10 おとなしくして。~僕はそろそろ限界だよ~
場所:モルン山
語り:名城達也
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「呼んでる……呼んでるよ……」
道に迷った僕は、これ以上闇雲には歩けないと、迫り出した大きな岩の下に彼女を下ろし、身を潜めた。
雨が強くなってきて、濡れた体が凍え始めている。
一度気持ちを落ち着けて、どちらに進むべきかも、よく考えたかった。
だけど、ちょっと様子のおかしいみやちゃんは、さっきから全く落ち着きがない。
僕が止めるのも聞かず、何度言っても立ち上がり、痛めた足で、雨の中に歩き出そうとするのだ。
「待って、行かないで、みやちゃん」
「でも、呼んでる……」
「まさか、秘宝に呼ばれてるの?」
「……願いを叶えにおいでって……」
「だめだよ。僕と小屋に戻ろう」
彼女はどうやら、精霊の秘宝の呼び出しにあっているみたいだった。
だけど、彼女が場所を知っている精霊の遺跡は、アーシラの森にある遺跡だけのはずだ。そんなの、メルローズに帰るよりずっと遠い。
僕は彼女の腕をつかんだけれど、彼女はそれを、振り払おうと腕をふった。
「いや、離して! 達也、いや!」
「騒いじゃためだ」
虚な目で暴れる彼女を、僕は無理矢理、抱きしめた。
どうして今、こんな時に、みやちゃんにこんなに、拒絶されなきゃいけないんだろうか。虚しい気持ちで胸が押しつぶされそうだ。
「みやちゃん、僕の言うこときいて。おとなしくして」
僕が耳元でそう言うと、彼女は急に大人しくなった。
僕に抱きしめられたまま、気のぬけたような声で、彼女は「はぁい」と返事をする。
――え? どうしたのかな……?
少し困惑しながらも、僕は彼女をもう一度、岩陰に座らせた。今度はかなり素直に、言われるままに腰を下ろし、そのままじっと僕を見上げている。
「みやちゃん、遺跡はすごく遠いからね? 歩いて行けないよ。分かる?」
「はぁい」
「今から、僕と、ガルベルさんの小屋に帰るよ? いいね?」
「はぁい」
「……ね、好きって言ってみて?」
「すきぃ」
――なっ、なにこれ!?
何を言っても、素直に返事をするみやちゃんに、僕は震えた。これは意外と、そう、意外とレアだ。
彼女は僕が「必殺お願い攻撃」をした時くらいしか、僕の言うことなんて聞いてくれないし、最近はそれも、使いすぎたのか少し、呆れた顔をされてしまう。
このみやちゃんは、完全におかしい。
――これ、僕の囁きで、暗示かかってるね?
――ってことは、もしかして、みやちゃん、僕のいいなり……?
次の瞬間、邪としか言えない考えが思考を埋め尽くし、僕はそのままフリーズした。
僕が、物心ついた頃から片思いしてきたみやちゃん。
逃げられないようにと散々手を尽くしたつもりが、結局避けられ、自分と同じ顔のやつに、あっさり取られたみやちゃん。
諦めきれず、異世界に残ってみたけれど、彼女は僕の言うことなんて、本当に全然きいてくれない。
そのみやちゃんが、今、僕の、言いなりになっている。
今少しでも口を開いたら、僕はきっと、闇に堕ちるだろう。
だけど、僕は、ずっと不満だった。
みやちゃんの幸せを邪魔できないと、こんな怖い異世界で、ずっと我慢してきたけれど、それもそろそろ限界だ。
今、このまま彼女をあの遺跡に連れて行けば、秘宝で異世界ゲートを起動し、僕は簡単に、彼女を日本へ連れて帰れるかもしれない。
日本へ帰ってしまえば、もう、僕達を邪魔する奴はいないはずだ。
――だめだ、そんなことして嫌われたら、元も子もないだろ。僕、しっかりしろ。
自分の頬を両手で叩き、僕は気合いを入れ直した。
みやちゃんが歩いて行こうとした方向の、反対に進めば、多分小屋に帰れる筈だ。
煩悩と戦ってるうちに、雨がまた小降りになってきた。
「行くよ、みやちゃん。おぶるから、背中に乗って」
「はぁい」
「魔物がでたら歌ってくれる?」
「はぁい」
僕の濡れて汚れた背中に、素直によじ登ってきたみやちゃんを背負い、僕は再び歩き出した。
耳元で、彼女が歌い出す。
「月の光に 照らされて……♪
妖しく光る闇夜の……」
――チャームのやつ!?
「ちょ、ちょっと、みやちゃん!? その歌ダメ! せっかく戻ってきた僕の理性ふっとばしてどうするの!?」
「は、はぁい……」
「ご、ごめん。お豆の歌、歌ってくれる?」
「……ま~め ま~め 豆ダンス♪」
「そ、それじゃなくて……」
胸がバクバク音を立てているけれど、チャームは発動しなかったみたいだ。
あの術はたぶん闇属性だから、土属性になったみやちゃんには、そもそも使えないのだろう。
――はぁ。危なかった。もうこれ以上、僕を魅了するのはやめてよね。
そんなことを考えながら、周囲を警戒しつつ暗闇の中を歩く。
そんな僕の頭に、あの声が響きはじめた。
『タツヤ……こっちよ、こっちへきて』
――ノーラ……? 僕を愛している、闇の精霊……。




