10 異世界の歌。~貴女の魔力は要らないの~
場所:王都
語り:マリル・フラン
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「随分街が騒がしいんですのね」
いつも以上の賑わいを見せている商店街に馬車で降り立ったわたくし、マリル・フランは、隣に立つエロイーズにそう話しかけた。
ターク様とお別れして以来、自分の誇りを取り戻そうと脇目も振らず魔術の勉強に取り組んできたわたくし。街へ出たのは久しぶりのことだった。
――最近学校で皆が噂話をしている、青薔薇の歌姫が原因のようですわね。
久しぶりに見た街は、前に来たときとはずいぶんと様子が変わっていた。
道行く人たちは皆なにかしら青いものを身に着け、もしくは青い旗を手に持っているし、少女たちは嬉しそうに青い薔薇のアクセサリーで髪や耳を飾っている。
商店街の店頭には、青いドレスや薔薇のアクセサリーがたくさん並んでいるし、なにより、あちこちの広場に集まっていたはずのケガ人たちが姿を消し、道行く人々の顔がずいぶん明るく見えた。
青薔薇の歌姫は皆にかなりの影響を与えているらしい。
わたくしも一度、学校で噂話に花を咲かせている友人たちの輪に入ろうとしてみたことがあったけれど、わたくしが近づくと、友人たちはまるで腫れものにでも触るかのように、ごまかしの笑顔を浮かべ、そそくさと解散してしまった。
――勉強が忙しくて大して気にもしていなかったけれど、もしかして、ターク様と関係があるのかしら。
わたくしがターク様との婚約を破棄したという噂は、どこから漏れたのか、あっという間に友人たちに広がっていた。
こちらからプロポーズを断ったはずなのに、なぜか彼女たちの憐れみの視線に晒されたわたくし。
彼女たちのなかでは、実際に振られたのはわたくしで、原因はわたくしの、この可愛くない性格のせいだと思われているようだった。
――確かに、わたくしの性格は困ったものですけれど、ターク様はそのままでいいとおっしゃってくださいましたわ。
――だけど、わたくし、ターク様の優しさに、甘えすぎてしまったのかもしれませんわね。
ターク様との婚約を解消し、友人たちにまで避けられて、ただただ勉強に打ち込むしかないわたくしを、エロイーズはその日、街へ誘い出した。
自分を取り巻く環境が劇的に変わるなか、彼女のわたくしへの憧れの眼差しだけは、なにが変わっても変わらない、確かなものに思える。
エロイーズはいつも通りの重装備で、ガチャガチャと音を立てながら大きな盾を突き出し、商店街を埋め尽くす人ごみから、わたくしを守っていた。
「噂の青薔薇の歌姫の歌が、近くの会場で聴けるみたいです。彼女の歌を聴くと、魔力があっという間に全回復するらしいですよ? 嘘みたいな話ですよね。マリル様も、試しに聴きに行かれますか? 少し元気がもらえるかもしれませんよ?」
「そんな都合のいい話がありますの? ミア・グジェの輿じゃあるまいし、簡単には信じがたいですわね」
「ミア・グジェどころの騒ぎじゃないらしいですよ? 魔道具すら必要無いと聞きました」
わたくしたちは半信半疑で首を傾げながらも、青薔薇の歌姫がいるという会場に向かった。
人だかりはますます密度をあげ、大勢の民衆たちが、青い旗を振りながら「歌姫様ー! 大剣士様ー!」と金切声をあげている。
――大剣士様って、やっぱり……?
何だか嫌な予感が胸を掠めたけれど、もう確認せずには帰れなかった。
エロイーズが民衆をかき分け、なんとか舞台が見える場所まで進む。すると、舞台上には信じられない光景が広がっていた。
「わ……あれ、ひょっとして、ターク卿とミヤコさんなのでは……」
エロイーズが引き攣った顔で舞台上を指差している。
騒がしい歓声の中、わたくしはただただ、唖然と立ち尽くした。
あのいつもビクビクして、おかしな奇声ばかりあげていた忌々しいゴイムが、煌びやかなドレスを着て、ターク様の隣に立っていたのだ。
やがて、ターク様がバローナを弾きはじめると、騒がしかった会場中が完全に静まり返った。
とても上手だという話は聞いていたけれど、わたくしがお願いしても一度もバローナを弾こうとしなかった彼。その彼が金色の光が漏れ出す指先で、優しく軽やかに鍵盤を叩く。
その美しい音色にあわせ、彼女が歌いはじめたその歌は、まるで、異世界の歌だった。
聞き慣れないメロディだけれど、心の奥を掴まれるような深い響きに、身体中にゾワゾワとした身震いが走る。
ターク様はバローナを弾きながら、愛おしそうにミヤコを見詰め、ミヤコもキラキラとした笑顔で時折彼に視線を送った。
長い間ターク様と一緒にいたけれど、あんなに穏やかな彼の顔は、一度も見たことがない。
――そう。あなたも異世界から来たんですのね……。わたくし、どうして、ターク様のお話をきちんと聞かなかったのかしら……。
会場の片隅で、顔色を曇らせ、ふらふらと倒れそうになるわたくしを、エロイーズが支えてくれた。
そうしている間にもわたくしの魔力がどんどん回復していく。
「あなたの魔力なんていらないのに……」
「マリル様、もう行きましょう。そんなに気落ちすると、またお体に触りますよ」
わたくし達は、溢れかえる観衆たちにもみくちゃにされながら、こそこそと会場を抜け出した。




