08 塗り込めた想い。~さようなら、みやちゃん~
場所:ガルベルの小屋
語り:名城達也
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空飛ぶ箒で連れてこられた魔女の小屋は、こんもりと茂った木に覆い隠されていたけれど、少し歩くと小高い場所に開けた草原がある。
朝の木漏れ日の差し込む木の陰に座ると、さわやかな風が僕の頬をかすめていった。
突然見知らぬ世界に飛ばされてしまった僕、名城達也は、かなり訳の分からない状況に、ひたすら戸惑っていた。
「異世界召喚って思ってたのと違うな……。心だけ他人に入り込むなんて……」
見た目は日本にいた自分とほとんどど変わらないけれど、キラキラと輝くこの身体はたちどころにケガが治ってしまう不死身の身体らしい。
最初は調子がよくて心地いいかもと思ったけれど、常に光の粒子が吹き出すこの身体は、くすぐったくて眩しくて、驚くほどに落ち着かなかった。
――目を閉じても眩しいな。
目を瞑ると、さらさらと流れるターク君の想いや記憶が僕の心に流れ込んでくる。
戦い、剣に魔法、父親の道具になってしまった初恋の少女、怒りっぽい婚約者と口煩い幼馴染。
それから、大剣士の使命に、落ち着かない不死身の身体、守らなくちゃいけない街とたくさんの人……。もう一人の僕だって言われたけれど、背負ってるものが違いすぎる。
戦地で必死に戦っていたターク君の心は、弱いものを守りたいという純粋な正義感と、強いものに与えられた使命を果たすというかたい決意に溢れている。
好きな子一人守れず、ケガをさせた自分と一対だなんて、とても思えなかった。
自分の悩みが酷くちっぽけに思えて、なんだか情けなくなる。
――英雄になる男か……。きみを回復させれば、この世界のたくさんの人が助かるんだね……。
――大きな使命と、国中の期待を背負ったきみなら、好きな子一人のために帰りたいなんて、自分勝手なことは言わないのかもしれないな。
「だけど、僕にはみやちゃんがなにより大切なんだ」
僕が、そう呟いたとき、強い風が吹いて、草原の草木がザワザワと揺れた。小さな竜巻のような緑の風が僕の髪をかきあげ、思わす腕で顔を覆う。
「あなたの願いはわかったわ」
目を開けると、僕をこの世界に連れてきた精霊が目の前に立っていた。
「きみは……! 速く、僕を日本に帰して!」
「だめよ? 言ったでしょ。タークをもとに戻してって。戻さないと帰せないわ」
精霊から吐き出された風は、刃のように鋭く僕の肌を傷つけた。
「痛いな、なにするんだ!」
僕が怒っても、精霊は素知らぬ顔だ。
「平気でしょ? その身体は癒しの加護に守られてる。その力はタークにたくさんの使命や苦しみを背負わせたかもしれないけれど、もともとは深い愛だったのよ。イーヴの深い愛情が、シュベールにタークへの愛を植え付けたの」
彼女は胸の前で両手の人差し指と親指をあわせ、ハートマークを作って見せた。そのハート型の穴から、フッと吹き出された風が、僕の顔に吹き付け、髪を後ろになびかせる。僕はすごく迷惑に感じて、顔の前で手を振り、その風を払った。
「なんの話ですか?」
「美しいわよね、愛って。あなたも愛に囚われているんでしょ?」
精霊は生暖かい風を起こし、また僕の頬を撫でる。
「そうだよ、僕は、今度こそみやちゃんを守りたいんだ! こんなところにはいられない」
「大丈夫、あなたの大事な人は私が代わりに守ってあげる。あなたは安心して使命を果たしてちょうだい」
自信ありげな、それでいて少し冷たい表情で笑う彼女をみて、僕は余計に不安になった。
「みやちゃんに変な真似をすると僕は許さないぞ!」
「ずいぶん勇ましいわね。なにもしないから安心して。だけどあなたがやる気を出してくれないなら、うっかりなにかしちゃうかもね」
「脅す気か!?」
不敵に笑う彼女を見て、僕の額から冷たい汗がこぼれ落ちた。
「ターク君の心の殻を治して、溢れた想いをかき集めろって……? だけど、僕はどうなるんだよ。少しでも気を抜けば彼に摂り込まれてしまいそうだよ」
「気を抜かなければいいじゃない。自分の愛を証明してみせて。愛する人がいるのになにもしないなんてバカはよくないわよ」
背中を刺すような冷たい風が吹き抜けて、僕は震えた。
――こんなに強い意志を持ったターク君の中で、何ヶ月も自我を保ちつづけるなんて僕にはきっとできない。
――もう二度と大切な人に会えないと知りながら、自分の意思で殻になれと、風の精霊は言っているんだ。
――こんな酷い話を受け入れるしかないなんて……。
僕は覚悟を決めると、ひと筋の涙を流して精霊に頼んだ。
「僕がいなくなったことで、彼女が悲しまないようにしてください……」
「美しい愛ね! 分かったわ、任せておいて!」
精霊はそう言うと、にっこりと微笑んだ。
――なんて恐ろしい奴なんだ……。こんな奴がみやちゃんに手を出したらと思うとゾッとするな。
僕はその場に仰向けに転がると、そっと目を閉じた。
優しい木漏れ日、草の匂い、心地よい風。昼寝をするには最高の場所だ。意外と落ち着いた気持ちで、どうでもいいことを考えてしまう。
諦めの境地とはこういうものなんだろうか。
「好きだよ、みやちゃん」
僕は彼女を想いながら、自分の意識を壊れた殻に集中させた。
殻のカケラが少しずつ集まって、ひび割れが白く光りながら修復されていく。
この光は僕の想いだ。みやちゃんへの大切な想い。君を守るため、僕はこの想いをターク君の心に塗り込んでいく。
そのうち僕は空になって殻になる。
「さよなら、大切なきみ」
殻が形になるにつれ、僕の意識は薄れて行った。




