インペリアルガード育成マニュアル
ペルテ帝国は、砂漠の部族が母体になって興された近代国家だ。
『ペルテ帝国』を名乗るようになってからで数えれば三大国の中で最も歴史が浅いが、砂漠の部族時代を入れればランク王国やエトランタル神聖王国よりも歴史が長いとも言える。
部族ごとに反目し合っていたが、太陽と炎の神ペルテを信仰し、外敵に対しては無条件の同盟を結ぶ事で存続してきた。
ある時、パワーバランスが崩れた。
部族統合戦争が起き、ドミノ倒しのように砂漠の勢力図は、瞬く間に書き換えられた。
元々同じ神を信仰し、外敵に対しての同盟もある。
これは侵略ではなく、あくまで繁栄のための統合であると主張した時の部族長は中々の名君だ。
ゆえに、流された血は少ないうちに――砂漠に、統一された武装勢力が出現した。
数代を経て、後に『ペルテの父』と呼ばれる建国皇帝が、神の名を冠した国の建国を宣言した。
オアシスを巡る争いではなく、砂漠から抜け出すために戦いを始め、今では砂漠地方は帝国の版図の三分の二ほどだ。
その成り立ちから、ある意味一番リストレアに似ている純然たる軍事国家。
そのペルテ帝国の誇る、帝国近衛兵。
彼らの強さは、純粋な身体能力の高さと、練り上げられた身体強化魔法と、良質な武装と、それら全てを総合した、練度の高さゆえだ。
帝国最優の戦士達であると言われる。
その言葉に、嘘はない。
強さに秘密もない。
ただひたすら純粋に、『強い』のだ。
だが、彼らの成り立ちは、特殊だ。
帝国は、奴隷制が残っている国の一つだ。
明確な『財産』であり、法律で保護されているので、一応虐待などは禁じられている。
それでも強制労働であり、人権などという言葉はない。
帝国近衛兵は皆、奴隷出身なのだ。
これは本来、機密中の機密だ。
擬態扇動班によって帝国近衛兵育成のための指南書……『忠実で強靱な兵士作成マニュアル』とでも言うべきものが手に入らなければ、他の人間は――帝国の帝国近衛兵自身でさえ――誰も知る事はなかっただろう。
彼らは、皇帝陛下とペルテ帝国に忠誠を誓う、強靱無比な戦士だ。
宗教を心の拠り所にして高い士気と練度を保つ、エトランタル神聖王国の神聖騎士団とは、似ているようでかなり違う。
まず、徹底的に物理的な能力が重視される。攻撃魔法は基本的に敵の使うものであり、自身の魔力は魔法の武器や鎧を使うためのもの。戦士に攻撃魔法などは必要ない、という考えだ。
これは合理的でもある。攻撃魔法は消耗が激しい。また、それはダークエルフや悪魔を有する、人間の区分でいう『魔族』の得意分野だ。
敵の得意分野で戦うのは、馬鹿のやる事というわけだ。
実際に、身体強化を練り上げれば、人間の身でも対抗しうる。
ただ、素の身体能力の差を埋めるには、本来数に頼るしかない。
けれど――千人に一人ぐらいは、生まれ持った身体能力や魔力量の高さによって、種族の壁を超えうる英雄が生まれるのだ。
そして帝国は、素質のある人間を例外なく、全て帝国にとって都合のいい戦士に仕立てるという選択をした。
例外は、ない。
個人の自由はない。職業選択の自由も、思想の自由もない。
戦士に向いているのならば、戦士にするだけ。
皇帝陛下と帝国にのみ忠誠を誓う、地上最強の戦士達が、必要なのだから。
仕掛けは、理解してしまえば簡単だ。
素質を持つのが千人に一人ならば、生まれた人間を管理し、千人の中から、その一人を確実に選抜するという発想を基本とする。
そのために帝国は、他国に先んじて、この世界ではオーパーツとさえ思えるほどに厳格な戸籍制度を作り上げた。
いや、先んじて、という表現は正しくない。他の国にはこれほど高度な戸籍などないからだ。
今も地方ごとに税金を割り当て、地方領主がその分を徴収し、残りで私腹を肥やすのが一般的だ。
これは、報酬が定額で、ほぼ私腹を肥やさない方向になっているだけで、リストレアでも同じだし、戸籍に関しては、大陸の中でも適当な方だったりする。
