13 カブの畑で空を見上げて。~ターク様は療養中~
場所:メルローズ領
語り:小鳥遊宮子
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歌の大会の観客たちから逃げ出してきた私たちは、カブ畑の真んなかに生えた、大きな木の下で休むことにした。
カブの葉が青々と茂った畑は広々としていて、ひと気もなくとても静かだ。
「はぁあぁ。あまりのことで、いろいろびっくりしちゃいました」
「そうだな」
まだ少し興奮気味な私のとなりで、ターク様が小さな苦笑いを浮かべている。
「それにしても、さっきの歌には私も少し驚いた。あの歌はまるで……」
なにかを言い淀むターク様。私は彼が「まるで異世界の歌だ」と、言うのを少し期待してしまった。
「まるで……?」
「……いや、本当に美しい歌声だった。思わず逃げてきてしまったが、あれは優勝確定だな」
「ありがとうございます!」
彼は言葉を飲み込んでしまったけれど、眩しい笑顔で「優勝だ」と、言ってもらえたことがうれしかった。
お休みモードのターク様の隣は、なんだかとても居心地がいい。
懐かしい幼なじみにそっくりな、聞きなれた響きの低い声。
だけど彼の声は、達也よりもっと、穏やかで静かで、まるですっぽりと、包み込まれてしまうような……。
そんな彼の声を聞いていると、私の気持ちは、どこまでもゆるゆると緩んでしまう。
――いまさら、私が日本から来たことをターク様に信じてもらって、それでどうなるんだろう。
――日本に帰る方法がわかるわけでもないだろうし、きっと、ターク様を困らせるだけだわ。
――所有者とやらのもとへ戻るまで、もう少しだけ……。あと、ほんの少しだけターク様のそばにいられれば……。
私はなぜだか、つい、そんなことを考えてしまうのだった。
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「こんなにたくさん、本当によかったんですか?」
ターク様に買ってもらった本を、ペラペラとめくりながら、私はとなりに座る彼に話しかけた。
お金の単位が違ってよくわからないけれど、この世界の本はかなりの高級品のようだ。本屋の店主さんも明らかに驚いていた。
「私、ターク様にまた無理をさせてしまったんじゃ……」
困り顔の私に、「このくらいなんでもない」と言うターク様。
「ゴイムでも文字ぐらい覚えておいて損はない。お前は常識を知らなすぎる。本を読んでしっかり勉強するといい」
そう言って彼は、目元にやさしい微笑みを浮かべる。
――そうだ、ターク様のためにも、私は早くここを出ていかないと……。
――文字を勉強して、本をたくさん読めば、所有者探しも……ううん、もしかすると、日本に帰る方法だって、見つかるかもしれないわ。
そんなことを考えた私は、「ありがとうございます、頑張ります」と、真剣な顔で答えた。
ターク様はそんな私の頭をぽんぽんと撫で、白い歯を見せて爽やかに笑う。
「いつかポルールの戦いが終われば、ゴイムは役目を失うはずだ。そうなれば知識はきっと役に立つだろうからな」
「戦いが終わったら、ゴイムは解放されるんですか?」
私のそんな素朴な質問に、「さぁな……」と言いかけたターク様は、「いや、必ずそうしてみせる……」と、小さな声でつぶやいた。
――もしかして、ターク様はミアさんのために……?
――ミアさん……。まさか、魔力タンクになってしまったの……?
