01 遺跡に眠る体。~帰りたい、帰りたくない~
場所:タークの屋敷(客室)
語り:小鳥遊宮子
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森の上空をひとっ飛びして、私、小鳥遊宮子は精霊の遺跡に到着した。ガルベルさんがゆっくりと箒を地面に近づけ、私と達也は石畳の上にふわっと降ろされる。
竜巻のように勢いよく周りの木々を揺らしながらイーヴさんが実体化すると、風のなかからターク様がふらふらとよろけながら現れた。
「ここが…精霊の遺跡? ミヤコを連れてきて良かったんですか? この場所を知ったものは秘宝に呼び出されるんじゃ……」
遺跡の扉を前に不安げな顔をするターク様に、ファシリアさんが答える。
「大丈夫よ。ここの秘宝は魔力をすっかり失ってるから。次にあれだけの魔力が貯まるころには、ミヤコはここにいないでしょ」
「そ……そうですね」
私たちは扉の鍵を開け遺跡のなかに入った。
秘宝が闇の魔力を失ったせいか、遺跡にかかっていたという黒いモヤは綺麗に消えて、魔獣や闇魔導師達の姿もない。
足を踏み入れると、静まり返った石造りの建物のなかに、コツンコツンと靴音が響いた。
迷路のように入り組んだ薄暗い通路を奥へ奥へ進み、地下へ降りると、そこに置かれた石の台のうえに、私の体は寝かされていた。
あの日、山を登るために着た、長袖長ズボンのままの姿だけど、倒れた時にできたはずの頬の傷などは見当たらず、とても綺麗な状態だった。
「これが……本当のミヤコか。不思議な格好をしてるな」
珍しそうに日本の服を眺めるターク様に、「ターク君、みやちゃんに触らないでね」と釘を刺す達也。
ターク様は黙ったまま一歩後ろに下がった。
――ターク様、達也に頭が上がらないみたい……。
そんなことを思っていると、達也が私の顔を覗き込んだ。
「早くもとの身体に戻って、僕と日本に帰ろう。いいよね? みやちゃん」
私の目をまっすぐに見て、私の意思を確認する達也。
「う、うん」
そう答えたものの、複雑な想いが胸のなかで絡まりあっている。
――帰りたい……帰らなきゃ……。でも……。
ゴクリと唾を飲んだそのとき、ライルが私の足元で「にゃぁ」と鳴いた。
「ライル……来てくれたんだね」
ライルを抱きあげてギュッと抱きしめる私。
――帰りたいけど、帰りたくない……。暗示が解けないと、ターク様は、まだまだ不安定に見えて心配だし、ライルも可愛いし……。
――それに、私が急に日本へ帰ってしまったら、青薔薇の歌姫の奇跡を待っている、この国の人達を悲しませてしまうんじゃ……。
――だけど、日本に早く帰りたい理由もたくさんあるし、達也は一刻も早く日本へ帰してあげたいし……。
ぐるぐる考え混んでいると、ターク様が口を開いた。
「だが、日本に帰る方法はあるのか? ゲートを動かす秘宝は、魔力が尽きたんだよな?」
「そう言えば……」
首をかしげる私達を見て、達也は「はぁ」と愚痴るようにため息をつく。
「そうなんだよ。だからさ、ルカラ湿地帯にあるっていう、もう一つの精霊の秘宝をあてにしてるんだけど、どうもそれ、ゼーニジリアスが持ってるみたいなんだよね」
「なるほど……それで、ターク様次第って言ってたんだ?」
「そうなんだよね……だけど、ターク君はまだ呪いがかかってるから直ぐにゼーニジリアスを捕まえてやっつけるってわけにもいかないよね」
「う……」と黙り込むターク様と、「ふーむ」と唸り、肩を落とす達也。
私達が日本に帰るには、ポルールの北の沼地にいると思われる、ゼーニジリアスを探し出し、やっつけて秘宝を取り上げないといけないらしい。
「だけど、戦いが始まって五年、未だにゼーニジリアスの姿を見たものはだれもいないわ」
「あの、沼地を覆っている精霊の闇のモヤのなかに隠れているんだろうな」
イーヴさんとガルベルさんも、「うーむ」と顔を顰める。
ターク様の書庫にあった地図で見た感じ、ルカラ湿地帯は王都が二つ三つは入りそうな、かなりの広さがあった。
イーヴさんの話では、湿地帯には大きな闇のモヤがかかっており、そこから巨大な魔獣がうようよ湧いてくるらしい。しかも、足元は底なし沼のようになっていて、普通に歩くこともできないと言う。
しかも、沼地のモヤのなかを一人偵察していたターク様は、遺跡で発見され拷問を受けていた。
