09 ターク様は外道ですか?~人間違いには気をつけて!~
場所:タークの屋敷
語り:小鳥遊宮子
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突然マリルさんがやってきたあの日以来、私、小鳥遊宮子は、彼女への罪悪感に苛まれていた。
もちろん、あんなに一方的に蔑まれ、殴られたのは悲しかったし、ちょっとは腹も立った。
だけど、達也のファンたちとはちがい、彼女はターク様の婚約者だ。当然の怒る権利を持っていると思う。知らなかったでは済まされないというのも理解できる。
――だけど、ターク様はいったい、どういうつもりなのかな?
――あんなに可愛い婚約者さんがいるっていうのに、この状況はなんなの?
彼は結局、毎日私を自分のとなりに寝かせている。
もちろん、彼は、私の記憶を戻そうとしているだけで、やましい気持ちはないと思う。
最近はちょっと、強引にベッドにおし込まれるし、「お前がいないと眠れない」とか、口走っていたけれど。それでも絶対、やましい気持ちはないと思う。
一緒のベッドで寝ていると言っても、ターク様はいつもすぐに寝てしまうし、じっとしていれば何事もなく朝になる。
私は毎日、できるだけターク様の加護を受けないよう、ベッドの端で小さくなって眠った。
そして、彼の目が覚めると、逃げるようにベッドから出ていた。
それが、私がマリルさんにできる、最大限の誠意だった。
――それなのに今朝は……。
小さな抵抗も虚しく、昨晩もベッドにおし込まれた私は、目覚めてすぐ、息を飲み込んだ。
目が覚めた私がいた場所はなんと、ターク様の腕のなかだったのだ。癒しの加護に全身がすっぽりと包まれて、くすぐったいような心地いい感覚に身体中がフワフワしている。
目の前には金色に光り輝くターク様の首筋がせまり、背中に回された逞しい腕が、私をガッチリ固定していた。
それはまるで、私を逃すまいとするように……。
――まぶしっ……。いったい、いつの間にこんなことに……?
私も気が付かず、すでにずいぶんこの状態で眠ってしまっていたようだ。
抜け出そうにも、思うように身体に力が入らない。
このままでは脳までとろけて、なにもかもがどうでもよくなってしまいそうだ。
――ターク様を起こさないように、なんとかはなれられないかな?
そんなことを考えていると、彼は私の耳元で、ごにょごにょと寝言を言いはじめた。
「ミア……ミア……」
――ミアって確か、ターク様が好きだったゴイムですよね……?
マリルさんという婚約者がいながら、ほかの女性の名を呼ぶターク様の寝言に、私は耳を疑った。
彼がミアさんを好きだったのは、小さいころの話なのかもしれない。けれど、これをマリルさんが聞いたらと思うと、背筋が凍りそうだ。
――こんな恐ろしい寝言を、私を抱きしめながら……。
ターク様にその気がなくても、仮にも私は、マリルさんの怒りの対象だ。
それに、私だって、ターク様のベッドの端で、日々マリルさんに罵られる悪夢にうなされているのだ。
――まったく、人の気も知らないで。いくらなんでもひどいですよ。
――なんとか隙間を作って、下から抜けだせないかな?
私は腕を突っ張るようにして、ターク様の胸のあたりをぐいっとおした。
だけど、彼は私をはなすまいと、ますます腕に力を込め、ついでに耳元で、「う……ん」と吐息をもらす。
濃密な癒しの光の微粒子が、私の耳をくすぐって、ゾクゾクと悪寒に似た感覚が背中を走った。
思わずビクッと反応してしまい、私の罪悪感はさらに上塗りされていく。
――とろけそうになっている場合じゃない。一刻も早く、ここを脱出しなくちゃ。
私は、ターク様を起こさずに抜け出すのを諦め、彼に声をかけた。
「ターク様ったら、もう、はなしてください!」
「嫌だ……行かないで……」
「えぇ……!?」
「ミア……もう離さない……」
――えーい! もう本当に、マリルさんに怒られてくださーーい!
あらためてギュッと引きよせられた私の唇が、彼の首筋に触れそうになる。
――ひえぇっ。
私は必死で身体をのけ反り、ジタバタと暴れた。
だけれど、ターク様は寝ぼけているくせに相変わらず頑丈で、私の力くらいでは本当にびくともしない。
「ターク様、私、宮子ですからっ!」
仕方なく、さらに大きな声を出す私。
「うーん? ミア……コ……?」
「ミアコじゃなくて、宮子ですってば!」
「ん……?」
ターク様はようやく私を見ると、眠そうな目のまま、ゆっくりと首をかしげた。
「あれ……なんだ? ミヤコか……」
「なんだじゃないですよ! まったくもう、寝ぼけて人違いするの、やめてくださいねっ!」
「ん? 僕が……どうかした?」
「僕……? あの、ミアさんと間違えて私を抱きしめてますよ!?」
「あー……。すまない」
「まったくもう……!」
ようやく腕の力がゆるみ、そそくさとターク様からはなれる。ターク様ものそのそと起きあがると、気まずいのをごまかすように「うーん」と伸びをした。
「なんだ、怒ったのか?」
不満でいっぱいの顔で口を尖らせた私を見て、少し困った顔をする彼。
「別に、怒ってません……いえ、やっぱり怒ってます……」
――ターク様、しっかりしないとマリルさんがかわいそうですよ。
そう言いたい気持ちはあるものの、なにをどう伝えていいのかわからない。なにせ私はまだ、マリルさんが来たことを、彼に秘密にしているのだ。
私が口をもごもごさせていると、ターク様は私の顔を覗き込んだ。寝癖が気になったのか、私の耳元に手を伸ばし、彼はそっと髪を触る。
「まぁ、機嫌をなおせよ。人違いならお前も得意だろ」
――仕草は甘いのに、言ってることがひどいんですけど……!? 私が怒ってるのは、そこじゃないんです……。いや、そこもだけど……! そうじゃないんです!
私は結局、なにも言い返せずに口をパクパクさせただけだった。
戸惑う私の顔を見て、いつもならニヤリと笑うターク様が、「ふふ」と微笑んでいる。
寝起きでフワフワしているターク様は、達也にしか見えなくて、私はどうしたって困惑してしまう。本当に、気を抜くとうっかり、呼び間違えてしまいそうだ。
――そりゃぁ、人違いもしますよ……。
心のなかでそうつぶやいて、私は唸るようにため息をついた。




