憎しみの理由
常々"病毒の王"のやり方に不満を持つ、獣人軍からお誘いを受けたとなれば、多少険悪な雰囲気になる事はあるかもしれないと予想していた。
が、予想は甘かったのかもしれない。
どうやら馬車の周りは囲まれているようだ。
それも多分、武装した獣人軍に。
「マスター。出ます」
「私も、出る。許可して」
「……ええ。馬車ごと狙われる危険を考えれば……どこにいても同じですね」
リズが先に降り立ち、私も馬車を降りた。
もう、駐屯地に乗り入れていたらしい。
木の柵の内側の小さい広場だ。
荷物の積み下ろしの場も兼ねているのだろう。
本来ここで止められるのは、おかしい事ではない。
身元や予定の照会をするというのは普通の事のはずだ。
特にここは重要拠点なのだから。
――しかし、これはおかしい。
槍や斧はまだしも、剣は抜き放たれ、弓に矢がつがえられているとは。
「何事です、これは」
あくまでメイドとしてリズが発言する。
一人の獣人が前に進み出た。見た目は若い女性だ。癖っ毛の赤茶の髪に、同じ毛色の猫の耳。猫の獣人らしい。
彼女は、両刃の剣を抜いていて、それを私に突きつけた。
「――"病毒の王"の下で、我らが一族が死んだ」
ずきん、と胸に痛みが蘇る。
部下を失った過去。
「私の弟だった……」
……ああ。
何を責められているのか。
どうして、緑の瞳に怒りと憎しみを湛えて私を見るのか、それで分かった。
「誇りのない戦いで……いや、戦いとすら呼べぬ非道に駆り出され、遠き地で死んだ!」
嘘はない。間違いもない。
何事も、自分のフィルターを通して解釈出来るものだ。
この世界に、絶対はないから。
「"病毒の王"を殺せ!」
「そうだ! 戦士の誇りを汚す者に死を!」
武器を手に、口々に好き勝手な事を叫ぶ獣人軍の人達。
ぽつん、と怒りが胸に生まれた。
「黙りなさい……」
リズが、一歩前に進み出た。
両の手には、いつ抜いたのか、大型の格闘用ナイフ。
その気迫に気圧され、口々に叫んでいた獣人達が静かになる。
「普段は名乗りませんが、今はあえて名乗りましょう。私は近衛師団所属、"病毒の王"陣営序列第二位……"薄暗がりの刃"」
しゃらん、とナイフの刃が擦り合わされる音と共に、細かい火花が散った。
そしてくるりと逆手に持ち替えた二本のナイフを、眼前で交差させて構える。
赤いマフラーが、しゅるりと両腕に巻きついた。
「近衛師団……」
「"薄暗がりの刃"だと……ハッタリじゃないのか?」
「だが……『アレ』は……」
ざわざわと、動揺が獣人達の間に広がる。
リズナイス!
これなら、多少は冷静に話が出来るかもしれない。
そう思ったのは、一瞬だった。
「――この人を敵と思うような馬鹿は、魔王軍に要りません。全員肥料にして闇の森を一回り大きくしてやりましょう」
リズやめて。
さっきの、場を収めるための威嚇じゃなかったの?
思わずサマルカンドに目配せを送る。
さあ! いい感じの一言を!
「我が名はサマルカンド……我が主へ武器を向け、侮辱したのだ。楽に死ねると思うな……」
あかん。
私の事を好きすぎるサマルカンドに、冷静な対応を期待したのが間違いだった。
そして、サマルカンドもいつの間にかしっかりと大鎌を構えているし、角もねじれて伸びた上に、目も赤く光っている。
本気だ。
心の中で、ため息をついた。
仮面に軽く触れて、音声変換機能をオンにする。
「リズ。サマルカンド。――武器を下ろせ」
「マスター」
「我が主」
二人が目で抗議する。
「命令だ。武器を下ろせ」
サマルカンドは、大鎌を下ろした。
「……承服出来ません」
だが、リズはナイフを下ろさない。
「私は陛下より直々に命令を頂いております。『"病毒の王"を守れ。かの者に仇為す敵をことごとく滅ぼせ』と。申し訳ありませんが、敵を前に武器を下ろせなどと、そんな命令は聞けません」
「――どこに、敵がいる?」
武器を構えた獣人達を、芝居がかった動作で示しながら、私はゆっくりとリズに歩み寄った。
「ここにいるのは、我らが国王陛下に忠誠を誓う、魔王国の正規軍。"第三軍"たる誇り高き獣人達だ」
まだ、誰も死んでない。
まだ、どうにか出来る。
並ぶと少し下になる彼女の顔を、仮面をしたままで覗き込んだ。
「そして我らは"第六軍"。――さて、戦う理由が、どこにあると?」
そして、私はこれでも魔王軍最高幹部なので、分かってしまうのだ。
私がここで死んでも、魔王軍はどうにかなる。
けれど、ここで獣人達か、リズとサマルカンドの内、誰か一人でも死ねば。
それは内乱の引き金であり、国の崩壊さえあり得るという事を。
魔王軍最高幹部の仕事は、リストレア魔王国をあらゆる脅威から守る事。
その脅威が友軍の愚行によるものだったとして。
最悪の場合失われるのが自分の命だったとして。
それでも、役目は果たさねばならない。
「……お願い」
聴覚の鋭い獣人達にも聞こえないぐらいの小声で、彼女の長い耳にささやいた。
「……はい、マスター。私の主は、あなたですから……」
リズが、ナイフを下ろす。
だが、獣人達は武器を下ろさない。
「けれどマスター、状況はお分かりで?」
「ああ。でも――話の分かりそうな人が来る」
すっと、広場の向こうの道を指で示した。
正確には、そこを歩いてくる、黒灰色の毛皮をした、狼の獣人を。
全身にみなぎる生命力やオーラ、あるいは自信。金ボタンの光る黒コートだけを、前を開けて羽織るように着ている彼を、私は見知っている。
「なんの騒ぎだ、こいつは!」
良く通る声を張り上げる彼は、私と同じ魔王軍最高幹部。
"折れ牙"のラトゥース。
「こんにちは、ラトゥース」
反"病毒の王"派。
誇りと強さを重んじる、戦士だ。




