変わったものと変わらないもの
リズとの出会い、そして魔王陛下との謁見、叙任式……と、一通り語り終える。
相槌を打ったり、記憶をすりあわせるための質問に答えたりしながらも、基本的には私が話すのに任せていたリズが、呆れ顔になった。
「……マスター、嘘、言ってなかったんですね?」
「私は、可愛い暗殺者さんにナイフを突きつけられながら嘘を言えるほど、図太くないよ」
「それは嘘ですよね。後、『可愛い』は要らなかった気がするんですけど」
「見解の相違だね」
軽く手を伸ばすと、リズの耳に触れた。
「ん……」
リズが目を細める。
振り払われないという嬉しい事実を確認して、しばしリラックスした様子のリズを堪能した後、それ以上は何もせず手を離した。
「今なんで耳触りました?」
「なんとなく」
幸せを確かめるのに理由が要るだろうか。
リズが聞いた。
「……それから、は?」
「ん? それからは、お屋敷に引っ越して、胃に穴が空きそうになりながらも元気に魔王軍最高幹部をやってます」
「いや、それ元気じゃないです。……体調に不安は?」
「添い寝のおかげか最近は調子がいい」
「…………」
リズが小さくため息をつく。
「ブリジット姉様のことです。さっきの話だと、むしろ仲がいいじゃないですか」
「私は今も友人だと思ってる……けど」
「何かやらかしたんですね?」
じとーっとした、湿度の高い視線。
「やらかしてない。最高幹部に就任した後、ちょっと二人きりでお話をしただけ」
「どう聞いてもやらかしてるじゃないですか」
見解の相違だ。
私は"病毒の王"となって、最高幹部となって、リズを副官兼メイドにして、郊外のお屋敷を頂いて、今に至る。
けれど、最高幹部になって、リズを副官にしてから、お屋敷を貰うまでには少し時間があった。
ブリジットと最後にきちんと話したのは、私がまだ『メイドさん付きの屋敷』を陛下より与えられておらず、王城にいた時の話だ。
部屋の扉が、ノックされた。
「はい」
「私だ。……ブリングジット・フィニスだ」
懐かしい、声。
ぱっと扉に飛びついて鍵を開けると、そこにいたのは確かに、深紅の甲冑を着て、銀髪をポニーテールにしたダークエルフ――ブリジットだった。
久しぶりに彼女の顔を見た事で、思わず自分の表情がぱあっと明るくなったのが分かる。
「ブリジット――」
私の言葉が終わるのを待たず、剣が抜かれた。
そのまま抜き打ちに首筋に向けて振るわれ――ギリギリで寸止めされる。
「ブリジット……?」
ぱさり、と切断された一束の髪が足下に落ちて小さな音を立てる。
剣風が遅れて、私の首を撫でた。
「何故だ。何故お前が、そんな風になった」
向けられた白銀の刃よりもなお鋭い、相手を射殺しそうな視線に、身がすくむ。
私が知っていた彼女は、ブリングジット・フィニス……もっと言えば、『ブリジット』としてのものだったのだと、気付かされる。
彼女は、暗黒騎士団長にして、"血騎士"の二つ名を持つ、魔王軍最高幹部として私に剣を向けていた。
「非戦闘員を暗殺して? 民衆を扇動する?」
彼女は苦々しげに首を振った。
それでも目はそらさず、私を睨み続けている。
「――それは騎士の戦い方ではない!」
「言わせてもらおう。――それがどうした」
私はカツカツと歩み寄った。
怒りが、渦巻いていた。
「私は"病毒の王"! 同じ最高幹部であり、このように刃を向けられる理由など、何一つない!」
私は、名乗るべき名前を手に入れた。
彼女と、同じ立場になった。
もう、守られるだけでは、ないのに。
また、彼女と話せると、思ったのに。
これで、彼女と対等に話せると――思ったのに。
「私は暗黒騎士ではなく、よって戦い方もそれとは異なる。騎士道精神など知らぬし、学ぶつもりもない」
なのに、私の口から出るのは、"病毒の王"としての言葉だけだった。
……私は、この名前しか持っていないから。
私はもう、命令を下したから。
私にはもう、部下がいるから。
果たさなければならない、使命があるから。
「いつか、人間が同じ戦い方をする。いずれ、もっと多くの民が死ぬ……!」
ブリジットは、一歩も引かない。
