13 理解不能な状況。~ターク君のバカ!恩知らず!~
場所:タークの屋敷
語り:小鳥遊宮子
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ターク様が消えてしまわないようにと、しっかり握っていたはずの彼の手が、自分の手のなかから消えていることに気付いて、私、小鳥遊宮子は、ハッと顔をあげた。
うっかり深く眠っている間に、ターク様が悪夢にうなされ消えてしまったらと思うと、全身の血の気が引く思いがする。
「ターク様、もう起きてたんですね」
私より先に目を覚ましたらしいターク様は、ベッドのなかで身体を起こしていた。
「あの……ターク様? よく眠れました?」
話しかけてみても、ターク様は貝のように黙ったまま、遠くを見ているばかりだ。
心臓が凍りつくような焦りに襲われながら、私は必死にターク様の顔を覗き込んだ。
「そんな……! 消えないで! ターク様!」
両の頬を手で掴まれた彼は、驚いたように目を見開いた。
「お……ミヤコ」
みやちゃんと呼ばれなかったことに、安堵のため息が漏れる。目の前の彼は、まだターク様のようだ。
「どうしたんですか? そんなにボーッとして……」
「いや……なにか変なんだ」
ターク様はそう呟くと、彼の頬に添えられていた私の手を掴んだ。
「ひゃ、どうしました?」
ターク様の顔がグイグイ近づいてきて、慌てて顔をひっこめる。
――ま、また!? ターク様、最近ますます、距離感がおかしいです!
私に逃げられたターク様は、座ったまま軽々と私を持ち上げ、空中でくるりとひっくり返し、フカフカのベッドに仰向けに埋め込んだ。
「ひゃっ!?」
目を見開いた私に、ターク様は素早く覆いかぶさって、キラキラと光る顔を再びグングンと寄せてくる。
――ぎゃー! 襲いかたが人間業じゃない!
最近ずっと、ターク様が消えてしまう心配ばかりしていた私。
自分から男の人のベッドに入り、手までつないでおいて、今更だけど完全に油断していた。
「タ、ターク様、無理です!」
「知ってる」
「え!」
「少し、確認したいだけだ」
「な、なんの確認ですか!?」
思い出すのは、記憶喪失を治すために、森で思い切り光を流し込まれた一件だ。まだなにか、思い出して欲しい記憶でもあるのだろうか?
なんにしても、毎度突然で強引すぎる。
私の心臓は口から飛び出してしまいそうなほどに激しく鳴っているのに、ターク様の顔は、能面のように無表情で、なにひとつ読み取れなかった。
「はっ、はなしてください……!」
一応抵抗してみるものの、まるっきりの無駄なのは経験上わかっている。弱っているときならまだしも、最近のターク様は、私が押そうが引こうがピクリともしないのだった。
私が早々に諦めたのを見て、ターク様は呆れたように小さなため息をついた。
「なんだ。諦めが早いな」
「腕力が桁違いすぎます」
彼の口から漏れ出す光の粒子が、私の唇をくすぐっている。
「本当に、なんの確認なんですか?」
「いいから、口を閉じて少し黙っていろ」
「閉じるんですか? 開けるんじゃなくて?」
私がしっかり口を閉じ、ついでに目も閉じると、彼の唇がじりじりと近づいてくる気配がした。
――そういえば、昨晩のターク様は、なんだか様子がおかしかったな。
――達也にやきもちでも焼いているようなことばかり言ってきたかと思ったら、急に拗ねたように後ろを向いたり、「日本には帰らないで」なんて言ってきたり。
――どうしちゃったのかな? 達也となにか話したとか?
