人を信じられないのは悲しい事
六戦目。
十戦の長丁場の、折り返しを過ぎた。
ヒートアップした会場のクールダウンも兼ねたトイレ休憩などを入れ、雰囲気は幾分落ち着いている。
私も、フードを下ろし、手袋を外して、リラックスした状態だ。
サマルカンドの用意した椅子に座って甘いものなどつまんでいる。
「蜂蜜トースト、屋台のも美味しかったけど、リズのも美味しいね」
甘いって素敵。
それに、言葉通り、屋台の焼きたてのトーストに蜂蜜を掛けて差し出すものとはまた違って、染みこませておいたしっとりタイプが嬉しい。
「ありがとうございます。糖分はすぐにエネルギーになりますからね」
そういうのは、世界を超えた共通項だ。
それをきちんと分かっている、というのも結構大事。
「ところでマスター、次の勝ち手段、私達聞かされていないのですが……」
「私の出番はもうないよな……?」
リズとレベッカに、安心させるように微笑んだ。
「大丈夫。危ない事はしないよ。レベッカも、場外からの魔法は次から禁止だし、安心して見てて」
「マスターの名誉が傷付く事は?」
「それはする」
「……マスター、何を狙ってるんです?」
「ここは、南の守り。国境防衛における最重要拠点、リタルサイド城塞」
椅子から立ち上がると、サマルカンドから手袋を受け取ってはめ、ハーケンから木剣を受け取った。
深緑のローブの裾が、折からの風に煽られて大きくはためく。
「リストレア魔王国の守りを、盤石とする。今日の全ては、そのためにある」
「分かりました。……ならば、お聞きしません。ですが、気を付けて」
リズが微笑んで私を見送る。
レベッカが口を開いた。
「でも、名誉が傷付くような事はするんだな?」
「それはする」
試合場に立ち、犬耳さんのアナウンスを聞く。
視線は私にロックオン。
「それでは、試合開始です。トラップは禁止です。毒は禁止です。場外から場内への魔法使用は禁止です。いいですね? 本当にいいですね!?」
「もちろんだとも。私ほど遵法精神に溢れた人間はいないからね」
「……ははは」
乾いた笑いを浮かべる犬耳さん。
「それでは、試合を――」
「ちょっと待って」
「……今度はなんですか?」
「試合前に、彼に話したい事がある」
犬耳さんが、若手暗黒騎士その六を見やる。
彼は頷いた。
「……いいだろう。だが、手短にお願いする」
「好きな人がいるって聞いたんだよ。リタルサイド城塞付きのメイドさんで、幼なじみなんだって?」
合同訓練が始まる前にお話をした、臨時メイドさんの事を思い返しながら、にこやかに話す。
「……今この場に、関係ない事だ」
端正な顔をしかめ、木剣を突きつける。
「いや、関係あるよ」
私は木剣を構える事もせず、今回の武器である声を張り上げた。
「今回、その身柄をお預かりしています!」
「うわあ」
「え、待て。何を言い出した?」
「ふむ。まさに外道と呼ぶに相応しきお方よ」
「我が主のなさる事に間違いはございません」
リズ、レベッカ、ハーケン、サマルカンドが思い思いの反応を見せる。
「きっ……さま……!」
愕然とした顔が一転、憤怒に染まる。
「大丈夫大丈夫。何もしてないよ? ただ単にリタルサイド滞在中の臨時のメイド増員だもの」
安心させるように優しい言葉をかけてやる。
そのまま、私は言葉を続けた。
「……ただね、あくまで一時的な処置だが、わざわざ『転属』してもらっている。彼女の今の所属は"第六軍"。名実共に私の部下だ。そして私は、魔王軍最高幹部として、部下の待遇に関してあらゆる権限を持つ」
私が喋るのは、当たり前の内容。
当たり前の軍規定。
「ところで、もちろん知ってると思うけど、私は"病毒の王"。心が広くて部下に優しいって評判の最高幹部なんだ」
誰も、一言も発しない。
私以外の、誰も。
「お話したよ。――可愛い子だよね。あんな可愛い子に想われてて、羨ましいな。うん、酷い事なんて、何もしないよ……?」
毒が滴るように、ゆっくりと話す。
「くっ……」
「なぁーんにもね……?」
ゆっくりと、頬肉を歪ませるように笑った。
それが私を信じない人間にとってどう見えるかは、想像に難くない。
「さて、じゃあ正々堂々と試合しようか!」
一転、爽やかな満面の笑顔で宣言する。
彼は、木剣をぎゅっと強く握った後、指から力を抜いた。
からん、からん……と、滑り落ちた木剣が石床に当たって立てた音が静まりかえった会場に響く。
そして彼は、絞り出すように宣言した。
「……俺の負けだ」
「……副官としては喝采を叫ぶべきなんでしょうか」
「いや……少し引いたぞ」
「ははは。我が主殿は常に勝ち手段を用意しておられる」
「ルール違反はございません」
リズ、レベッカ、ハーケン、サマルカンドの声がよく聞こえる。
さざ波のように広がるざわめきの中、私は犬耳さんを見た。
「彼は棄権した。『試合開始後は、両者の合意をもって、どちらかの敗北、または引き分けを決定する事が出来る』が適用されると信じる」
「あの、"病毒の王"様。魔王軍最高幹部様」
「何かな?」
「脅迫って言葉知ってますか?」
「よく知っている。人として恥ずべき所業だ」
「本当に身柄預かってるんですか?」
「預かってるよ」
「彼が棄権しなかったらどんな酷い事するつもりだったんですか?」
「誤解があるようだね。私はそんな事を一言も言っていない」
「でも」
「人を信じられないというのは、悲しい事だね」
私は、本当にそんな事を言っていないのだ。
彼は、彼自身が作り上げた"病毒の王"という虚像に敗北した。
ちなみに身柄を預かっているというのも、単にリタルサイドの街へ、蜂蜜を買いにおつかいに行ってもらっただけの話だったりする。
ちゃんと「今度、これを使って彼と一緒に楽しい時間を過ごしてね」と、お駄賃も多めに渡して送り出した。
きっと、優しく彼を慰めてくれるだろう。




