10 もう止められない。~この想いは誰のものだ?~
場所:タークの屋敷(客室)
語り:ターク・メルローズ
*************
「イーヴ先生、嘘はよくないですよ」
ガルベル様の小屋での話を聞いた私、ターク・メルローズは、眉をひそめ、疑いの眼差しを先生に向けた。
「ガルベル様に涙なんて、流れるはずがないです。水属性魔法で騙されたんじゃないですか?」
あのガルベル様が、私のために牛乳を買いに走り、食事を作り、子守唄を歌っただけでなく、涙まで流したなんて、私には到底信じられなかった。
彼女は私が子供のころから、私に無慈悲な嫌がらせばかりしてきたのだ。
「なにかの罠ですよね?」
私が不信な顔で首をかしげると、彼女は顔を歪めて立ち上がった。
「タッ君、酷くない!?」
「いや、ガルベル様は確かに泣いていた。本当に、背筋が凍りそうだったよ」
イーヴ先生が追い撃ちをかけ、ガルベル様の顔が見る見る赤くなる。
「イーヴ!? 覚悟はできてるんでしょうね!?」
彼女が広げた片手にバチバチと電光を光らせると、「雷なら負けませんよ!」とイーヴ先生が立ち上がった。
どうでもいいが、私の屋敷を壊すのはフィルマン様だけにして欲しい。
私が二人を止めに入ろうとしたそのとき、先に二人の喧嘩を遮ったのはミヤコだった。
「ちょっと、待ってください」
眉間にしわを寄せ、立ち上がった彼女が見据えた先にいたのは、風の精霊ファシリアだ。
彼女のよくとおる美しい声が、戸惑いに震えている。
いまの話では、ミヤコがこうなるのも無理はないだろう。
彼女の泣きそうな顔を見て、私の胸に痛みが走った。タツヤが心のなかからいなくなっても、私はこの顔に弱いままだ。
「私を理由に、達也を脅したなんて、本当なんですか?」
ミヤコの問いかけに、ファシリアは飄々とした様子で答えた。
「愛のためなら消えてもいいなんて、ステキだと思わないの?」
精霊の語る愛。
はたしてそれは、人間の思う愛と同じものだろうか。
的外れな彼女の返答に、ミヤコは珍しくイライラしはじめた。
「ステキって……達也が消たらどうするつもりだったんですか!?」
「結果的に、消えてないんだからいいじゃないの。あなた、精霊が自分のすることに責任をもつとでも思ってるの?」
「そんな……! さっきからあなた、酷いですよ!」
顔を赤くして唇を噛んだミヤコを、ファシリアは不思議そうな顔で眺めている。まるで、なにを怒られているのかわからないと言いたげな顔だ。
「私を善だと思わないでね。気に入らなければ竜巻を起すのが風の精霊なんだから」
プクッと頬を膨らませ、傲慢とも思える態度を取るファシリアを、イーヴ先生が窘めた。
「ファシリア、きみはきみのままでステキだよ。だけどいまは、少しだけ静かにしてくれるか?」
不満そうにしながらも、ファシリアがイーヴ先生の後ろに下がる。
ファシリアは確かに恐ろしい精霊だ。
彼女に限らず精霊たちは皆、美しくて恐ろしい。彼女たちは自然そのものだからだ。
そんな彼女を簡単に鎮めてしまうイーヴ先生。やはり私の師匠は只者じゃない。
「みやちゃん、ありがとう。僕のために怒ってくれてうれしいよ」
タツヤに肩を抱かれ、ミヤコもソファーに座りなおした。
そんな二人を横目でチラリと見た私は、じりじりと身を焼く想いに、密かに唇を噛んだ。
この部屋に入ってから、この二人はべたべたしすぎだ。
さっきの膝枕なんて、正直言って、とても見ていられなかった。
それでなくても、自分と同じ顔のやつが目の前にいるだけで、十分気持ちが悪いというのに、そいつがミヤコに触れる。話しかける。見詰め合う……。
それが、こんなにモヤモヤするものだったとは、まったく想像もしていなかった。
目のやり場を失くした私は、窓の外に目をやった。
湿気に重くなった空がいまにも泣きだしそうだ。
今朝までの私なら、この燃えるような嫉妬心にまかせ、タツヤに敵意を向けていたかもしれない。
――だが、さっきの話はなんだ……。タツヤは完全な被害者じゃないか。
そして、ミヤコを守るためとはいえ、私の壊れた心を決死の思いで修復し、私の幼児化を治療した。
ずっと、煩わしいヤツだと思っていたが、彼は紛れもなく私の恩人だったのだ。
これでは彼が、「恩知らず」と叫びながら、私に襲いかかってくるのも、無理のない話だ。
私の嫉妬心は行き場をなくし、グルグルと目の前で渦巻いていた。
――ミヤコへの想いを私の心に塗り込めた……? なら、私のミヤコへのこの想いは……? これも、お前のものなのか?
ようやく掴んだと思った感情にも、また自信がなくなっていく。
彼がミヤコを日本へ連れて帰ると言うのを、私は止めることができるだろうか。
――とてもできない。止める、権利なんて、ある訳もない……。
「いいから話の続きをしましょう。イーヴ。本題はまだまだ先よ」
「そうね! 急いだほうがいいわ。じめじめしてる場合じゃないのよ」
ずっしりと重くなった空気のなか、ガルベル様が話を急きたてると、ファシリアが爽やかな風を起こし、淀んでいた部屋の空気が入れ替わった。
――これだけ聞いてもまだ話は途中なのか。私はもう、いますぐここから逃げ出したい……。
私の想いをよそに、イーヴ先生は再び話しはじめた。




