10 凍りついた小池と闇の騎士。~君がいる、世界を守る~
場所:ルカラの森
語り:小鳥遊宮子
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――ダメだっ。一人じゃ焦りすぎて歌えないよ!
ズンズンと近づいてくるオーガを凝視しながら、冷や汗をかいて固まっていると、地面の中からぴょっこりとヤーゾルが姿を見せた。
「ヤー! ミヤコ、ボヤッとしてないで魔法出すヤー!」
「ヤーゾル!」
ピョンピョンと跳ねながら、私の肩の上に登ってきたヤーゾルが、プチュッと私の頬にキスをする。
「え!? 契約!?」
「ヤー! 魔法でやっつけるヤ!」
「魔法!? 分かった! マ、マ、マッドボール!」
動揺しながらも、唯一呪文で使える魔法を唱えると、私の手から泥団子が飛び出し、オーガの顔にベチャッとくっついた。
ヤーゾルのおかげなのか、前よりずいぶん大きな泥団子だ。バケツ一杯の泥をぶちまけたくらいの威力はあるだろうか。
オーガは泥で目が塞がり、顔を手で押さえて立ち止まった。
私が「やった!」と、声を漏らすと、ヤーゾルが「ダメだヤァ!」と、慌てた声を出す。
すぐに目の周りを手で拭ったオーガは、鋭い目つきでギロリと私を睨んだ。明らかにさっきより怒ってしまったようだ。
「ヒィ! 逆効果!」
「ミヤコ、落ち着いて、他の魔法だヤ!」
「他!? さっ、叫びっ 出したいぃ そんなときぃっ」
ヤーゾルに励まされ、私が再び歌いはじめると、豆がさっきより勢い良く育ちはじめた。沢山の太いツルが、オーガの足に絡みつく。
落ち着け! 落ち着け! と、気持ちを沈めながら、必死に歌う私。ヤーゾルのおかげで、さっきよりまともに歌えるようになった。
だけど、オーガは少し、煩わしそうに足元を見下ろしただけで、豆のツルを簡単に蹴散らし、また苛立った顔でこっちを睨んだ。
歩くスピードを早め、ズンズンこっちへ向かってくる。「グオォー」という唸り声と共に、大きな拳が、私に向かって振り下ろされた。
――ヒィッ。また逆効果! もうダメ!
そう思った瞬間、オーガの体を、三本の黒い矢が貫いた。
「ダークアロー!?」
ドーンと音を立てて後ろに倒れたオーガが、ダークアローの睡眠効果で、グゥグゥと寝息を立てている。
慌てて矢の飛んできた方向を見上げると、上空に、誰かが浮かんでいた。逆光のせいか黒くなってよく見えないけれど、あれは絶対、達也だ。
そう思った私が、「達也!」と、空に向かって叫ぶと、黒い人影はピュンッと飛び去ってしまった。箒に乗っているわけでもなく、体一つで飛んでいるようだ。
「待って! 達也!」
怖いのも忘れ、私は人影の飛び去った方向に走り出した。
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霧の中を少し進むと、そこには白く凍りついた小池があった。
周りの草木も立ち枯れ雪が積もり、随分寒々しい風景だけれど、ここはどうやら、私達の目指していた場所のようだ。
小池の手前に全身真っ黒な鎧姿の人が立っている。見慣れない格好で後ろを向いているけれど、その見慣れた立ち姿は、他の誰でもない、達也のものだ。ターク様とだって、見間違えたりしない。
「やっぱり、達也。戻って来てくれたんだね」
そう言って駆け寄ろうとする私に、達也はこっちを向かずに声をあげた。
「みやちゃん、僕に近づかないで」
後ろ手にストップをかけられ、彼の数メートル手前で立ち止まった私。
まるで涙を堪えているような、悲しみに沈んだ低い声に、私の胸はざわざわと鳴った。
この間秘宝で連絡をくれた時は、もっと元気そうだったのに、一体どうしてしまったんだろう。彼から大きな、闇の魔力を感じる。まるで精霊の秘宝のような、禍々しいオーラだ。
「達也……?」
「みやちゃん……。僕、君と見たかったな。あの林間学校の、山の小池。こんな凍ってる異世界の池じゃなくてさ。鯉が泳いでて……綺麗な睡蓮が咲いてる、日本の池だよ」
「いこうよ。達也の研究が成功したら、何度でも日本に行けるんだよね?」
私の問いかけに、達也はまるで、自分の中の何かを投げ捨てるかのように、「はは」と、小さな笑い声を漏らした。
「研究は無駄だよ。僕のも、アグスさんのもね。あんなの、自分に出来ることがないのを誤魔化してるだけだ」
「どうしてそんなこと言うの? 達也らしくないよ」
「僕らしく……?」
達也は少しだけ振り返ると、頭にかぶっていた黒い兜を外して見せた。彼の口から、鋭い八重歯が突き出している。
八重歯……と言うよりこれは、牙だろうか。赤く充血した瞳が、涙に濡れていた。
――達也が、魔物化しかけてる……!