けれど、私にも引く理由はなかった。
「もっと多くの民が死ぬのは、いずれではなく、ずっと近い未来だ。貴方の騎士団は精強であり、けれど絶対数に劣る。全軍を動員しての決戦となれば、相応の質を備えた軍隊の物量の前に、蹴散らされるだけだ」
彼女が言う事は、正しいかもしれない。
人間が、私と同じ事をすれば、それは脅威だ。
けれど――
「第一、人間に同じ事を出来るものか。こんなにも危険な任務を、誰が果たせるものか。呼吸も食事も要らぬ暗殺者も、変身能力を持つ希少種族も擁さない人間共に、同じ戦い方が出来るものか」
アンデッドを中心とした暗殺班。
ドッペルゲンガーからなる擬態扇動班。
ブリジットとの他愛もない会話から得た、この国に関する僅かな情報を元に、私が見出した『最適解』。
「あれは、私が選んだ部下だ。貴方が誇る配下の騎士の剣と同じ、国家の盾だ」
私を魔力袋と扱った人間と同じような、非道。
――ああ、やっぱり。人間という種族は、限りない残虐性を持っている。
そういう事を、出来てしまう。
それが、ただ、合理的というだけで。
それが、ただ、正しいというだけで。
そんな風にしてでも守りたいものを、胸の内に持ってしまう。
「"病毒の王"の名をそしるのは、私の部下を侮辱する事と同じ。この国のために、あえて非道に手を染める事を選んだ者達の覚悟を侮辱する事と同じ。それでもまだ、私をそしるか? ブリングジット・フィニス」
それでも、私は。
この戦争に勝たなければ、ならないのだ。
だから私は、ありったけの力を視線に込めて、あくまで対等の存在として、彼女を真っ向から睨み付けた。
「……いずれ、お前を必要でなくする」
ややあって、彼女が視線をそらす。
刃を引き、滑らかな動作で剣を鞘に収めた。
「覚えておけ」
私も、彼女を睨むのをやめた。
「……うん、そうして」
「なに?」
ブリジットが、虚を突かれたように聞き返す。
「私は、何も変わってないよ。私は人殺しなんてしたくない。正直この立場は肩に食い込む。辞められるもんなら今からでも辞めたい」
「……では、何故あれほどの非道を?」
ささやくように。
いつかの病室で、少し声を潜めて、お話した時のように。
「多分、同じだと思うけど」
戦う理由は、たった一つ。
「そうでもしないと、守れないものがあるから。……そうしてでも、守りたいものがあるから」
彼女と、仲良くなれると、思った。
「私は……優しく、してもらったから。この人達のために、戦いたいって、思ったから」
彼女と、友人でいたいと、思った。
「そう思わせてくれたのは、君なんだよ、ブリジット」
それは、今も変わっていないのだ。
「私は、何も、変わってないよ」
「……そうか」
彼女が、息をついた。
「だが、私の結論は変わらん」
再び睨まれる。今にも射殺されそうな視線ではないが、それでも強い意志が込められた目だ。
「お前を、必要でなくする」
私が、必要なくなれば。
彼女も、必要なくなれば。
そうしたら、私達はまた、昔のように話せるかな。
「なるべく、早いうちにだ」
私は微笑んだ。
いつかのように。
大切な、友人へ向けて。
「私も、頑張るよ」
「……まあ、色々あってね」
リズにさえ、全てを語る気にはなれず、私は言葉を濁した。
「え、肝心な所ぼかすのやめてくれませんか。気になります」
「秘密だよ。……私と、ブリジットの、ね」
リズが微妙な表情になる。
「……あの、姉様と……『そういう関係』だったり……します?」
あ、微妙さの種類が、私の思ったより斜め上だ。
「あのね、リズ。自分のお姉さんの事ぐらい信用したら?」
「姉様は信用しています。でも、マスターのろくでもなさを、ある意味で信用してますので」
「失礼な」
全く失礼な話だ。
――私にとってブリジットは、この世界で初めて出来た友人なのだ。
そして、命の恩人でもある。
その妹と『そういう関係』になったら、ブリジット怒るかな。怒りそうだな。
「姉妹丼……」
「なんですそれ?」
「いや、私の世界のひとりごとの一種だよ」
ふと頭をよぎって口からこぼれ落ちた怪しげな未来予想図を、適当に誤魔化した。




