12 呪いじゃないのよ?~恐ろしい魔女の囁き~
場所:タークの屋敷(客室)
語り:小鳥遊宮子
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「ちょっと待ってください」
イーヴさんの話を聞いたターク様は、込みあげる怒りにワナワナと震えていた。
必死に彼から目を逸らしているガルベルさんを、真っすぐに見詰めるその眼差しは、鋭く尖りながらも光を失っている。
「僕が戦地に行けなくなったのって、ガルベル様、あなたの呪いのせいだったんですか……?」
知らされた事実の衝撃の大きさに、私、小鳥遊宮子は、震えるターク様の横顔を、唖然としながら見詰めていた。
――まさか、あんなにターク様を追い詰めていたものの正体が、ガルベルさんのかけた暗示だったなんて……。
「闇魔導師の精神攻撃じゃなく……あなたの、呪いで……?」
ターク様の声が、いつもの半分も出ていないことが、逆にその衝撃の大きさを表しているようだった。
動揺に激しく目を泳がせていたガルベルさんは、慌てて立ちあがり、イーヴさんの後ろに隠れた。
「もうー、イーヴ。その話は黙っておきましょうって言ったじゃないの! だいたい、呪いじゃないからね? 暗示だからね? ほら、イーヴ、誤解がないようにもっとちゃんとタッ君に伝えて?」
甘えるような声で助けを求められたイーヴさんは、呆れたようにため息をつきながら、首を横に振った。
「だから一から丁寧に伝えてるんじゃないですか。だけど、あなたはやりすぎなんですよ、ガルベル様。おかげでタークが落ち込みすぎて消えるところでした。反省してください」
「ひどいわ! イーヴ……! 全部私のせいだって言うの?」
ショックに大きな口を開いたガルベルさんは、両手で自分の頬を挟んで大げさに仰け反りながら、悲鳴のような叫び声をあげた。
ターク様はまるで、まったく二人のやり取りが聞こえていないかのように一点を見詰めたまま、ボソボソと呟いている。
「ま……まさか……僕……僕は……僕がどれだけ……悩み苦しんだと……」
「ターク様……」
あまりにもターク様が可哀そうで、私は思わず、膝のうえで震えている彼の手を握り締めたけれど、ターク様は放心したようにかたまったままだった。
それにしても、自在に人を操り、記憶まで消してしまうなんて、ガルベルさんの暗示は、本当に恐ろしい。
イーヴさんの話では、ガルベルさんがターク様にかけたポルールで戦えなくなる暗示は、最初は効果が五日ほどで、そこまで強いものではなかったらしい。
その効果を切らさないため、ガルベルさんはときどきこっそりターク様のベッドルームに忍び込み、暗示をかけなおしていたという。
ただ、寝ている間にかけようと思っていたら、ターク様があまりにも眠らなかったり、隣で寝ている私がなかなか眠らなかったりするものだから、暗示をかけなおすタイミングが難しかった。
ライルを見張りにつけてみたりもしたけれど、思うようにかけなおせなかったガルベルさんは、効果時間を伸ばすため、しだいに強力な暗示をかけるようになったというのだ。
「だって、箒で何度もポルールと往復するのがたいへんだったのよ」と、口を尖らせるガルベルさん。
そして、最後にかけた暗示は、ターク様を消えそうなほどに落ち込ませた、あの言葉で発動した。
『可愛いタッ君はそこで戦いが終わるまで指でもしゃぶってればいいわ』
この間ここで、私をポルールに誘ったとき、帰り際に彼女が囁いた言葉。それが、効果時間なんと一ヶ月の、超強力な暗示だったのだ。
ガルベルさんが帰ったあと、泡を吹いて気を失ったターク様を思い出す。
あまりにも酷くて、かける言葉が出てこなかった。
ターク様は見えないなにかを睨んだまま、またボソボソと話しはじめた。
「ガルベル様、あのとき、僕のこと、戦意がないとか、ふにゃふにゃだとかって楽しそうに罵ってましたよね……?」
さっきからずっと彼の声が小さすぎて、耳を寄せないと聞こえないくらいだ。それはまるで、火のついた導火線みたいに危うげな声だった。
「う……っ。念には念を入れようと思って……」
「ミヤコや……マリルやカミルを連れていくって言ったのは……?」
「ポルールの戦況がよくなれば、タッ君が安心すると思ったんだけど……逆効果だったみたいね」
「てへっ」と笑うガルベルさんに、ターク様のイライラが、ついに爆発した。
「冗談じゃないですよ! なぜ治るまでメルローズにいろと普通に言ってくれなかったんですか!?」
声を荒げ、立ちあがったターク様に驚いて、ガルベルさんはビクっと後退る。ついでに私も驚いて、握っていた手を思わずはなしてしまった。
ソファーの上に縮こまったガルベルさんは、見開いた眼でターク様を見あげながら、ボソボソといいわけをはじめた。
「だって、タッ君はなかなか言うこと聞かないでしょ? それに、余計なことは、知らないほうが修復が早いと思ったのよ」
前はあんなに強気な態度だった彼女が、こんなにビクビクしているのは、きっと『悪いことしちゃった?』という気持ちの表れなのだろう。
だけど、ターク様の治療に、ガルベル様の暗示は本当に必要なかったんだろうか。私がそう思ったとき、ずっと黙っていた達也が突然口を開いた。
「ターク君、実際にきみを休ませるには、この手しかなかったと思うよ。あんな強力な暗示のもとでも、きみはろくに休まなかったじゃないか。きみが無茶をすれば、僕はきみを治せなかった」
「……!」
達也にそう言われたターク様は、黙ってソファーに腰を下ろした。
達也の言うとおり、確かに暗示は必要だったのかもしれない。そうでなければターク様は、だれが止めても戦地に戻っていたはずだ。
だけど、やりすぎが原因でターク様が消えかかってしまったのも事実……。
あの日、ターク様が眠りにつき、代わりに達也が目を覚ましたときは、ターク様が消えてしまうのかと思うと、本当に怖かった。
あんなに心臓に悪い思いは、もう二度としたくない。
「もっと、よく眠れる暗示をかけるとかじゃダメだったんですか?」
私が思わずそう尋ねると、ガルベルさんは首を横に振った。
「タッ君に睡眠や沈静化の暗示をかけると、なかにいるタツヤにも効いちゃうのよ。それじゃ治療が進まないじゃない? その点、ポルールに行けなくなる暗示なら問題ないじゃない?」
「なるほど……」
私が納得した声を出すと、達也が話を急かした。
「まぁやり方は、ほかにもあったのかもしれないけど、済んだことを言っても仕方ないよ。いまはそれより、先の話をしようよ」
それを聞いたガルベルさんは瞳を輝かせ、大げさにぶんぶんと首を縦に振った。
そして、ここまでの会話を、フワフワしながら楽しそうに聞いていたファシリアさんが、くるりと回って小さな風を起こす。
「そうね、どうしてミヤコがこの世界に来ちゃったか、タークも気になるんじゃない?」
その風に顔を持ちあげられたターク様が「そうだな……」と呟いて、それを見たイーヴさんも、うんうんと頷いた。
「それ、私も気になります……!」
「先生、話を進めてください」
少し前のめりになった私とターク様に、イーヴさんが聞かせてくれたのは、日本とこの世界をつなぐ、不思議なゲートの話だった。




