04 悪夢が見せた記憶。~お前の意地を見せろ~
場所:タークの屋敷
語り:ターク・メルローズ
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鉱山の街ポルールの北にあるルカラ湿地帯は、そのおよそ半分を巨大な黒いモヤが覆い尽くしている。
一歩間違えてそこに足を踏み入れれば、一寸先も見えないばかりか、普通の人間ならあっという間に気を失い、底なし沼に沈んでしまう。
魔獣達は明らかにそのモヤの奥からやってくるのだが、大魔導師ガルベル様でさえ、その奥に足を踏み入れようとはしなかった。
しかし私は、この身体から溢れる癒しの加護のおかげで、モヤの中に居ても影響を受けない。それどころか、私が沼池を歩くと、モヤの方がしゅんと消えてしまうくらいだった。
私はその日、イーヴ先生に反対されながらも、調査のため一人沼地の奥まで出向いた。
泥に足を取られ、沈まないように注意しながら、視界の悪い中をゆっくりと進む。
ゼーニジリアス、その正体を掴み、魔獣の発生源を叩かない事には、この戦いは終わらない。
私はどうしても、このモヤの奥を調べる必要があった。
――進まない……足元と視界が悪すぎる……。
私がモヤに入って一時間も経った頃、突然私の周囲のモヤが消し飛び、開けた視界の中に、古めかしいゲートが現れた。
――なんだ? 敵本拠地への入り口か?
身構える私の目の前で、ゲートから一人の男が現れた。
「ターク、お前に用がある。ついてこい」
白衣姿に金の片眼鏡……私の前に突然現れたのは、私の父、アグス・メルローズだった。
「なぜ、こんな所に父さんが……?」
「いいからこい。ゼーニジリアスに会わせてやろう」
私は父に言われるまま、そのゲートをくぐった。
ゲートの先は、グレーの石で作られた苔生した建物の中だった。
目の前には、石の椅子に座った白い鎧姿の男。男の両脇には、沼地から現れるのと同じ魔獣が二匹と、顔の見えない闇魔導師が二人。
「おまえが、ゼーニジリアスか……?」
腰まである銀色の髪をかきあげながら、男が立ち上がる。かなりの長身でスラリとしていて、少し気取った感じのする男だ。
青白い肌に冷ややかな赤い瞳。身体が二倍のサイズに見えそうな程の強い威圧感。
身構える私を見て、男は口元に笑みを湛えた。
「そうだ。よく来たな、不死身のターク」
次の瞬間、私は石の床に膝をついていた。
「父さん……!?」
何かを背中に押し当てられ、身体に力が入らない。父はそのまま、私を翡翠のような緑の石がついた拘束具で縛り上げた。
――この石は、精霊狩りの檻の……。
「耐えろターク、お前の意地を見せろ」
私にしか聞こえないような小さな声で、父が囁く。
身体に力が入らないまま、牢屋の中に吊るされた私は、ゼーニジリアスからこれでもかと拷問を受けた。
だが、何よりも私を傷つけたのは、それを父が何も言わずに観ている事だった。
「ク……ハハハ! 息子の弱点を敵に売り、自ら作り出した道具で拘束までするとは恐ろしい父親だな。あの小娘が実の息子より大切か? お前のようなものこそ闇の軍勢にふさわしい。なぁ、アグスよ」
楽しそうに繰り出される奴の剣技は凄まじく、私は形が無くなるほどに切り刻まれた。しかし、私の再生能力はその上を行っている。
死なない私に次第に怒り始めたゼーニジリアスの後ろで、切り刻まれては再生する私をただ見ている父。
「父さん……助けて……!」
苦痛に耐えかね声をあげた私から、父は目を逸らした。
いつだってそうだ。
ずっと前から知っていた。
父が私を嫌っている事は……。
だけど、ここまでなのか?
どうしてここまで、私を嫌う?
あの時、父さんを置いて帰ったからか?
それとも、母さんを守れなかったからか?