――そんな場所から、人ひとりを見つけ出すなんて……。
私が眉をひそめると、イーヴさんとガルベルさんが、キリリとした顔で言った。
「タツヤ君、ミヤコ君、ゼーニジリアスは私たちがきっと見つけてみせる。すまないが、それまで待っていてくれるか?」
「アグスに聞けばきっといい案が思いつくはずだわ」
ターク様のお父様であるアグスさんは、天才的な魔道研究家で、いつだって最適なアドバイスをくれるのだとガルベルさんは言った。
「よろしくお願いします」
「当然だよ。二人には迷惑ばかりかけてすまない」
――どうも、まだすぐに日本に帰れるわけじゃないみたいね……。
なんだか妙にホッとした私は、ライルの頭を撫で回す。
――せめてもう少しだけ、このまま……。
帰りたいとは思いつつ、どうしてもそんなことを考えてしまう私。
すると、達也がスッと前に出て、石のうえに寝かされている私の身体の足元に立って言った。
「みやちゃん、日本にはまだ帰れないけど、とりあえずもとの身体に戻ってくれる?」
「え……どうして……?」
――もとの身体に戻ってしまったら、歌姫活動が……。
困惑顔の私に、達也は真剣な顔で言った。
「この間ガルベルさんがきみを戦いに連れていくと言い出してわかったんだ。このままここにいたら、きみは必ず戦いに利用される。いまもそうだよね? 歌姫の奇跡だなんて言って盛り上がってるけど、きみはすでに利用されてるよ」
「で、でも、みんな喜んでくれてるから……」
思わずターク様の顔を見る私。
だけど、ターク様は目を伏せて首を横に振った。
「ミヤコ、タツヤの言うとおりだ。歌姫は有名になりすぎた。このままでは、お前を無理やりにでもポルールへ連れていこうとするやつが必ず現れる。もとの身体に戻ったほうが安全だ」
――ターク様まで……。ちょっとショック。そういえば、この二人、揃って心配性なんだった……。
思わず唇を尖らせた私に、達也がさらにつづける。
「それにね、みやちゃん。この身体は精霊の遺跡に残っていた魔力で維持してたんだ。だけど、この遺跡はもう、力を失いつつある。このままじゃ身体が傷んでしまうよ」
「ええっ!? それは困る!」
私は慌てて自分の身体に駆け寄った。
歌姫でいられなくなるのは残念だけれど、自分の身体が腐っていくのを放っておくわけにはいかない。
――まぁ、魔力がなくなってしまえば、ターク様に子守唄を歌ってあげられるようになるし、それはそれでいいかもね。
「わかったわ。でもどうやったら戻れるのかな?」
「もとの身体に意識を集中させて、戻りたいって願えば戻れるんじゃないかな? 多分だけど」
少し自信なさそうにそう言う達也。ターク様の心の殻を治し終わった達也は、簡単にもとの身体に戻れたという。
「はぁ、歌姫ちゃんが魔力を失うなんて残念だわ」
「ガルベル様、これ以上ミヤコ君を巻き込むことはできませんよ」
「ミヤコ、やれそうか?」
「……やってみます」
抱いていたライルをそっと石の台の上におくと、可愛らしい大きな瞳が、心配そうに私を見あげた。
皆が見守るなか、自分の身体の横に立った私は、そこに向かって意識を集中させていく。
――この身体を抜けてもとの身体へ……。
目を閉じた私の脳裏に、ミレーヌの身体に入ってからの記憶が、走馬灯のように駆け巡っていった。
はじめてこの身体に入ったときは、全身ムチに打たれて傷だらけだった。身体中すごく痛くてたいへんで……。しかも腕には気持ちの悪いゴイムの刻印まであって。
だけど、この身体が自分の身体じゃないなんて、ミレーヌの記憶を見るまで、全く気がつかなかった。
ターク様に毎日ベッドで治療してもらって、前よりツヤツヤになった肌が嬉しくて。
魔力があることに気づいてからは、微力ながらターク様に恩返しできるのも嬉しかった。
だけど、ミレーヌがずっと静かなままだったのが少し残念だ。達也とターク様みたいに、心のなかで会話できていたら、私たちはどんな話をしただろう。
――ミレーヌ、いままでありがとう。身体は返すから、あなたもそろそろ戻ってきてね。
身体がグラグラと前後に揺れているように感じて、集中すればするほど、意識が身体から引き剥がされていく。
――抜ける!
そう思った瞬間、私の意識をおさえつけるように、なにかが身体のなかから抜け出していった。




