13 精霊の契約。~いつかまた罰が下る~
場所:ポルール
語り:イーヴ・シュトラウブ
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タークがメルローズに戻り、十日ほどがたった。
その日はまだ明け方だというのにかなり暑く、私、イーヴ・シュトラウブは見張りをしながら外の風で涼んでいた。
蒸し蒸しとした空気のなか、心地よい風が頬をかすめるたび、ファシリアのことを思い出す。
タークが十歳で癒しの加護を授かってから、戦いが始まるまでの約三年間、私は隙を見ては森に通い、ファシリアと共に、闇に堕ちたシュベールの世話をしていた。
そのころのファシリアはいつも元気に飛び回っていて、シュベールの闇に飲まれるような様子はなかった。
それなのに、遺跡で見た彼女は、不気味な黒いモヤになってしまっていたのだ。
――きっと元気にしていると、信じていたのに……。私がもっと会いに行けていれば……。
ファシリアが言うとおり、私は時折り、精霊の秘宝に呼び寄せられ、森の遺跡に足を運んでいた。
そんな時は転送ゲートを使うため、貴重なミア・グジェを物資倉庫からくすねなくてはならず、私はその度、自分の弱さに苛まれた。
なんとか秘宝を使わずその場を離れるのが精一杯で、こっそりファシリアたちに会おうという気持ちにはなれなかった。
くすねた魔力で愛する女性たちに会いに行ったのでは、罪悪感が余計に膨れ上がってしまうからだ。私は必死の思いで、何度も思いとどまった。
――あの様子を、まさかファシリアに見られていたとは……。
ファシリアは風に姿を変えることができる。知らぬ間に見られていてもなにも不思議はないが、彼女には見られていないと思っていたかった。
彼女は私が秘宝に魅せられている事に気づき、私の願いを代わりに叶えようとして、闇に堕ちてしまったのだろうか。
ふと顔を上げると、朝焼けの景色のなかに、キラキラと淡く、緑に光っている部分があることに気づいた。
――この光は……まさかファシリアか?
私はその光に駆け寄ると、「ファシリアなのか?」と声を掛けた。
『見つかっちゃった』
風になっていたファシリアが、光のなかからすうっと姿を表す。その姿は以前のまま、緑の風に包まれ、キラキラと輝いていた。
「よかった、ファシリア、無事だったのか!」
私が笑顔を見せると、ファシリアは悲しそうに少し俯いた。
『あなたをあんな目に遭わせたのに、まだそうやって笑顔を見せてくれるのね』
「当然だ、何度もいっただろう? 私はきみを愛していると」
私がそう言うと、ファシリアは拗ねたように口を尖らせた。
『タークやシュベールと同じように? あなた、ほかにももっとたくさん愛している人がいるんでしょ? あなたの愛は数が多すぎるわ』
「ファシリア、きみの言うことはもっともだが、私の愛に嘘はない。もう、無茶はやめてくれ」
手当たりしだいに目につくものを愛してしまう私の言葉を、信じない女性は多い。だが、私にだって特別はあるのだ。
『そうね。わかってる。実はあのときは、遺跡にかかっていたモヤを風で操っていただけなの。あなたが今後遺跡に近づかないように脅かしたかったのよ。私は昔から、遺跡に近づく人間を闇の精霊に化けて追い返していたの』
「あの物語に出てくる恐ろしい闇の精霊がきみだったなんて」
『わかったでしょ? 私はそんなによい精霊じゃないわ。腹が立ったら人間の街を吹き飛ばすくらいのことはしちゃうのよ』
秘宝を奪おうと近づく人間を、闇の精霊が惨殺するという物語はとても有名で、大人でも身震いするような内容だ。
だが実際に彼女に殺された人間などいないだろう。ファシリアはずっと、自分を悪者にしながら、人間が闇に堕ちないよう手を尽くしてきたに違いない。
「きみはよい精霊だ。私はきみが無事で本当にうれしいよ」
『やっぱりあなたはお人好しね。でもこれを聞けば、あなたもいよいよ私を憎むかしら……』
ファシリアはそう言うと、不安げな顔で私を見詰めた。
「どうしたんだ?」
『このままじゃタークの心はまた壊れるわ。タツヤは頑張ってるけれど、日本に置いてきた大事な人が心配なのね。とても不安定な状態なの。もしかするともうすぐ消えてしまうかも……』
ファシリアの声は重々しく、ひどく真剣だった。
「そんな……どうにかできないのか?」
『彼を安心させるため、日本にいるミヤコの元気な様子を伝えてあげたいんだけど……。彼女、毎日泣き喚いているのよ。悲しませないってタツヤと約束したのに……』
「どうしたら良いんだ……?」
『もう一度日本に行って、ミヤコを元気づけられないか試してくるわ。あなたの大切なタークを傷つけたこと、本当にごめんなさい。彼は必ずもとに戻すから。それじゃぁ、もう行くわ』
意を決したようにそう言って、スッと舞い上がったファシリアを、私は慌てて呼び止めた。
「待ってくれ、私も一緒に行くことはできないか? 私もタツヤ君の大切な人を元気づけたいんだ。」
『それがあなたの望みなら』
鈴の転がるような声が美しく響いたかと思うと、彼女は私の元にフワリと舞い降りた。そして、両手を私の頬に添え、彼女は私にキスをした。
その瞳には、深い愛が映し出されている。
途端に私の身体は緑の風につつまれ、重さを失った。どうやら私は、ファシリアの風の力を得たようだ。
「ファシリア……。まさか!?」
彼女がシュベールのように闇に堕ちてしまうのかと思った私は、不安に強張った顔で彼女を見つめた。
『大丈夫、風の力を投げ出したわけじゃないの。これはただの契約。私はあなたのためだけに力を使うと誓ったのよ。これであなたはいつでも風になれる』
「急にどうしたんだ?」
『わかったのよ。あなたの愛は全部本物だって。どれが本物かなんて、頭を悩ませた私がバカだったわ』
なにかを悟ったようにそう言った彼女を見て、私は小さなため息をついた。愛する女性にこんなことを言わせていたのでは、きっとまた私には罰が下るだろう。
愛が有限だというならば、できるだけ多くの愛を彼女に注ぎたい。
「ファシリア、私は本当にきみが大切だよ。きみが自由に飛び回る姿を見ることこそが、私の願いだ」
『信じるわ。それもあなたの願いのひとつなのね』
ファシリアはそう言うと、嬉しそうに私の周りを飛び回った。私が簡単には変わらないだろうことを、彼女はそのまま受け入れてしまったようだ。ものわかりのよすぎる彼女に、私は少し苦笑いした。
『イーヴ、あなたのそのエメラルドの瞳、風の力がよく似合うわ』
「ありがとう、ファシリア」
『さあ、早く行きましょう。ミヤコのところへ』
「あぁ!」
私たちは風になって、空高く舞い上がった。その高さとスピードは、ガルベル様の箒を遥かに凌いでいた。




