうだな。学校でも優秀だと聞いているぞ」
ターク様は、まるで春風のような、このうえなくやさしい声でマリルさんにそう話しかけた。彼女を見詰める眼差しも、陽だまりのようにやさしい。
私の前ではニヤニヤと意地悪に笑うことが多いターク様の顔に、いまは毒気のかけらも見当たらない。
――なに? この美男美女カップル。眩しすぎる……!
この様子だと、私の心配は取り越し苦労だったのかもしれない。
――たとえターク様が、治療中に寝ぼけて私を抱きしめたり、初恋の人の名前を寝言で呼んだり、私の髪や頬をいたずらに触っていたとしても……!
――この二人の揺るぎない愛と信頼があれば、そんなことは障害にすらならないのかも……!
私は希望を込めて、そんなことを考えていた。
なんにしても、突然降って湧いた自分のために、ターク様の幸せを邪魔する結果になるのだけは避けたい。
彼は私の、命の恩人なのだから。
このとき私が願っていたことは、本当にそれだけだった。
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語り:ターク・メルローズ
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「ターク様、パーティーのときに比べると、ずいぶんお元気そうですのね。わたくし、安心しましたわ!」
マリルはそう言って安堵の表情を浮かべると、ますます私の腕に絡みついてきた。
先日のパーティー以来、彼女に会うのは二十日ぶりだろうか。
彼女はその間、魔法学校での試験に向け猛勉強していたが、ようやくそれが終わり、いそいそと私に会いに来たのだ。
「あら、びっくり! 今日は魔力が満タンじゃありませんの!? 安心しましたわ。ターク様がまた魔力を切らしてご無理をなさってるんじゃないかと、心配していましたの」
「あぁ、お前に言われてから、魔力を使い切らないように少し気をつけていた。それに、最近はよく眠れているしな」
「それはよかったですわ!」
やはり、仕事をセーブして、魔力を残しておいたのは正解だったようだ。マリルの機嫌がいいことにほっとした私は、部屋の隅にチラリと目をやった。
ミヤコが祈るような顔でこちらを凝視している。
ついつい話し込んでしまったため、早く紹介しろと不満に思っているようだ。
「そうだ、紹介しよう。彼女がいま預かっているミヤコだ。なんだ? ずいぶん遠いな。こっちへ来い」
私が手招きすると、ミヤコは青い顔でソファーの後ろに隠れてしまった。
いったいなにがしたいのか、ミヤコの行動はときどきよくわからない。
――本当に小動物みたいなやつだ。彼女の前世はきっと、リスなんじゃないか。
――あのぷくっとした頬を見ると、頬袋になにか入ってるんじゃないかと、つい確認したくなるな。
彼女の顔を見すぎたせいか、最近の私は、自分でも驚くほどに気が抜けていた。
しかし、いまはそんな呑気なことを考えている場合ではない。
マリルにミヤコを紹介し、なにも心配はないのだと、安心してもらわなければならないのだ。
「あ、わ、私はここで、大丈夫ですっっ」
「なにを言っている。いいからこい」
私の婚約者に緊張してしまったのか、ミヤコはなかなか動こうとしなかった。
私は少し強引に、彼女を引っ張って移動させ、なんとかマリルの前に立たせた。
「ミヤコ、私のフィアンセのマリルだ」
「はわっ……」
ミヤコは、焦ったような妙な声を出したかと思うと、そのまま石像のようにかたまってしまった。
おかしなやつだとは思っていたが、なんだかいつも以上に様子がおかしい気がする。
「あら、この方がお噂のミヤコさんですのね」
「あぁ、記憶喪失でなにも覚えていなくてな。彼女の所有者が見つかるまでもう少し面倒を見るつもりだ」
「ターク様は、本当におやさしいですこと。さすが、わたくしの婚約者ですわ」
マリルはそう言うと、私を見あげてにっこりと微笑んだ。
――よかった、心配したほど怒ってはいないようだな。しかし、ミヤコの顔色がますます悪くなっているな。まさか、腹でも下しているのか?
ミヤコは「よろしくお願いします」と、かすれた声を出して、まるで落ち着きのない猿のように、ソワソワした様子で私を見た。
やはり腹が痛いようだが、治療はマリルが帰ってからだ。
マリルの機嫌が悪くなるかと心配していたが、彼女は「どうぞよしなに」とにこやかに笑っている。
――私が奴隷や一般人を治療することに、あんなに否定的だったマリルが、こんなに態度を変えるとはな。
――少し……いや、かなり意外だな。
――だが、彼女は私の婚約者だけあって、勉強熱心だ。しばらく会わない間にいろいろ勉強し、考えを改めたのかもしれない。
このときの私は、そんな儚い夢のような淡い期待を胸に抱いていた。
まさか彼女が、このあとあんなことを言い出すとは、想像もしていなかった。




