人の見る夢
「お熱いこった」
ラトゥースが軽く言って、ビールをジョッキであおる。
今日は公務成分強めで、かつリズの手刀を受けて気絶していた事もあり、お酒を禁止されているので、その飲みっぷりが羨ましい。
『イチャイチャに慣れた』と言うのも納得の平常運転だ。
「……これは、主従としての礼儀、ですからねラトゥース様」
最早懐かしさすら覚える言い分のリズ。
「で、結局の所、主従としての礼儀って、どこまでOKなの?」
「基準を教えると、マスターが悪用する未来が見えますので、秘密です」
「つまり、リズのさじ加減次第って事だね?」
「……まあそうですね」
「夢が広がるシステムだね」
「……マスターの言う夢は、私の思う夢とちょっと違う気がするんですよね……」
遠い目をするリズ。
「人が見る夢は、みんな同じだよ」
人が見る夢は、幸せになりたいと、それだけだ。
ただ、幸せは、人によって微妙に違う。
幸せだけを手に入れようとして、幸せになれない人もいる。
それを求めるからこそ、怖がって手に入れようとしない人もいる。
自分の幸せとは違うものを求めてしまう人もいる。
手に入れた幸せを失う事に怯えて、幸せでなくなってしまう人もいる。
平和になって、戦争で死なない事が当たり前になった時、この国の人達は、どんなものを幸せと呼ぶだろう。
そこに、声が降ってきた。
「ラトゥース様。それに"病毒の王"様。ご一緒して、よろしいですか?」
「カトラル。おう、座れよ」
ラトゥースがちょっと長椅子のスペースを空ける。
「ありがとうございます」
カトラルさんが礼を言いながら、持っていたトレイを長机に置き、椅子に座る。
そこで髪がはらりとなって気が付いたが、髪型が黒三つ編みから、緩いウェーブヘアーになっていた。
セットしたのではなく、単に三つ編みをほどいただけなのだろうが、オンオフの切り替えを感じさせる。
彼女が持っているトレイの皿には、野菜もあるが、主に肉。次に肉。骨が見えて焼き加減が間違いなくレアな肉の塊がゴロゴロとしていた。
この食堂は、リストレアの軍食堂によくある形式で、カウンターで注文して、トレイに乗せて受け取り、好きな席で食べる、という形になる。
専門のコックがいるか、持ち回りかなどは規模によって違う。
また、注文を聞いてくれるかは、その時の食材ストックや、調理担当の手が足りているかなどで変わる。
ただ、私は王城にいる時は、食事は部屋に運ばれてきた物を食べていたし、今もリズのメイドご飯を、屋敷の食堂で食べるのが一般的なので、あまり利用した経験がない。
王城の軍食堂は一度利用してみたかったのだが、リズに「ではマスターに質問させて頂きますが。仮面をかぶってまで正体を隠している魔王軍最高幹部が、一般の兵と並んで食堂で食事する絵面を、どう思われます?」と、完璧に論破された。
あの仮面は優れ物だが、着けたまま食事出来るタイプではない。
なので、軍食堂は、リタルサイド城塞やリベリット村、それにリタル山脈に築かれた"四番砦"で利用した経験があるのみだ。
所によって微妙にメニューの方向性が違うが、獣人の人達はお肉が大好きだなあ、としみじみ。
これは、魔獣を狩ってお肉にするのが普段のお仕事に組み込まれている、というのもあると思うが、獣人という種族自体が、そもそもが肉食なのだと思う。
「ラトゥース様。概要説明お願いできます?」
「おうよ。しっかり食っとけ」
カトラルさんが、フォークが支えられる重量限界といった風情の肉塊に、がぶりとかじりついた。
ワイルドな食べっぷりは、ああやっぱり獣人軍のひとだなーって感じ。
「まず、小さい群れだがな。この駐屯地から見て、北の方で何度か目撃されてる。目撃情報は三、四匹ってとこだな。今のとこ、放置するつもりだったやつだ」
「やっぱり無理に駆逐したりはしないもん?」
「バーゲストに襲われたなんて話、滅多にないからな。まあ、たまに出る行方不明者の死因や、まして何に喰われたかなんて、俺らには分かりゃしないが」
「……バーゲストの話だしね」