ひたすら身構えているけれど、ターク様は一向に動かない。キス待ち顔をじっと見られているみたいで余計に恥ずかしかった。
たまらず、目を瞑ったまま、彼の肩をパンパンと叩く。
「なんだ、もう少しじっとしていろ」
「ターク様、無理です! もう限界です! さっきからいったいなにをしてるんですか?」
「いや……こうすればタツヤが怒って出てくるかと思ったんだがな……。あいついないみたいだ。全然気配がしない」
「えぇ!?」
驚いた瞬間、バーンとベッドルームの扉が開いた。
キス寸前の体制のまま、扉のほうを向いて石のようにかたまるターク様と私。
大きく開かれた扉の前には、顔を真っ赤にした達也と、含み笑いを浮かべたガルベルさんが立っていた。
△
「ひゃ!? えっっ!?」
「わ、なんだ、私がいるぞ!?」
ターク様が叫ぶと、達也は拳を握り締め、肩を怒らせながらベッドルームに入ってきた。
「あんなにみやちゃんに手を出さないでって言ったのに!」
「まさか、お前、タツヤか?」
怒りに震える達也の勢いに焦ったターク様は、後ろに手をついて後ずさりしていく。
「ターク君……君ってやつは本当に……! もう許さない!」
拳を振り上げ、いまにもターク様に飛びかかりそうな達也。
「ダメだよ!」
慌てて起き上がった私は、達也に駆け寄り、必死に彼を引き止めた。
どう考えても、生身の達也ではターク様には敵わない。返り討ちにでも遭えばきっと軽いケガじゃすまないはずだ。
「まってまって。ターク様はなにもしてないよ!」
「わーん、嘘だぁ! 僕のみやちゃんを返せー!」
「達也ったら、落ち着いて!」
私と達也のやり取りを、仰向けにひっくり返ったまま、ポカンとして眺めていたターク様が、「ミヤコは、お前のじゃないだろ」と呟くと、達也はますます顔を赤くして暴れはじめた。
「ターク君のバカ! この恩知らず!」
ターク様のほうへ進もうとする達也を抑えきれず、私がズルズルと引きずられはじめると、ガルベルさんがツカツカとベッドに近づいてきた。
彼女はジタバタする達也に後ろから近づくと、その耳元で、「ちょっと静かにしなさい」と囁いた。
とたんに達也は力が抜けたようにふにゃふゃになって、そのままベッドに倒れこんでしまった。
「やだっ、達也! 大丈夫?」
真っ青になって叫び声をあげた私を見て、「平気よ、ちょっと落ち着かせただけだから」と言うガルベルさん。
少し申しわけなさそうな顔をしながら、達也の頭を撫でている。
達也は瞳に涙をためたまま、悔しそうな顔で丸まってしまった。彼がいなくなったあの日のままの、オレンジの学校ジャージが眩しい。
「ガルベル様、これはいったい、どういう状況ですか?」
ようやく体勢を立てなおしたターク様が尋ねると、ガルベルさんはベッドルームの窓を開け放って言った。
「待って、すぐにあと二人来るから。話はそのあとよ」
「え……窓からですか……?」
ターク様が窓の外を見ようと立ちあがると、途端に窓の桟がガタガタと音を立てはじめ、強い風が部屋に吹きこんできた。
△
緑の光を放つその風は、そのままぐるぐると部屋をかき回し、ベッドの天蓋をわさわさと揺さぶりながら、徐々にスピードを落とした。
――この風は……あのときの!
やがて風が弱まると、吹き上がっていた天蓋がふぁさりと垂れさがり、「会いたかったぞ! ターク!」という声とともに、風のなかから男の人が現れた。
「イーヴ先生!?」
現れたのはターク様のお師匠様、イーヴさんだった。
ターク様の顔を見たイーヴさんは、背景に薔薇を描き込みたくなるような、キラッキラの爽やかな顔で、嬉しそうに笑った。
――さすが、ターク様のお師匠様。眩しすぎる!
だけど、驚くべき来訪者はもう一人いた。イーヴさんの周りで渦巻いていた風が、しだいに色を濃くしたかと思うと、緑に光る風の精霊が現れたのだ。
「お前は……。ファシリアじゃないか」
「久しぶりね、ターク」
「なんだ? どういうことだ?」
私たちは、なにがなんだかわからないまま、顔を見あわせた。
ガルベルさんとともに現れた達也も、空を飛んできたターク様のお師匠様も、精霊がここにいるのも、すべてが理解不能だった。
「すみません、まったく状況が掴めないんですが……?」
「そりゃぁ、そうよ。話せば長い理由があるのよ」
「ターク、ミヤコ君、とりあえず私たちの話を聞いてくれ」
急に改まった顔になったガルベルさんとイーヴさん。なんだか本当に、とても長い話になりそうだった。
「と、とりあえず僕たち寝起きなんで、少しだけ時間をもらえますか?」
「いいけど、あまり時間がないから早くしてね。客室で待ってるわ」
ガルベルさんに鎮静化されて動けなくなってしまった達也を抱えて、彼らは客室に消えていった。




