02 カミルとアグス。~叶えられた願い~[挿絵あり]
場所:アーシラの森
語り:カミル・グレイトレイ
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――五年前。アーシラの森で。
遺跡で秘宝を手に取り、精霊の闇に侵された僕、カミル・グレイトレイは、全身からゆらゆらと闇の蒸気を放ちながら、森の中を彷徨っていた。
ひどく息苦しくて、喉がカラカラだ。目も霞むし、頭も痛い。
そして何より、少しでも気を抜けば、正気を失いそうな仄暗い感情が、僕をジリジリと侵食し始めていた。
――どうせなら、タークを……殺せって叫べば良かった……。闇に侵されただけで、願いが叶わないなんて……。
帰る方向も見失い、ふらふらと森を彷徨う僕の背後から、ザクッと土を踏みしめる音が聞こえた。
振り返ると、金の片眼鏡に白衣姿の、細身の男が立っていた。タークの父、アグス・メルローズ伯爵だ。
「お前……カミルか……? その姿……まさか……」
「アグス様……?」
倒れるように木の影に座り込んだ僕の前に、アグス様が駆け寄った。タークと同じ真っ黒い瞳が、困惑の色に染まっている。
「カミル、いったい何があったんだ?」
「ぼ、僕……精霊の秘宝を使って……」
乾いた喉から声を絞り出すと、アグス様は訝しげに顰めていた眉を持ち上げ、目を見開いた。低くて渋い彼の声が、驚きで少し高くなる。
「何だって?」
彼は、慌てた様子で手に持っていた大きなバッグを開いた。そこから取り出したのは、奇妙なデザインのグローブだ。金の歯車が付いたそれは、闇を防ぐアグス様の魔道具だろうか。
彼はそれで、僕の目を開いて瞳孔を見たり、口を開かせて喉の奥を見たりして、僕の身体を診察し始めた。
「ひどいな。どうして、そんな無茶をしたんだ? こんなになってまで、秘宝に何を願った?」
眉間にしわを寄せながら、真剣な顔をするアグス様。
「僕、タークを元に戻したかった……だけど、失敗したみたいです……」
僕の言葉を聞いたアグス様は、大きなため息をついてから、僕の頭を長い指でぐしゃぐしゃと撫で回した。
アグス様はタークが光り出した頃から、ずっと研究に没頭している。その顔は昔に比べるとかなりやつれ、何日も寝ていないような大きなクマが、鋭い眼光の下に広がっていた。
だけど僕はこの時、アグス様が凄く優しい顔をしてる気がして、なんだか嬉しくなったんだ。
瞳に涙を浮かべた僕に、アグス様はこんな事を聞いてきた。
「カミル、秘宝は何色だった?」
「……真っ黒で……怪しく、光っていました」
「それは、こんな石か?」
アグス様はそう言うと、丈の長い研究用の白衣の下から、薄黒い宝石を取り出して見せた。それは、精霊の遺跡で僕が使った秘宝と同じ種類の石に見えた。
「え……? これ……精霊の秘宝……?」
「いや、これは、レア鉱石シェンガイトだ。しかし、やはりな。私の予想通り、精霊の秘宝はシェンガイトだったか」
顎髭をいじりながら、アグス様は鋭い目を輝かせ、ニヤリと笑った。
「アグス様は……もしかして遺跡を探してたんですか……?」
「あぁ。タークを元に戻してやりたいのは私も同じだからな。だがお前のおかげで、その願いは叶いそうだ。良くやったぞ、カミル」
アグス様が優しい声で、僕を褒める。まるで、タークが光り始める前のアグス様に戻ったみたいだ。
「……どう言う事……?」
「この石を持ってみろ」
アグス様がその宝石を僕の手に乗せると、僕の身体からゆらゆらと立ち上がっていた黒いモヤが、ゆっくりと石の中へ吸い込まれ始めた。薄黒かった宝石が漆黒に染まり、妖しく光り始める。
「アグス様、これは……!?」
「要するに、精霊の秘宝は、シェンガイトに精霊の吐き出す闇のモヤを吸収させたものだという事だな。モヤは石の中で凝縮され、闇の魔力に変わるようだ……」
「す……すごい……」
驚いて目を丸くした僕をみて、アグス様はニヤニヤしながら、また一つ、懐から別の石を取り出した。