バーゲストが『見たら死ぬ』と言われるというのは……敵対した者を、生かして帰すつもりがないという事だ。
それはどの肉食獣も同じなのだろうが、獲物の見極めの上手さで有名な魔獣ともなれば、その犠牲者が生き延びて、襲われたと語る事例自体が少なくて当然だ。
「ラトゥースは狩った事は?」
「二度……三度? いや、記録上は二度、だな」
「何、記録上はって」
「あらかた狩った後、残りを追うのに部隊分けたりな」
「なるほど。で、概要は?」
「普通の狩りとまあ同じなんだが、匂いがすぐに消えやがる上に、足跡が体格の割に軽いんだあいつら。そのくせ体重は体格通りありやがるし、連携は頭おかしいの一言に尽きるな。そんで魔力吸収能力だあ? 殺したら消えやがるせいで肉も採れねえし……数で囲んで狩り立てれば、怖いっつーほどの相手じゃあねえが、割には合わねえな」
「"第三軍"の魔獣師団でも、猟犬として仕込めないかの研究があったようです。番犬が精一杯だったみたいですけど」
カトラルさんが、肉を口に運ぶ手を止めて、補足する。
「じゃあ、"第三軍"の中でバーゲストに興味ある人がいたら、うちの方に来てもらうってのはどうかな」
「マスター。それ、機密ですよ」
「そう? まあほら。リタルサイド城塞で見せたし」
「それはそうですけど」
「――あの話は、事実なのですか? リタルサイド城塞にて行われた、"第二軍"と"第六軍"の合同訓練において、"病毒の王"が黒妖犬を使役して、暗黒騎士を一人再起不能に追い込んだというのは」
カトラルさんが食いつく。
「それは尾ひれがついた噂話レベルだと思う」
私に否定され、がっくりと肩を落とすカトラルさん。
「ですよねー……。黒妖犬が尻尾振ってすりよって、撫でられて嬉しそうだったとか、妙にディテールがリアルだったのですが……」
「それは多分本当だけど」
「今なんて言いました?」
ギン、と、目力という言葉がこれほど似合う目もないなっていう光を、瞳に宿すカトラルさん。
「ば、バーゲストが撫でられて嬉しそうだっていうのは本当……?」
「本当に? 本当なんですか!?」
「落ち着けカトラル」
「あう」
ラトゥースが、軽く手刀をカトラルさんの猫耳の間に見舞う。
「なるほど。やはり手刀はリストレアの伝統」
「リストレアの伝統に適当なイメージ抱くのやめてくれますか」
「すみません、つい興奮して……それで、"第六軍"では、黒妖犬をどのように扱っていらっしゃるので?」
「話していい?」
「……ええまあ。協力を要請するわけですし……ね。ただ、信じてもらえるかどうか……」
「分かった。おいで」
私は、ローブの裾を振った。
ぞるり、とこぼれ落ちるバーゲスト。
「……は?」
「……え?」
ラトゥースと、カトラルさんが、呆けたような声を上げる。
だがラトゥースは、ほとんど反射か、立ち上がりながら両腰の小剣と短剣を共に抜き放った。
「大丈夫だよ。怖くないよ。ねー?」
私の言葉に応えるように、とん、とバーゲストが私の両肩に前足をのせてきたので、ぎゅっと抱きしめる。
「襲われて……ないんだよな?」
「ないよ」
「マスター。普通、まず言葉で説明すると思うんですよ」
「信じてもらえるか分からないって言うから。見た方が早いと思って」
「……まあ、それはそうですけど……」
私は、バーゲストの首筋をそっと撫でた。
そしてにやりと笑う。
「それでは、うちの黒犬さんの魅力をたっぷりと"第三軍"の皆さんにも知って頂こうか」
「――おい! 黒妖犬だ! バーゲストが入り込んでやがる!!」
「なんだって? ああ、"病毒の王"様が!?」
「畜生どこから!」
「客人を怪我させたとあっちゃ"第三軍"の名折れだぞ? 拘束魔法使える奴呼んで来い!」
「……まず落ち着かせてからね」
「ああ。それがいいな。――てめえら落ち着け!」
ラトゥースが声を張り上げ、一時混乱に陥った食堂を鎮めていくのを、万が一にもうちのバーゲストが攻撃されないように、ぎゅっとして眺める私だった。




