10 読めないんです。~ターク様と黒猫とバローナ~
場所:タークの屋敷
語り:小鳥遊宮子
*************
魔力が溜まった私は、前よりだいぶん、自由にすごせるようになっていた。
だけど、ターク様の部屋だけでは、やっぱりあまりすることもない。
私はまた、しだいに退屈しはじめていた。
――せめてあの、書庫の本が読めたらなぁ……。
ターク様の書斎には、扉で仕切られた書庫があり、大量の本が並べられている。
だけど、いざ開いてみると、見たことのない文字が並んでいて、まったく読めなかった。
――言葉は通じるのに、文字が違うなんて……。
できればまた、料理もしてみたい。だけど、ライルがいないと部屋からは出してもらえないし、あのクッキーみたいなことはもうこりごりだ。
客室にあるピアノっぽい楽器を、練習してみようかとも考えた。
ターク様やメイドさんたちが、バローナとよんでいる楽器だ。
美しい彫刻が施され、花の模様が描かれたとても華やかな楽器で、形はグランドピアノに近いように思う。
鍵盤を叩くとピアノのような電子音のような不思議な音がした。
だけど、音階そのものが異世界のそれのようだ。順番に鍵盤を叩いてみても、「ドレミファソ」とは鳴ってくれない。
どうやらこれも、私の知っているピアノではないようだ。
書庫には楽譜らしい本も数冊あったけれど、これまた、もといた世界の楽譜とは表記方法がまったく違っていた。
――あの楽器、なんのために置いてるのかな? ターク様は弾かないみたいだけど。
私は少し、バローナを弾くターク様を想像してみた。
――う、美しい……絶対美しいよね!?
キラキラ光るターク様が、キラキラした音色を奏でる……さわやかな曲もいいけれど、バラードなんかも似合うかもしれない。
想像しただけで鼻のしたが三センチくらい伸びそうだ。
だけど、いつも忙しいターク様が、あれを弾くことなんてきっとないだろう。
残念だけど、あのバローナは、大切なお客様が来たときに、音楽家をよんで演奏させるために置いているのだと思う。
「うーん……。妄想にも限界が……」
こんなときは歌でも歌いたいところだけれど、今日は、ターク様が珍しく部屋にいて、書斎で仕事をしている。
うるさくして邪魔をするわけにはいかない。私は結局、いつもの椅子に座り、窓の外を眺めていた。
「ひまだなぁー」
ついつい声に出して、そうボヤいてしまったとき、「本当にひまそうだな」と、どこからか声がした。慌てて振りかえったけれど、後ろにはだれもいない。
この声は……と、したを見ると、足元に黒猫姿のライルがちょこんと座っていた。
「ライル! いつのまに来てたの?」
「えー、結構前からいたよ?」
「うそ、全然気がつかなかったよ! まったく気配がしないんだね!?」
「えへへ。そうでしょ」
私とライルがワイワイと話していると、ターク様がベッドルームをのぞき込んできた。
「なんだ。ライルが来てたのか」
「なんだじゃないよ。きみが部屋にいるって聞いて、この間の護衛の報酬を受けとりに来たんだから」
「なるほど、そうだったな。だが、久しぶりだから、満足させてやれるかわからないぞ」
「えへへ! 待ってたよ、ターク!」
ライルはそう言うと、ピュンッとベッドルームから飛び出し、書斎を駆けぬけ、客室に入っていった。いったい、ライルがターク様に要求した報酬とはなんなのだろう。
△
私が客室をのぞき込むと、ライルはバローナの上にぴょんと飛びのって、お腹を上に向け、ゴロゴロと鳴いた。
そのライルのお腹を、ターク様が長い指でフワフワとなでまわす。
――ま、まさか、これがご褒美……?
獣人化したライルを思い出して、思わず赤面してしまった私を、ターク様が変なものを見る目で見ている。
「お前もここへ来い」
「へ!? はっ!? 私は、だ、大丈夫ですっ!」
「いいから、座って聴け」
――聴く!?
ますます赤くなった私を不思議そうな顔で見ながら、ターク様はここに座れと、バローナのすぐそばの椅子を指差した。
「あっ、はい!」
――一緒に撫でまわされるのかと思った……。
私があわてて椅子に腰をかけると、ターク様はその楽器を弾きはじめた。
――なんだ、やっぱりターク様、弾けるんですね!
優しくて少しもの悲しいその音色は、私が想像していた以上に美しい……異世界の音楽だった。
――これは、弾けるなんてレベルじゃないわ! なんてハイスペックな人なんだろう。
バローナのうえでは、ライルが幸せそうに丸まって、全身でその音色に聴き入っている。できることなら私も猫になって、同じ体験をしてみたかった。
「やっぱり、きみの演奏は最高だよ。ターク、またいつでも僕をよんでね」
「あぁ、助かるよ」
ライルは満足したのか、またピュンッと部屋を飛び出していってしまった。まさか彼が、ターク様にバローナを弾いてもらうために頑張っていたなんて。なんだかとても微笑ましい気持ちだ。
「バローナ、お上手なんですね。感動しました!」
「いや……弾いたのはもう、四年ぶりか。ずいぶん指がなまっている」
「ポルールの戦いが始まってから、弾いてなかったんですか?」
「そうだな……」
「すごくステキなのでまた聴きたいです」
「うーん……、そうだな。……まずは戦いを終わらせないことにはな……」
そう言って少し悲しそうに笑ったターク様は、きっと演奏が好きなんだろう。
――なんだかもったいないな……。もう一曲くらい弾いてくれたら……。
△
書斎のデスクに戻ってしまったターク様を、なごり惜しい気持ちで眺める私。すると、彼はふいにこっちを向いて、呆れたように言った。
「なんだ、ミヤコ。朝からそんな、ふぬけた顔で私を見るな。こっちまで力が抜けてしまう」
「あ、すみません……。なんだかやることがなくて……」
「いつも出かけていて気付かなかったが、思った以上に暇そうだな。本でも読んだらどうだ? お前、割となにもかも忘れてるだろ? 勉強になるぞ」
「それが、文字も忘れたみたいで、読めないんです」
「そ……そうか」
彼はここ半月ほどの会話で、私がこの世界の一般常識を、何も知らないことに気付いて、何度も驚いていた。
けれど、まさか文字まで忘れているとは思いもよらなかったようだ。整った眉を持ちあげ、また少し驚いた顔をした。
「うーん、じゃぁ、出かけるか。お前の顔を見すぎたみたいで、なんだか気が抜けてしまった。今日は休みにしよう」
「えっ!? 本当ですか?」
「あぁ、街でお前でも読める本を買ってやる」
「わ! ありがとうございます!」
――やったぁー! ターク様とお出かけ! はじめてお屋敷から出られる!
最近のターク様は、魔力にそこそこ余裕があるからか、とても機嫌がよくて、かなり優しい。前みたいに変な意地悪もほとんど言わないし、感情のない目でニヤニヤとも笑わない。
それでも仕事中毒は相変わらずで、起きている間はいつだって忙しそうだった。私の知っている限り、ターク様が休むなんて言い出したのは、はじめてのことだ。
私がニコニコしていると、ターク様は「近所を歩くだけだぞ」と言って、優しい顔で、ふわりと笑った。