はっと息を呑んだ私を見て、達也は兜をかぶり直し、また後ろを向いた。
「分かった? 僕はもう日本に帰れない。研究はおしまい」
「待って、大丈夫だよ! ノーラの闇に当てられただけだよね? ターク様に、浄化してもらおう!」
「冗談じゃないよ」
私の提案を、食い気味に拒否した達也。闇に浸されると、例えそれが、良くない状態だと分かっていても、光に浄化されたいとは思わない。
私にもそれは、よくわかっていた。
普通ならこんな状態で、こんな風に会話できるだけでも凄いのかもしれない。達也はギリギリの理性で、私に最後の別れを言いに来たのだ。
「達也、お願い……!」
「それだけは絶対嫌だよ。それに僕は、まだやることがある」
「いったい……何するつもりなの?」
「君がいる、この世界を守る」
達也はそう言うと、スッと上空に飛び上がった。「待って!」と声をかけたけれど、彼はそのまま、飛び去ってしまった。
――達也。あなたに一体、何があったの?
呆然としている私の頬を、肩の上にいたヤーゾルがつつく。
「ミヤコ、戻らないと、馬車がなくなっちまうヤー」
「本当だね、ありがとう。ヤーゾル」
とぼとぼと馬車があった場所に戻ってみると、他の皆も、全員無事に戻って来ていた。
ぐぅぐぅ眠るオーガを警戒しながら、キョロキョロと私を探してくれているようだった。
「よかった! ミヤコ、無事だったのね!」
「ミレーヌ……みなさん、無事でよかったです」
「小さい氷の精霊達が、僕たちのこと、精霊狩りと勘違いして攻撃してたみたいなんだよね」
「誤解が解けてよかったですわ」
「ヤーゾルが精霊達に言ってくれたんだよね。ありがとう」
みんなにお礼を言われ、照れたように頭をかいたヤーゾル。彼は人間が本当に可愛いのか、気になってついて来ていたようだ。
「それで、ヤーゾル。人間は可愛いかったんですの?」
「可愛くはないんだヤ。でも、ミヤコの焦ってる顔は面白かったんだヤ」
「ヤーゾル、ひどい」
「霧、晴れたね。暗くなる前に村につきたい。小池には何もなかったし、出発しよっか」
「あ……はい」
達也が来ていたことを言い出せないまま、私はみんなについて馬車に乗り込んだ。座った私の膝の上に、ピョンっと、黒い猫が飛び乗ってくる。
「ライル! ノーラの飼い猫ってやっぱり、あなたなの?」
「うん? 僕はガルベル様の遣いだよ。心配だから見張ってろってさ」
「ミヤコさん、ずいぶん小さいのに好かれるんですのね」
肩にヤーゾル、膝にライルを乗せた私。ヤーゾルとライルは、目が合うとプイッとそっぽを向いた。
そこから、私たち大願を叶え隊を乗せた馬車は、精霊達に邪魔されることもなく順調に進みはじめた。
そして、その日の夜には、ルカラの森を抜けてすぐの場所にある、ベラ村に入った。
一人取り残された宮子の元に、ヤーゾルがやってきました。とても小さい彼ですが、宮子を励まし魔法の威力をあげてくれます。
それでも窮地に陥った宮子を助けたのは、真っ黒な鎧を着て現れた達也でした。どういう訳か魔物化が始まり、鋭い牙が生えてしまった彼は、日本へ帰ることを諦めてしまった様子です。彼はいったい、何をしようとしているのでしょうか。
次回、第十八章第十一話 ベラの夜。~たとえ恋が叶わなくても~をお楽しみに!




