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病毒の王  作者: 水木あおい
2章

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はちみついろの幸福


「リズ! あれ買っていい?」


 昼食後、カゴネ湖を後にして、城塞に向かいながらリタルサイドの街を散策していると、小さな広場で、素敵な屋台を見つけた。


 サマルカンドとハーケンの二人には、先触れとしてリタルサイド城塞へ向かってもらっている。


「お昼食べたじゃないですか。デザート奮発して高級なやつも」


「それはそれ、これはこれ!」


 屋台で売られているのは、トーストにバターをのせて、蜂蜜をかけただけのハニートースト。


 しかし、私の勘がこう告げている。


 間違いなく美味しい。

 だから財布の紐を緩めるのだ、と。


 観光地マジックの類かもしれないが。


「まあいいですけどね。お付き合いしますよ」


「リズも食べるの?」


「ええ、まあ。レベッカはどうします?」

「屋台で買い食いなんて久しぶりだしな。私も買おうかな」


「分かった。おじさん! ハニートースト三つ下さい!」


 屋台の店主――ラトゥースとは随分雰囲気が違うが、薄茶色の毛をした狼の獣人らしいひとに、勢いよく注文した。

 紺色のエプロンをした店主がにっと、牙を剥き出しにして笑う。


「あいよ。三つで銅貨六枚だ。それぞれ銅貨一枚ずつで蜂蜜を倍に増量出来るが、どうするね?」


「何を迷う事がありましょうか。増量で! ……いいよね?」


「ええ、まあ。っていうかマスターが買うんですか? 私達は自分の分、出しますよ?」


 首を傾げるリズに、私は首を横に振って見せた。



「可愛い女の子におごるのは女の子の夢です」



「レベッカ、聞いた事あります?」

「男目線ならあるような……」


「というわけで、トースト三つ、全部蜂蜜増量でよろしくお願いします」


「おう。待ってな」


 注文を受けてから焼き上げるタイプ。薄く小さめにスライスされた、白く美しい食パンが鉄網の上で焼かれ、じわじわときつね色に染まっていく素敵さ。


 ――大丈夫。私は焼き上がるまでに一時間掛かる鰻を待てる伝統を持つ日本人。待てる。大丈夫。


「マスター。落ち着いて下さい」


「うん。大丈夫。待てる……大丈夫……」

 ぶつぶつと呟く。


「大丈夫か?」

「ありがとうレベッカ、大丈夫だよ」


「頭とか」


 心配のベクトルが違った。




 銅貨を置き、トーストが焼き上がるのを待つほんの数分が、どれほど待ち遠しく感じただろう。


 美しく焼き上げられたパンに、バター壷からバターがのせられ、溶けていくバターの上に蜂蜜壷から蜂蜜が、大さじのスプーンで一たらし。

 さらに増量してもらったのでもう一たらし。


 溢れそうな黄金の海がトーストの上に生まれる。


「一つ目、出来たぜ。ほら、お嬢ちゃん」


「あ、彼女達から先に」


「あいよ」

「ありがとうございます」


 リズが受け取る。


「……待ってな。すぐだから」

 

