私の戦装束
とうとう、十戦目。
先程、予定外だったが充電出来たのもあって、長丁場の戦いのラストとは思えないほど気力は充実している。
この戦いが、最終戦だ。
「"病毒の王"様。最終戦ですので改めて申し上げます。初期のルールに加え、まいったと降参は同じ意味として扱います。トラップは禁止です。毒は禁止です。場外から場内への魔法使用も禁止です。召喚具による召喚生物の召喚は禁止です。召喚によらない魔獣の類を場内で自分の代わりに戦わせる事も禁止です。脅迫や買収によって勝利する事も禁止です」
「異常に長いですね」
「おかしいよな」
リズとレベッカの短い言葉には、万感の思いが込められていた。
「よろしいですね?」
「もちろんだとも。最終戦だからな。正々堂々と、剣をもって勝利する」
「ははは。信じられませんね」
「ならば見るがいい。そして信じるがいい」
私は笑ってみせた。
「私は、"病毒の王"。この名に懸けて誓おう。正々堂々と、私自身が振るう剣をもって勝利する、と」
「……信じても、よろしいのですか?」
「私は、私を信じる人に嘘はつかないさ」
「先程までのは?」
「行間を読むスキルというのが軽視されがちなのは不幸な事だ」
「ああはい……信じますよ。また外道な事やるんですね」
「正々堂々と戦うって言ってるのに聞こえないのかなこの子」
会場内の空気が、揺れている。
ここまで断言したのだから、と思う気持ちと、「今までみたいにまた外道な事やるんだろうなあ」という気持ちが、入り交じっているのだろう。
「暗黒騎士団の方、よろしいですね?」
「無論だ。剣をもって化けの皮を剥がす。この期に及んで外道な手段を使うというのならば、最高幹部の地位に相応しくない事など明白」
オールバックのダークエルフさん――若手暗黒騎士その十にして、跳ねっ返りの筆頭に、私は無言のまま笑ってみせた。
彼には、自分の実力への自信がある。
私には、勝利への確信がある。
お互いに適度な距離を取り、木剣を構える。
「それでは試合開始です!」
「――さて」
「聞かぬ!」
暗黒騎士が、練兵場の床を蹴って突進した。
「喋らせなければ、所詮素人!」
吠えるだけはある。
動きは鋭く、速く、私の剣が彼に届くよりも早く、私の肩を強く打ち据えた。
「――舐められたものだね」
打ち据えた、だけだった。
私の振るった剣は、ガードのためではない。
ノーガードでいいなら、迎撃も十分に間に合う。
「ぐっ……!?」
横薙ぎの木剣が、彼の胴を打ち据える。
もちろん致命傷ではない。訓練を続けるのに、何の支障もない。
しかし、後ろに跳びすさって私の間合いから外れた彼の顔には、愕然とした表情が浮かんでいた。
彼にとってそれは、有り得ない一撃だった。
反撃を喰らうどころか、私を、一太刀で倒すつもりだったに違いない。
「私は、"病毒の王"。この衣装が、伊達だとでも?」
だから、私は笑った。
太陽が傾き、少しずつ強くなっていくリタルサイドの風に遊ばれ、ねじれた肩布を指ですくい、流す。
誰も一言も発せず、私の言葉を待つ。
風に煽られたローブの裾がはためく音だけが聞こえる静寂を、ゆっくりと引き裂くように破った。
「これは私の戦装束。常に私の命を第一に考えてくれる、うちの序列第二位が織り上げてくれた高密度の魔力布製のローブと、防御に特化した最高級魔法道具の結晶だぞ……?」
各種の『食い合わせ』を考慮して、各種術式が干渉しないように組み上げられた、病と毒の王の名に相応しい芸術品。
私は攻撃魔法を使わないし、武器の強化も要らないので、宣言した通り、防御に特化されている。
叙任前夜、これをリズに手渡された日から、私はずっとこの恰好だ。
プライベートの時は、肩布と杖と仮面はなし。手袋も大抵なしだ。
公的な場では、常に私はこの、"病毒の王"の恰好をしている。
ゆえに、誰もがこれを自然だと思った。
……もしかしたら、リズやレベッカ、サマルカンドにハーケンでさえ。
「多少の腕があっても、攻撃魔法なしと木剣を使うルールで、お前程度が抜けるものか」
そのための、ルールだ。
・武装は木剣を使用するものとする。
・木剣は事前にお互いの陣営を同数含めた担当者がチェックする事が出来る。長さ等の規定はないが、先端を丸めるなど、殺傷能力は最低限に抑える事。
・甲冑の装備はこれを認めない。
これが、暗黒騎士の甲冑よりも遙かに堅牢な魔法道具である事を知らず、あるいは失念して。
