百点の回答
「俺は、絶対にお前のやり方を認めねえ」
ラトゥースが、眼光だけで人一人殺せそうな視線を私に向ける。
「お前に、戦士の誇りはないのか?」
怯みそうになるが、しかしそういった視線も慣れたもの。
「悪いが、私は戦士の腕を買われて最高幹部になったわけではないんだ」
「じゃあ、どうしてその立場にいる? この四百年……存在もしなかった"第六軍"を設立してまで、どうして陛下はお前を重用している?」
「おや……私の功績を聞いても、分からないとでも?」
「なんだと?」
「――つい先日も"ドラゴンナイト"を、ほぼ無傷で壊滅させたではないか」
「っ……」
「それが出来るのは、私と私の部下をおいて他にはいない。それだけで十分だと思うが?」
「お前は、自分のやり方をどう思ってやがる……!」
「非道な所業……と言えばいいか?」
「…………」
「なんだ。否定するとでも? あるいは、言い換える、誤魔化す……そんな風に思ったか?」
「……ああ」
「私は、この戦争に勝つために戦っている。……君達は?」
「勝つために戦ってるに決まってるだろうが!」
ラトゥースが声を荒げる。
「どうしたら勝ち? どうしたら、この戦争は終わる?」
私は、穏やかな声で聞いた。
「目の前の敵、全部を滅ぼしたらだ」
ラトゥースの答えに、迷いはなかった。
「敵の騎士も兵士も魔法使いも、みんな殺す。そしていつか敵国の喉笛に食らい付いて、敵の王族と貴族を皆殺しにする。この戦争に責任を持つ、指導者共をだ」
「三十点」
しかし、採点は辛口にならざるを得ない。
「……百点の答えを、聞かせてみせろ」
「人類絶滅」
「……は?」
ラトゥースが、馬鹿みたいに口を開けて、目を瞬かせる。
予想していなかったとでも言いたげな反応だ。
それが少しおかしくて、私は微笑んだ。
「『敵』をみんな殺す。ただ、それは騎士とか兵士とか魔法使いだけじゃない。私は何も区別しない。滅ぼすべきは軍人だけじゃないし、責めを負うべきは、王とか貴族だけじゃない。全部だ。老若男女、階級の区別なく、『人間』を殺す」
きっと、平等はこの世界にない。
それでも平等があったとしたら、それは私が今宣言したような悲しいものなのだとも思う。
「……お前も……人間だろう?」
「陛下はそれを承知で私を魔王軍最高幹部に任じられた。それが全てだ」
「っ……」
「この国に、余裕なんてものはないぞ。この戦争に、『正々堂々とした』勝ち筋なんてありはしないぞ。人間はこちらより遙かに人口が多く、国土も広い。豊かさも比べ物にならない。そんな相手と、私達は戦っているんだ」
この世界には、魔法がある。
だから――私の世界と、何も変わらない。
魔法を使える人間を集めるにも。
魔法を使える人間を育てるにも。
魔法を使える人間が、魔法を使えばいいだけにするにも。
魔法を使える人間が戦う舞台を整えるための軍隊を揃えるにも。
全て、豊かさがいるのだ。
「今戦えば、負けるぞ」
「俺達が弱いってのか……!」
「……違う。正しすぎるんだ」
この人達が、弱かったのなら。
この人達が、愚かだったのなら。
この戦争は、こんなに長引かなかった。
この人達は強くて、正しくて……多分、優しくて。
人間の悪意を理解しきる事は、きっと出来ない。
「この期に及んで、まだ戦争に、『まっとうな』やり方があるだなんて思ってる。戦場に、『正々堂々』なんてものがあると思ってる。殺し合いに、『誇り』なんてものがあると思ってる」
「それがなくなったら、地獄だぞ……!」
「だから、私達は地獄の縁に立っているんだと思ってたけどね?」
一寸先は闇という日本のことわざが、ふと頭に浮かぶ。
今の時代は、魔族にとって黄昏だ。
すぐに、じゃない。
でも、いずれ太陽は沈む。
そしてこのままでは、太陽はもう昇らない。
「沢山死ぬぞ。……戦士じゃない人達が、沢山死ぬぞ」
戦争が、せめて戦う意志のある者だけが殺し合うものならよかった。
「私達が負けたら、そうなるぞ」
けれどそんな戦争は、戦士の誇りや騎士道精神という言葉が大真面目に語られるこの世界でも、存在しないのだ。