私の顔を面白いと言っては喜ぶターク様。
ひょっとして、彼は、同じゴイムの私にミアさんを重ねているのだろうか。
寝言で彼女の名を呼ぶターク様を思い出し、私はなんだか、胸が苦しくなった。
△
私たちは、涼しい木陰でアンナさんが持たせてくれた、サンドイッチを食べていた。
美味しそうにサンドイッチを口に運ぶターク様。最近の彼は、ずいぶん食欲があるようだ。
一時期は本当に、『いつ食事をとってるんだろう』と、心配するくらいだったけれど……。
「空が広いですね」
秋晴れの空の下、見晴らしのよいカブの畑の真んなかで、見上げた空はどこまでも高く澄み渡っていた。
――なんだか涙が出そう。
久しぶりの外の空気に感動したせいか、胸にグッとくるものを感じた私は、少し涙目になってしまった。
そんな私を、ターク様はまるで、爆発寸前の爆弾を見るような顔で見ている。
「い……いままで、少しも外に出してやらなくて、悪かったな」
「いえ、ターク様はいつもお忙しいですから。今日連れ出してもらえただけでも、本当にありがたいです」
「うむ……。街は平和そうに見えるが、魔力不足で気が立っているものも多い。退屈だとは思うが勝手に出歩くなよ」
「はい」
「今度、フィルマン様のところに連れていってやる」
「本当ですか? 私、フィルマンさん大好きです!」
「ならよかった」
ターク様はそう言うと、ホッとしたように空を見上げた。
「そういえば私も、空を見あげたのは久しぶりだ。私はやっと、休養を取れたようだな」
「ターク様……?」
私はこのとき、ターク様がなぜ、戦地から帰ってきたのか聞こうとしていた。
けれど、大声でターク様を呼ぶ声が聞こえて、私は言葉を飲み込んだ。
△
「おーい! ターク、こんなところにいたか」
畑の間の小道を、馬に乗って私たちのほうへやってきたのは、カミルさんだった。
「カミル、なぜここに?」
「森の調査の途中だよ。調査しながらこっちのほうまで来たんだけど、なんか妙に魔物が多くてさ。兵士が一人ケガしちゃって。きみ、魔力あまってない?」
見ると、カミルさんの馬には、もう一人ぐったりした兵士が乗せられていた。
「見せてみろ」
「よかった。今日も魔力がいっぱいあるみたいだね」
二人はケガ人を馬から下ろすと、木の下に座らせた。
「なかなかひどいな」
兵士の傷は魔物に引っ掻かれた爪痕のようだった。
あまりに痛々しくて、思わず「ひゃっ」と目を背ける私。
けれど、ターク様が治癒魔法をかけると、傷はみるみるうちに回復した。
「ありがとう、助かったよ。でも、こんなところでなにしてたんだ?」
そう言って、怪訝な顔で私たちを交互に眺めるカミルさん。彼女はまるで、犯人を探す探偵かのように目を細めた。
「ターク、この子を拾ってからもうかなりたつよね。いつもこうやって連れ回してるのか? まるでピクニックだな」
「いや、外に出したのは今日がはじめてだぞ」
カミルさんは、また、ターク様を責めるような口調で話はじめた。
ターク様が、『厄介だな……』と、思っているのが、私の耳には聞こえてくるようだった。
「じゃぁ、ずっとあのまま、きみの部屋にゴイムを閉じ込めてるのか?」
「あぁ。所有者不明の彼女を一人で外には出せないからな」
「ターク。マリルちゃん、さすがにもう怒ってるんじゃないの?」
私は、マリルさんの名前を聞いて、思わずビクッと背中を震わせた。だけど、先日の一件を知らないターク様は平然としている。
「マリルか、彼女は忙しいからな。そんなことで怒ってる暇はないだろう」
――ターク様……!? マリルさんは、めちゃくちゃ怒ってますよ……!?
カミルさんは、すっかり青ざめてしまった私を横目でじっと見ながら、「ふーん」とつぶやいている。
私はなんとも居心地が悪くなって、涼しい木陰にいるにもかかわらず、背中に嫌な汗をいっぱいかいてしまった。
「ターク、こんな所でいつまでも油を売ってるのは、きみらしくない。毎度回復してもらっておいてなんだけど、きみの居場所はここじゃないよ」
カミルさんは捨て台詞かのようにそう言い残して、ターク様にお礼を言う兵士を馬の後ろに乗せ、森へ戻っていった。
△
「……やっぱり私、ターク様にかなりご迷惑をおかけしてますよね……」
カミルさんを静かに見送った私が、不安げな顔でターク様を見ると、彼は『やれやれ』というように、大きなため息をついた。
「気にするな。カミルは私を戦地に戻らせたくて、いつもああやって尻を叩きにくるんだ。私は療養中だと言っているのに、聞き入れようとしない」
「ターク様が、療養中……?」
私がキョトンとした顔をすると、ターク様はまた、『しまった』という顔をして、片手で頭を抱えながらこっちを見た。
「あー、私が療養中なのは、他言無用だぞ。皆が不安がるからな」
そう言って困ったように笑ったターク様の顔は、なんだかとても、つらそうに見えた。
――ターク様はずっと、自分が療養中だということを皆に隠して、あんなに毎日働きつづけていたの?
――皆を不安がらせないために、強がりを言いながら……?
不死身の彼が療養中、なんて、それだけ聞くとあまりピンとこない。ターク様はケガも病気もしなければ、疲れることすらないと、あれだけ近くにいるメイドたちですら信じている。
けれども、ターク様がつらそうにふらふらしているところを、私は何度も見ていた。彼はいったい、どこが悪いのだろう。
いろいろ聞きたい気持ちはあったけれど、彼が触れて欲しくないオーラを出している気がして、私はただ、唇を噛んだ。