訓練開始前にその着用に対して異議を申し立てなかった時点で、彼らは終わっていた。
「さあ、『どちらかが意識を失うまで』やろうか。お前の勝ち目はゼロだけどな」
私は木剣を突きつけた。
「っ……卑怯……な……」
「お前達の団長殿ならば、このルールでも間違いなく勝てる状況だが?」
訓練用の木剣とはいえ、言ってしまえば木刀であり、棍棒だ。
防御魔法とて完璧ではない。私の魔力で維持される以上、無限に効力を発揮するわけではないからだ。
ただ、ノーガードの殴り合いならば、こちらに分が――ほぼ十割――ある。
それでも、彼が私とリズの想定より強いなら、それで済む話だ。
彼が、暗黒騎士団長殿と同じぐらい強ければいいだけの、話だ。
「これは、訓練だろう!? 正々堂々と――そう! 正々堂々と戦えっ……!!」
「負ける訓練もしてこなかったのか? ――覚えていろ、ひよっこ。正々堂々なんて言葉は、理不尽を正面からねじ伏せられる人間が言うから格好いいんだ。間違っても、自分の実力が足らない事を誤魔化すために、自分が勝てる土俵を用意するための言葉じゃあない」
正々堂々とは、歪んだ言葉だ。
人に与えられた能力は、違う。
努力で埋められない差がある。
この国では、時に自分より優れた相手は、種族さえ異なるのだ。
いつか、自分が生まれついた種族を嘆き、恨み、呪ってしまうひとがいる。
いつか、他の種族を妬み、憎み、呪ってしまうひとがいる。
いつか誰かが、種族を言い訳にしてしまう時が、来る。
――この国は、自分達を敵とした人間という種族に対抗するためにまとまった、寄り合い所帯。
勝つために。
そして勝った後に、争わぬために。
正々堂々とは、万能な言葉ではなく、平等を意味する言葉ではなく、こんなにも理不尽で残酷な言葉なのだと、教え込む必要がある。
その上で私達は、違うものを違うものと排除して争わないために集ったのだと、まだ見ぬ未来の者達には、教えていく必要がある。
「――私は、正々堂々と戦ったぞ」
「何を今さら……! 今日のどこに、『正々堂々』という言葉があったというのだ!」
うんうん、と会場の全員が彼の言葉に頷いた。
しかし私は、正々堂々と宣言して見せた。
「私は、お前達全員に勝ち手段を用意したぞ」
「なに……?」
私は、今日の戦いを思い返しながら、一つずつゆっくりと噛んで含めるように語っていく。
「薬を盛られた事に気付くか、解毒出来ればよかった」
「睡眠魔法に抵抗すればよかった」
「防御魔法の反動に屈しなければよかった」
「耐毒訓練を行って毒耐性を獲得していればよかった」
「幻影魔法に抵抗すればよかった」
「大事な人の身を常に自分で守るか、私の言葉を信じればよかった」
「誘惑をはねのけて戦えばよかった」
「ハーケンに剣で勝ってみせればよかった」
「バーゲストを侮辱せず、一対一で打ち倒してみせればよかった」
「そして今も、木剣で、この防御魔法を抜けるだけの実力があればよかった」
この世界は、理不尽で、残酷で、不平等だ。
だからきっと、その上でなお、持てる能力を尽くして戦う事を、正々堂々と呼ぶのだ。
「そんなものが必要とされるか!」
「あらゆるものが必要とされるのが、戦場だ。そして今は、戦時だ。我ら魔王軍がいるべき場所は、常に戦場だぞ。そして数の平等も、戦力の拮抗も、何もないと知れ。我らが戦う敵は、我らより遙かに国力で勝る人間なのだから」
宣言した。
「我らは、リストレアの守り手。必要とされるのは、平等な条件で正々堂々とお行儀のいい決闘に勝てる能力じゃない。我らに必要とされるのは、あらゆる不利を跳ね返し、断固として背後の全てを守り抜くために必要な全てだ」
私は笑って、木剣を構え直した。
「さあ、それでは教育してやろう」
じり、と木剣を構える事もせず一歩下がる彼に、『優しい』言葉をかける。
「何、降参しろとは言わないさ。気絶するまで打ち合えば勝てる可能性もあるだろう。お前は暗黒騎士で、私はただの人間の女だからな」
そして、微笑んだ。
「ところで、試合開始前にまともに挨拶しようとしたら殴りかかられたの忘れてないからね?」
「え?」
「木剣で勝負をつける前に、君の秘密の暴露大会といこうか。えーと、三つぐらい用意してあるけど、どれからいく? やっぱり個人的に引くわーってエピソードからかな?」
「……は?」
彼の呆けたような言葉は、多分、会場の総意だったと思う。