「私は――『知ってる』。人間性なんてものがない世界を、知ってる。人間と人間が殺し合った時代を、知ってる」
それは、ただの知識だった。
そしてこの世界で、ただの現実になった。
「私達は負けられない。だから、私は今の戦い方を選んだ」
私には、戦争芸術と呼ばれたような天才的な采配は出来ない。
私は、戦争の形態すら変えてしまう天才的な技術を持たない。
けれど、私にも出来るのだ。
人類が数千年掛けて培った悪意のひとかけらを模倣し、この世界に落とす事は。
それが、"病毒の王"と呼ばれた。
「……全員、武器を下ろせ」
武器を構えたままだった周りの獣人達に向けて、ラトゥースが手を振った。
「ラトゥース!」
「文句があるなら、そいつを俺に向けな」
「ラトゥース……」
武器が下ろされていく。
思わずほっと息をついた。
「――勘違いすんな」
私の胸元の護符が握り込まれ、ぐいと引かれた。
私より頭二つは大きいラトゥースが、背を曲げて、鼻面を今にもくっつきそうなほど私の顔に近付ける。
身構えるリズとサマルカンドを、軽く手を振って制した。
「俺は、お前を認めたわけじゃねえ。俺は、『まっとうな』戦争があると信じてる。『正々堂々』と、『誇り』をもって戦う事でだけ、人殺しじゃあないんだって思える。――それが、戦士の理屈だ」
金色の、狼の瞳。
美しく、誇り高い目だ。
この目を持った人が言うのならば、この人達の心の中には、確かに誇りと呼ばれるものがあるのだろう。
「……うん、『知ってる』。だから、そうして」
私は軽く頷いた。
彼らの誇りを、否定するつもりはない。
ただ、それを敵にも期待するほど、愚かな事はない。
「こんな汚い戦い方をするのも、こんな非道な命令をする『人間』も、一人でいいんだ」
「お前……?」
ラトゥースがいぶかしげに目を細める。
「気が変わらないうちに、失礼するよ。今回の事は、公にはしない。ただ訪問して、お互いが分かり合うための有意義な時間を過ごした――そういう事にしよう」
「……ああ」
ラトゥースが、護符を手離して、私を解放する。
「リズ、サマルカンド。帰るよ」
私は、二人に声をかけると、ラトゥース達に背を向けた。
「最後に、一つだけ聞かせろ」
その背中を、声が追ってくる。
「――お前は、ガナルカン砦で、何をしたんだ?」
足を止めて、振り返った。
「誰も具体的には知らねえ。なのに、陛下もあのブリングジットの嬢ちゃんも、口を揃えてこう言う! 『"病毒の王"の功績だ』とさ!」
「聞かされていない、というのが全てだ」
私は素っ気なく答えた。
「私とて、他の最高幹部の事を詳しくは知らない。それぞれにそれぞれの領分があるものだ。陛下が知っていれば、それで十分という事は多い」
ガナルカン砦攻略戦。
"病毒の王"の経歴に触れる時、それはいつも始まりに顔を出す。
私は、その攻略戦に『参加』し……そこでの功績によって、最高幹部に取り立てられた。
少なくとも、そういう事になっている。
ラトゥースが、牙を噛み合わせて、隙間から息を吐く。
そして、何度かそれを繰り返した。
感情を落ち着かせようとしたのだろうが、抑えきれない感情が、再び開かれた口から溢れ出た。
「お前は、どこの部隊にいた!? 魔王軍に……いや、この国に人間がいたなんて、今まで聞いた事もねえ。お前は、本当にあの戦場にいたのか? いたなら、お前は、あの戦場で本当は何をしたんだ?」
「……語れない事もある」
私の経歴に、何一つ嘘はない。
それだけは確かだ。
ただ、私の種族が公式には伏せられているように、全てが語られていない事も、確かだ。
「ただ、礼儀として、一つだけ語ろう」
ラトゥースへ。同じ最高幹部へ……しかし、具体的な事は何一つ語れない相手へ、私はゆっくりと言葉を選んで語った。
「私は、確かにあの戦場にいた。……そこで"病毒の王"は生まれた」
この世界における、『私』のはじまり。
闇色をした、けれどかけがえのない記憶。
「……それが、全てだ」
私は、もう一度彼に背を向けた。
そして、ラトゥースはもう口を開かなかったし、私も振り返らなかった。