「今度はこっちを持ってみろ」
「これは……?」
その石は黒いけれど、タークが放つ癒しの光と同じ、金の光をまとっていた。
――タークみたいな石だ……。
それを手にしたとたん、僕から立ち上がっていた黒いモヤが、シュンッと消えるように石に吸い込まれ、同時に、石がまとっていた金の光が弱まった。
それを見たアグス様は、目を輝かせ、豪快に高笑いをはじめた。
「ん、ふふ……ふふふ。ははははは! 見ろ! 消えたぞ! やっぱりな! あの忌々しい癒しの光は、精霊の闇に相殺されるのだ! ははは!」
「ア、アグス様、この石はいったい……?」
「ここ数日、タークに持たせていたシェンガイトだ。どうだ? 分かったか? 膨大な量の闇の力があれば、タークの光は消せる!」
「す、すごいです! アグス様!」
さっきまで闇に堕ちかけていた僕だけど、身体から黒いモヤが消え、辛かった色々な症状が治っていた。この石があれば僕は全然平気そうだ。
「あぁ、だが、あの遺跡の秘宝だけでは、タークの癒しの力を消し去る事は出来ないだろう。あの光を根絶やしにする為には、もっと大量のシェンガイトを集め、闇の力を溜め込む必要がある」
「それって、危険じゃないですか?」
「もちろん危険だ。しかも、物凄く金がかかる。お前が今手に乗せているその石の価値は、一億ダールだ」
「一億ダール!?」
「ああ、私の計算では、少なくともそれが後千個は必要なのだ」
「そんなに!?」
いくら伯爵のアグス様でも、千億ダールはとんでもない金額のはずだ。アグス様の言葉に絶望した僕が口を開いたまま固まっていると、アグス様はにっこり笑って僕の頭を撫でた。
そして、不思議な手袋をはめた大きな手で、シェンガイトを握る僕の手を、包み込むように握りしめた。
「カミル、この石はお前が持っていろ。その遺跡の鍵と交換だ。闇に飲み込まれないよう、肌身離さず持っておくんだ。いいな?」
「え? いいんですか? これ、一億ダール……」
「金なら私が何とでもする。今は戦いのさ中だからな。私の魔道具は高値をつけても飛ぶように売れている。ミアも手伝ってくれているしな」
「ミアは……もしかして、タークのために……?」
「カミル。私を憎んでいる方が、あいつは楽なはずだ。下手な期待もさせたくない。余計なことは言うんじゃないぞ」
「アグス様……」
アグス様の疲れた顔が、悲しげに曇る。いくらミアが望んだからと、少女を犠牲にする事を優しい彼が良しとしている訳もない。
最愛の息子の嫌われ役になる事で、そのやるせなさを誤魔化そうとしているみたいだ。
――きっとアグス様は、何が何でもタークを元に戻したいんだろうな。
――こんな酷い顔になるまで慣れない森を歩き回って、本当に、アグス様は必死なんだ。
僕がこくんと頷くと、アグス様は「ああ、それから……」と続けた。
「その石に闇を貯めるには上限がある。闇が溢れては困るからな。ある程度溜まってきたら、私のところへ持ってきて、新しい石と交換するんだぞ。これで闇に染まったシェンガイトをどんどん貯めて、私と一緒に、タークを元に戻そうじゃないか」
「なるほど、分かりました!」
僕がアグス様に協力を約束すると、アグス様は嬉しそうにまた僕の頭を撫で回した。
――タークとうまくいかなくなったアグス様は、きっと寂しいんだろうな。
精霊の秘宝に「タークを元に戻す方法を教えて」と願った僕は、さっそくその願いを叶えた。あの秘宝は、本当に願いが叶うみたいだ。
タークの力で秘宝が闇の力を失えば、僕やイーヴ先生が、秘宝に呼び出されて苦しむ事もなくなるだろう。
その時、闇に沈みかけた僕の心は、希望の光に満ち始めていた。
闇に堕ちたカミルにレア鉱石シェンガイトを持たせ、その力を確認したアグス。彼はカミルから吐き出される精霊の闇を石に込め、タークから癒しの力を取り除こうと考えているようです。
次回は一年前のカミルのお話です。王都に戻り大剣士になったターク。久しぶりに会ったカミルに、ターク様は迫ります。




