03 イーヴの願い。~闇に堕ちたって構わない~
場所:アーシラの森(精霊の遺跡)
語り:イーヴ・シュトラウブ
*************
「あぁ……ターク。可哀想に……」
「うわぁーん、いたかったよ、はやくおうちにかえりたいよぉ……」
治癒の光で身体が癒えても、タークは子供のようにぐずり、泣きわめいていた。
「なんてことだ……。心が壊れただと……? 私の可愛い弟子が……。この国の希望が……」
涙を流す私の周りを、黒いモヤが、くるくると飛び回る。
「普通なら闇堕ちするところだけど、癒しの光のせいで闇に逃げれなかったのね。代わりに幼児化して逃げるなんて、さすがあなたの弟子よね。イーヴ」
「タークが闇落ちなんてしたら、ゼーニジリアスとの戦いは絶望的だ……やはり私の弟子は賢いな」
弟子の賢さにあらためて関心していると、黒いモヤはまたタークの周りを飛び回りはじめた。
「だけど、あなたの望みがタークを殺すことじゃなかったなんて。意外だわ。タークがいなくなれば、秘宝のことを忘れるかと思ったけど、違ったのかしら」
「なぜそうなる! 私がタークを愛しているのをお前は知っているはずだ。タークに近づくな!」
「愛してるから殺す、なんてよくある話じゃない? だけど違うなら、あなたの望みはなぁに? やっぱり癒しの力が欲しいのかしら? それとも風の力? あなたは欲深いわね!」
「私はお前たちから、なにかを奪ってやろうなんて考えたことはない!」
「嘘よ。人間は精霊を騙して力を奪い取る! 人間は嘘ばっかり!」
黒いモヤは悲痛な叫びをあげ、燃えるように揺れた。たくさんの仲間を精霊狩りに奪われた怒りが、いまもなおシュベールを狂わせているのだろうか。
「なぁシュベール、何年もきみのところに行かなかったのは悪かった。私にはすべてを守り切る力がなかったんだ。だがタークだけはこの手で守りたい。頼むから拘束を解いてくれ」
「だめよ……あなたはまだ秘宝を欲しているわ。見て……。秘宝があなたの欲望に反応している」
黒いモヤがクルクルと移動して、私はその先に目をやった。壁にかけられた鏡に、祭壇のうえで黒く光る妖しい宝石が映し出されている。
――あれが……すべてを叶えるといわれている精霊の秘宝……。
鏡ごしにでもそこに、ものすごい魔力が内包されているのが感じられる。しかし、それを使ったものは、皆等しく闇に堕ち、闇の精霊に呪われるといわれているのだ。
その黒い宝石から発せられる強い波動。それが、私の鼓動に応じるようにドクドクと波打ち、『私を使え』と呼びかけてくる。
遠くはなれた戦地にいても、その呼びかけはいつもいつも私の心に聞こえていた。
「そうだ……私にだって望みはある! たとえ私が闇に堕ちたとしても、かなえたい大切な願いだ。その秘宝の誘惑は強い。在処を知ってしまった以上、忘れることもできない。だが、私はもう何年も持ちこたえてきた! 望みがかなったところで、私が闇に堕ちたのでは誰も喜ばないとわかっているからな」
「そうね、あなたは強いわイーヴ。そしてものすごく愛が深い。でもいつまで持ちこたえられるかしら? 私はあなたを闇に堕としたくないの」
「く……。勝手なことばかり……。私に秘宝の在処を教えたのはお前だろう!」
私は床にうずくまり「あぁ! くそう!」と叫んだ。
黒いモヤがゆっくりと私に近づくと、目の前にあの鍵が現れた。
――あの日シュベールにこの鍵を渡されたりしなければ、こんなに苦しむことはなかったのに。
私が恨めしい気持ちでその鍵を見据えていると、黒いモヤが耳元で囁いた。
「そんなものを何年も大事に持ち歩いて……。あなたの望みを教えてちょうだい。この秘宝を使って、戦いを終わらせたいのかしら?」
「それはもちろんだが、私が闇に堕ちては意味がない」
「それじゃぁ……壊れたタークの心をもとに戻せるって言ったら? あの光を取り除いてあげられるって言ったら?」
「……そんなことができるのか?」
うずくまっていた私は、期待に満ちた表情で顔を上げた。それに反応するように、黒いモヤがブワッと広がり、怒ったように蒸気を上げる。
「ほら見なさい、あなたはやっぱりタークのために闇に堕ちるのよ!」
「そうだな……」
私は吸い込まれるように、秘宝の映し出された鏡に見入っていた。
「タークのためなら、私は闇に堕ちたってかまわない……。タークを治してやりたい……。タークは英雄になるべく生まれた男なんだ。私は戦いを終わらせたいんじゃない。タークを……私の可愛い弟子を英雄にしたい。タークが子供になってしまったのでは意味がない!」
黒いモヤは私の前でゆっくりと上下していた。まるで、取り憑かれたようにブツブツと話す私を宥めているようだ。
「だめよイーヴ。持ちこたえて。あなたの望みはすべて私がかなえてあげる。あなたはここで待っていて」
その言葉を聞いた私はハッとわれに返った。
「シュベール、なにをするつもりだ!?」
「心を修復する材料を取ってくるわ。異世界にいるもう一人のターク、タツヤよ。彼を材料にして、タークの壊れた心の殻を作りなおすの」
「なんだって? そんなことをして、もう一人のタークはどうなるんだ?」
「ウフフ、異世界のことなんてどうでもいいじゃない。私たちには関係ないわ。急がないとタークの心が完全に壊れて無になっちゃう。そうなったらおしまいよ」
「し、しかし……。これ以上きみを闇に晒すわけにはいかない。待ってくれ!」
私が頭を床につけると、黒いモヤがため息を吐くように蒸気を吹き出した。
「イーヴ、あなたの土下座はもう見飽きたわ」
聞き覚えのあるその言葉に、顔を上げた私は、黒いモヤを凝視した。
「まさか……お前、ファシリアなのか……?」
「やっと気付いたの? 行ってくるわ……」
「まて! まてまて! ファシリア!」
必死に呼び止めた私の声は彼女に届かず、黒いモヤはスゥっと消えてなくなってしまった。