絶望が私の心を闇に突き落とそうとしている。だが、癒しの光がそれを許さなかった。
光と闇のせめぎ合いの中、私の心は崩壊し始めた。
ひび割れた心の隙間から、これまでの記憶や感情が漏れ出しては消えていく。
――あぁ、全て溢れてしまう。何も救えないまま……使命も果たせずに……。
「チッ気持ち悪いヤツだ。何しても回復しやがる。まぁいい。拘束出来ただけでも……」
ゼーニジリアスが諦めかけたその時、心をこぼした私は、突然幼児化した。
「う……ぐす……いたいよぉ! どうちて……ぼくに、おちおきするの? ふぇ……ん。パパ……。たちゅけて……」
「ク、ハハハ。なんだ、親に捨てられたショックでおかしくなったか? これは愉快だな! ククク。これなら放っておいても問題ないだろう。行くぞアグス。私は忙しい」
父はゼーニジリアスに連れられ、私を置いたまま牢獄を出て行ってしまった。
置き去りにされた私に、残っていた魔獣達が襲い掛かった。
△
「うあぁあー! もう、やめろ! やめてくれ!」
叫びながら飛び起きた私は、自分の部屋のベッドの上に居た。
激しい動悸に、はぁはぁと息が上がっている。
「ターク様、大丈夫ですか?」
私の叫び声が聞こえたのか、扉からミヤコが駆け込んできた。
「ミヤコ……ミヤコ……!」
慌てて私の手を握ろうとする彼女を、私は必死に抱きしめた。
「ミヤコ……もうダメだ……私はもうダメだ!」
「ターク様、落ち着いてください、私が居ますよ! ほら、顔を見せてください」
「ダメだ……今は見せられない。酷い顔なんだ」
涙が溢れて止まらなくなった私は、離れようとするミヤコを、もう一度しっかりと抱き寄せた。
今、ミヤコを離したら、私はまた崩壊してしまいそうだ。
「悪夢を見てしまったんですか?」
「違うあれは夢じゃない……。思い出したんだ。私は遺跡で、実の父に拘束され、敵に引き渡された……」
「そんな……! そんなの、何かの間違いじゃないですか?」
「間違いない……私がゼーニジリアスに拷問されるのを、父はずっと見ていたんだ……」
「そんな……」
ミヤコの腕が私の背中に回り、私をギュッと抱きしめ返す。
――あれ……なんだ……? ミヤコに抱きしめられてしまった……。わ……どうしよう。
急に、我に帰った私の胸が、違う意味で高鳴り始めたその時、私の背中に触れた彼女の指先が、ピタリと動きを止めた。
「ターク様、寝汗が酷いです。私、タオルを取ってきます」
「わ……すまない」
私は慌てて彼女を離すと、頭からシーツを被り、顔を隠した。
――しまった……こんな汗だくでミヤコを抱きしめて……。だけど、彼女が近くにいてくれなかったら本当に危なかった……。
「ターク様……?」
シーツをめくり、私の顔を覗き込んだ彼女が、タオルで額の汗を拭ってくれる。
「すまない……もう、大丈夫だから……」
「でも、今日は、お休みにしませんか? ずいぶん顔色が悪いですよ」
ミヤコの柔らかな手が私の頬に添えられ、親指の先が私の涙を拭った。
――あー、もう。また抱きしめたくなる。これも、タツヤが塗り込めて行った想い……か? あいつ、とんでもなくミヤコが好きだな……。
「本当に、大丈夫だよ」
慌てて起き上がった私は、彼女にくるりと背中を向けた。
「だが、行かなくてはならない場所が出来た。やはり今日は歌姫は休みだな」
私がそう言うと、ミヤコはまた声を大きくして、「じゃぁ私、ついていきます!」と言いだした。
顔を見なくても、彼女がどんな無垢な表情で私を見ているのか分かってしまう。
――なんて可愛いやつなんだろう……。例えこの感情を植え付けたのがタツヤだとしても……私は間違いなく、ミヤコが好きだ。
――何度否定されても、私はその度確信するだろう。
――だけどもう、この気持ちをお前に伝える日はこない。
「いや、一人で行く。ミヤコは待っていてくれ」
「どこへ行くつもりですか? 私、今日はターク様から離れるつもりありませんから!」
「……分かった。なら、準備してこい。ゆっくりでいいぞ」
ミヤコがメイドの部屋に戻り、準備をしている間に、私はこっそりと屋敷を抜け出した。
父親に拘束され、ゼーニジリアスに拷問を受けたことを思い出したターク様。取乱し宮子を抱きしめた彼ですが、恩人の達也を裏切ることも、宮子をこの世界にとどめる事もはばかられます。
次回、ついて行くという宮子を置いて屋敷を出たターク様。彼が向かった先は王都の訓練所でした。




