08 いつまでもここにはいられない。~刻印にかけられた封印~
場所:タークの屋敷(書斎)
語り:小鳥遊宮子
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ターク様が屋敷に戻ったのは、マリルさんが私を訪ねてきた日から、二日経った夜だった。
そのころには、ビンタされた頬も、ほとんどわからない程度に赤みが引いていた。
――ターク様とマリルさんにこれ以上迷惑をかけないためにもここを出なきゃ。
――外で襲われるよりは、まだ見ぬご主人様の魔力タンクになるほうがマシかな? でもどうやってその人をみつけたらいいの?
この二日、私はそんなことばかり考えていた。
もちろん私だって、魔力タンクなんかにはなりたくない。だけどやっぱり、自分がそんなことになってしまうというのは、あまり想像ができなかった。
要は退屈を我慢すればいいのだ。素直に従っていれば、鞭で叩かれたりすることもないだろう。
どの道いつまでも、ターク様の世話になるわけにはいかない。
――でも、異世界からきた私に、所有者なんて本当にいるのかな。
――あの時突然あそこに現れて、それ以前の過去なんてないんだとしたら……?
「ターク様、質問してもいいですか?」
書斎で書類に向かってなにやら考え込んでいるターク様は、軽く握った手にあごを乗せて頬杖をついていた。
どうやら留守の間に寝不足になったらしく、ひどく目が虚ろだ。
私は遠慮がちに彼に話しかけた。
「なんだ?」
書類から顔をあげ、視線だけを私に投げるターク様。
――まぶしっ……。二日ぶりのターク様、イケメンすぎる。マリルさんが心配するのも当然だわ……。
彼の物憂げな表情のせいか、ターク様がいつも以上に大人っぽく見えて、向けられた視線にドギマギしてしまう。
――いけない。ターク様には婚約者さんがいるのに……。自分を律さないと。
ついフワフワしてしまう気持ちを抑え、私はターク様に質問した。
「あの、私の所有者を探す方法って、記憶を取り戻す以外にないんでしょうか?」
「あー、そうだな、その腕の刻印にかかっている封印が解ければわかるはずだが……」
ターク様に手招きでよばれ、となりに立つと、彼は、私の手を握り、腕の刻印を見詰めた。彼の光に包まれた手のひらが、またフワフワしてしまう。
思わず引っ込めようとする私の手を、ターク様は握りなおした。
「この封印はかなり高度なものだ。よほど高名な魔術師でないと解くのは難しいだろうな。少しでも手順を間違えれば……」
「間違えれば……?」
「ドカン! だな」
――ひぃっ。
ターク様は引きつった私の顔を見て、ニヤリと口元を歪めた。寝不足のターク様はやっぱり、少し意地悪だ。
「じょ、冗談ですよね?」
「く……いや、これは冗談じゃない。だから、高度な技術を持った魔術師に頼むのがいいだろう。ここは大魔道士ガルベル様に頼むべきだろうが……」
「ガルベル様って……」
「あぁ、ライルの飼い主だよ。私の師匠やこの間来たフィルマン様の仲間でな。化けものみたいな魔力を持った、こわーい魔女のばあさんだ」
「あの巨大なフィルマンさんが、何度も殺されかけたっていう……?」
「そうだな」
私はますます顔を引きつらせた。
山姥のような魔女が包丁を研ぎながら「ヒヒヒ」と、笑っているところを想像してしまったのだ。
そんな私を、ターク様は虚ろな眼差しで見あげ、ニヤニヤと笑った。
「く……あの人の魔法は常識の範囲を軽く飛び超えているからな……。きっとその封印を解くことも容易いだろう……」
「おぉ……!」
「しかし、ガルベル様はいま、戦地に行ってるからな。しばらく帰ってきそうもない」
「そうなんですか……」
こわごわと自分の腕の刻印を見詰める私。
そこには、複雑な魔法陣と、ぐるぐる廻る読めない文字が何重にも重なって浮かんでいる。
ターク様は刻印の文字を指さし、説明をはじめた。
「本来、この黒い刻印は、それを刻まれたものがゴイムである証だ。所有者の名前も刻まれていて、普通ならだれでも読み取れる。そこに、所有者が自由に封印をかけ、ゴイムの魔力使用を制限できるようになっている」
「自由にですか?」
「あぁ、ゴイムが勝手に魔法を使えないように、攻撃魔法、回復魔法、補助魔法の三種類全てを封印するのが一般的だ。お前の刻印は、その上にさらに、所有者が判別できなくなる封印がかかっているようだ」
「なるほど、それで何重にもなってるんですね」
「そうだ、しかもこのひとつひとつが、高度で複雑に絡みあっているからな……」
「なるほど……」
私の手を握ったまま、うーんと考え込むターク様。
私はだんだんマリルさんに申しわけない気がしてきて、そっと手を引っこめた。
「この刻印、あまり見てると気分が悪くなりますから……」
「ふん、確かに少し目が回るな」
「でも、どうしてこれ、封印されてるんでしょう? 所有者がわかったほうが都合がいいはずなのに……」
「さあな、こんなことをすればゴイムがどうなるか、わかっているはずだが」
ターク様の話では、ゴイムの所有者がそれを手放すときには、決まった手続きがあるらしい。
いったん契約を破棄し、普通の奴隷に戻してから手放すのが通常なのだそうだ。そのまま人に売る場合でも、法律にしたがい、所有者を変更する手続きをする。
刻印を残したまま、所有者を隠して外に放り出すなんて、とても考えられないという。
「死なせるつもりで追放したとしか思えないな」
ターク様はそう言うと、また少し意地悪な顔で私を見た。
「そっ! そんな! それじゃぁもし、ご主人様が見つかっても私、帰れないんじゃ……」
「どうした? 急に主が恋しくなったのか? 魔力タンクになるのは嫌なのかと思っていたが……」
「えっ、いえ、そういうわけでは……ただ、これ以上ターク様にご迷惑をおかけするわけにはいかないと思いまして……」
「なるほど、そうか、それはそうだ。お前がここに来てもうそろそろ半月か? さすがに迷惑だな」
まるで当て付けるように、「ふん」と、鼻を鳴らしたターク様。
急に突き放されてショックを受ける私を、彼はひどく不機嫌な顔で眺めている。
――今日のターク様はいったいどうしたんだろう。さっきからわざと、私を怖がらせるようなことばかり言って……。
――それなのに、結局迷惑だなんてあんまりだわ……。
「ごめんなさい」と、謝りながらも不満で唇を突き出す私。
ターク様はそんな私の顔をチラリと横目で見て、「こほん」と咳払いした。
「……だが、まぁ、せっかく治療したお前を、主も見つからないまま追い出したのでは元も子もないからな。早く記憶を戻したいというなら、今夜はたっぷり加護を与えてやろう」
――え!? ちょっと待ってください……!
虚な目でニヤリと笑ったターク様に、私は思わず、後退りした。