 私はそんなに飢えた顔をしていただろうか。


 手際良く二つ目をレベッカに、そして三つ目が、私の手元に。

 待っててくれていたリズが、自分の分を一口食べ、そして口を開いた。


「マスター、一口下さい」


「はい、リズ。あーん」


 私は笑顔で、ハニートーストをリズに差し出した。


 ほのぼのとした日常の一コマ――何も知らない視点では。


 リズが一瞬じっとりとした視線を向け、しかし大人しく口を開く。


「あーん……」


 そしていい感じにバターまでかじりつくと、その一口を目を閉じてじっくりと『味わう』。


「ん、美味しいですね」


「そう? 良かった。後で一口ちょうだいね」


「ええ、まあ」

 改めて自分の方を食べ始めたリズ。



「仲がいいなあ、嬢ちゃん達。でもどれもおんなじだよ!」



 そして、はっはっはっと笑う屋台のおじさんに、無言で曖昧な笑みを浮かべるリズ。

 私も無言で、けれど満面の笑みを浮かべた。


「ま、仲がいいのは、いいこったよ。うん」


 その後もうんうんと頷くおじさん。



 ちなみに、毒味だ。



 私は最初『毒味』という行為そのものに――部下の命を危険にさらす行為に抵抗があった。

 しかしリズは、力強く断言した。


(私を一口で殺せる経口摂取の毒とか、存在しませんから)


 懐かしい過去だ。


 その後、自分が作って味見した物以外、毒味としての一口を要求するリズに、こう言ったのだ。


 『あーん』と言いながら差し出すから、それを受け入れないなら、こちらも毒味は受け入れられないと。


 当然、「意味が分かりません」と言った彼女を、有無を言わさぬ笑顔と、背後の階級と、いつでも命令出来るという圧力を盾に、平和的に押し通し今に至る。


 懐かしい過去だ。


 今でも目で抗議されているのが分かるが、それでも随分と慣れた様子。


 私も急いで、未だ焼きたてのトーストに取りかかる事にする。


 リズの可愛い歯形がついたバターを、さらに半分にするように、パンにかじりついた。


 さくり、という食感と共に、もふー、と頬が満足に緩むのが分かった。


 リタルサイドは最前線と言えば最前線だが、確かに事前情報通り、ここはリストレア魔王国の中でも豊かな地域だ。


 なにしろ食べ物がどれも美味しい。高級ホテルやレストランは当然として、街の屋台に至るまで、だ。


「美味そうに食うねえ。こっちまで嬉しくなっちまうよ。お客さん、リタルサイドの人じゃないのかい?」


 ちらりとリズに目配せする。


「ええ、王都から、用事がありまして」

 リズが代わって、嘘はつかずに当たり障りのない説明をする。


「そうかい。用事の合間に、リタルサイドを楽しんでいってくれよ。美味いもんが一杯ある。このパンの小麦も、バターも、蜂蜜も、全部リタルサイドで採れたもんだしな」


「そうなんですか?」


 レベッカが口を開き、補足する。


「来る時に花畑を見ただろう? 蜂蜜の供給元は主にあそこだな、果樹園や菜園の受粉も大切だが、やはり蜂蜜を目的にした養蜂が盛んな地域だから」


「え、あれ商売物?」


「むしろ何だと思ってたんだ」


「いや、こう……花壇的なものかと……」

「どんな余裕だ、それは」


 確かに。

 慣れたつもりだったが、まだ現代日本の感覚が色濃く残っているのだなと思わせられる。


「ところで秋にも採れるの? 蜂蜜って、春のイメージなんだけど」


「確かに春から初夏にかけてが一番で、秋は蜂蜜が多く採れる時期ではないが、それでもあの規模ならそれなりの量になるからな。単一の品種ではなく、複数の品種を常に咲かせるようにしているんだ」


「……詳しいねえ、そこのお嬢ちゃん」


「ん、ああ……。私は、ここに住んでいた事もあるから」

「なるほど」


 そこで屋台の店主が私を軽く手招きする。

 何事かと思って近付くと、耳打ちされた。


「そこの屋台のじゃがバターとか、どうだい?」


「なんて素敵な響き」


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― 新着の感想 ―
[良い点] レイクビューのレストランで、脂ののったマスと殻ごと食べられるテナガエビを堪能した後、屋台にてハチミツトーストもパクリ。 戦時中かつ最前線の町での出来事とは思えない素敵な時間。 これが「守…
[良い点] 飯テロ会パート2(モチロン前回がパート1) バター、ハチミツ、トースト前回以上に味の想像がしやすくて危険! リズの噛った跡をたべるのも美味しさアップ [一言] おなかすいた。
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