02 囚われたターク。~既に限界を超えている~
場所:アーシラの森(精霊の遺跡)
語り:イーヴ・シュトラウブ
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次に気がついたとき、私は遺跡のなかでタークと同じ檻に入れられていた。
腕を体の後ろで拘束され、足にも枷がはめられている。ずいぶん長い間その状態で、かたい床に転がっていたようだ。
――くそ。身体中が痛い……。
「グォォン……グォォン」という魔獣の唸り声と、繰り返し唱えられるサキュラルが冷たい牢獄に響いている。
胸をそらせて顔をあげてみると、目の前では水晶で見たものと同じ光景がつづいていた。
タークに食いついているのは、湿地帯によく現れる、ガラマイラとよばれるライオン型の魔獣だ。
赤く燃えあがるたてがみを振りかざし、鋭い爪で石畳の床をガリガリと引っ掻くその姿は、まさに百獣の王の風格がある。しかし、普段のタークなら、一撃で倒せる相手のはずだった。
だが、拘束されたタークはまるで力が入らないようにぐったりとしている。
ガラマイラは鋭く伸びた牙を剥き出しにし、タークの足や腹に執拗に食いついた。そのたびに肉がちぎれ血が吹き出し、タークは痛みに呻き声をあげる。
しかし、どんなに大きく傷口が開いても、金色に輝くタークの体は瞬く間に回復していった。
すぐに体力が全回復してしまうタークに、こんな攻撃は意味がないように見えるかもしれない。
しかし、タークの受けている精神的ダメージは、どんな術よりも大きいだろう。
そして、さらに恐ろしいのが、ガラマイラの背後からしつこく唱えられているサキュラルだ。魔力が完全に底をついた状態から、さらに吸われつづけている。
この攻撃がどれほどタークの精神に負担をかけているのか、考えただけで眩暈がしそうだった。
「……や、やめろ! タークをはなせ!」
私が掠れた声をあげると、タークは涙の溢れる瞳で私を見た。
「せんせ……イーヴせん……せ……いたいよ、たしゅけて……!」
その様子が普段のタークとあまりにもかけはなれていて、なにが起きたのかと頭が白くなる。
あの凛々しいタークがまるで小さな子供のように泣きながら、舌足らずな言葉をしゃべっているのだ。
「ターク! ターク!? 頑張れ、死ぬなよ!?」
「うわーん、たしゅけてぇ……」
タークは長時間の拷問でおかしくなってしまったのだろうか。可愛い弟子の憐れな姿に、私の目からもボロボロと涙が溢れだした。
「くそう、なぜこんなひどいことを……本当にシュベールの仕業なのか!? なぜ湿地の闇魔導師が森にいるんだ!」
必死に周りの様子をうかがい、シュベールを探したがその姿は見えず、またどこからか妖しい響きの声が聞こえてきた。
『ウフフ……やはりこの程度ではこの子は死なないみたいね。心はすっかり壊れちゃってるみたいだけど……』
「心が壊れただって?」
声の主を探そうと、床についたままの顔を必死で動かし、辺りを見回した。あの黒いモヤの塊が、ゆらゆらと近づいてきている。
『ウフフ。そうよ! 見て! あのタークの情けない顔! 無理もないわ。もう何日もこの状態だったみたいだし』
「なんてことだ……。私は何日気を失っていたんだ……? みたいって、これはお前がやったんじゃないのか?」
『連れてきたのは私じゃないわ。でも死ぬことはないだろうし、気晴らしにちょうどいいと思って眺めてたんだけどね』
「くそう! いったいなんなんだ! もうなんでもいいから姿を見せろ! タークをはなせ!」
黒いモヤが私の鼻の頭をかすめるように飛び回る。
「うっ……。すごい闇の深さだな……」
私は慌てて顔を引っ込め息を止めた。うっかりこの濃いモヤを吸い込むと、また意識を失ってしまいそうだ。
闇に堕ちたシュベールが纏っていたのと同じモヤのようだが、ずいぶんと密度が濃い。モヤがゆらゆらとはなれていくのを待って、私は口を開いた。
「シュベール、回復に向かっていたはずなのに……。私がポルールの戦いでなかなか森にこれなくなっている間になにがあったんだ?」
私の問いかけに、黒いモヤは動きを止め、じっと私を見据えるかのように数秒の間沈黙した。そして、まるで怒りを吐き出すように、再びもやもやとうごめきはじめた。
『ウソばっかり……あなたは森に来ていたわ。何度も、何度もこの場所へ』
「……なぜそれを……」
私は唖然として、顔のないモヤを見詰めた。確かに、私はここ数年の間、何度もここに足を運んでいたのだ。シュベールやファシリアに見つからないようにこっそりと……。
――まさか見られていたとは……。
私が青ざめて黙り込むと、黒いモヤはガラマイラをタークにけしかけるように、その周りを回りはじめた。
モヤがボワッと膨らむたび、魔獣は勢いづきタークを激しく食いちぎった。「うぁーん、うぁーん」という、小さい子供のようなタークの鳴き声が牢屋中に響き渡る。
苦しそうに涙を流すターク。あれはもうとっくに限界を超えている顔だ。
「やめるんだ……」
私は床に頭を擦りつけながら、なんとか体勢を整え起きあがった。そのまま黒いモヤを睨みつけると、モヤは妖しく話しかけてくる。
『イーヴ。あなた、魅せられているんでしょ? 精霊の秘宝に……。あなたの望みはやっぱり、この光からタークを救うことかしら? このまま私がこの子を殺してあげましょうか?』
「違う! タークを殺したいなんて思ったことは一度もない! 頼むからいますぐタークへの攻撃をやめてくれ!」
「頼む! 頼む!」と、私は何度も石畳の床に頭を打ちつけた。私の額から真っ赤な血が流れ落ちると、黒いモヤはゆっくりとタークからはなれた。
次の瞬間、どこからか現れた無数の小さな刃が、闇魔導師とガラマイラの身体を小さく切り刻んだ。
魔獣たちは、「ギャーッ」と恐ろしい呻き声をあげ、黒い粉のようになって、消えていった。
タークへの何日にも及ぶ拷問がようやく終わったのだ。