この辺は長命種ゆえ、かもしれない。
厳格な『管理』の必要もない、金銭より名誉を重んじる文化が根強いのもある。
……ただ、だからこそ一部がちょっと悪どいみたいで、その辺りの層が不穏分子の資金源だったりするので、平和になったら、もう少し法整備したい。
金銭に固執しないというのは美徳でもあるが、金銭もまた人を殺す武器になる以上、気を遣わないというのは悪徳でさえある。
さて、帝国だが、この戸籍制度を最大限に生かし、生まれた子供に無料の健康診断を行っている。
ゆえにペルテ帝国は、特に庶民に気を遣わないランク王国や、回復魔法の使い手は多いが、親が神に祈っている間に手遅れになりやすいエトランタル神聖王国より、幼児期の死亡率が低いという。
――これだけを聞くと、とてもいい国だ。
ここで見所があると判断された人間が、例外なく奴隷送りにされるという、帝国近衛兵作成マニュアルの基本方針がなければ、だが。
身体作りを兼ねた強制労働を行わせながら、『指導者』と呼ばれる役職によって、帝国と皇帝への忠誠心を刷り込まれる。
なお、機密だが、精神魔法が使われる。
ここで素晴らしい……じゃなかった、恐ろしいのは、『強い精神魔法』を使わない事。
私が使われたような、『強い精神魔法』は、程度こそあれ、完全な隷属だ。
ほとんど自分で考える事もない、最低限の指示に従うだけの人形が出来上がる。
殺せないが自由にも出来ない政治犯の拘束用が一般的な使い方で、後は、見た目さえ可愛ければ人形でもいい、いやむしろそれがいいという変態御用達の使いにくい呪文だ。
割と高度な魔法なので、使える人間も限られる。
だが、『弱い精神魔法』は違う。
誰にでも……とは言わないが、それなりに使える人間は多い。
そして、指導者は強制労働に疲れ果てた少年少女に優しく接し……心の隙間に、そっと忍び込む。
この手管はほとんど精神魔法。
考えたやつは人の心がよく分かる天才で……人の心がない。
使う精神魔法はほんの少しだけ、警戒心を緩めさせる程度。
そうして、自分の言葉を届きやすくする。
現代日本なら間違いなく虐待の児童労働にいそしむ子供に、少しずつ、少しずつ、帝国への忠誠心を植え付けておく。
そしてここからが、人間の闇にぞっとした部分だ。
これらはもちろん帝国主導なのに、これらの奴隷労働を行っていた施設は守るべき労働基準を守っていなかったり、正規の取引ではなく奴隷を入手していたなど、『違法であった』という名目で摘発が行われる。
助け出すのは『帝国』。
実行に移すのは、帝国近衛兵。
指導者は、違法奴隷という犯罪を暴くために潜入していた帝国の役人であった、という設定だ。
設定はかなり凝っていて、『台本』に『指導者に対して施設側の職員による暴力行為を行う』という項目があったりするほど。
もちろん『子供達をかばって暴力を受ける』という設定。
……そこに、自由意志が介在する余地は、ない。
辛い労働。教育は簡単な読み書き計算以外与えられない。広い視野など持ちようがない。
かばってくれる優しい大人は暴力に晒される。
自分達も、時には。
けれど、それは『いけない事だったのだ』と教えられる。
それは『悪』で。
『帝国』の『帝国近衛兵』が、全てを正してくれる。
それは『正義』なのだと。
そして……帝国軍への勧誘が行われる。
残してきた家族が万が一にも、犯罪組織の残党に襲われたりしないように、と。
しかもこれは、強制ではない。
自分達を助けてくれた『正義の味方』が、笑顔を浮かべ、手を差し伸べて、こう言うのだ。
「ペルテ帝国を守るために、皇帝陛下に忠誠を誓い、共に戦うつもりはないか?」
……と。
その笑顔に、嘘はない。
その言葉に、嘘はない。
それを彼らは、それを彼女らは、本心で言う。
自分達も、そうだったから。
『救われた』から。
そこに『同じ立場』の子供がいるから。
自分が『かけられて嬉しかった言葉』が、分かるから。
目の前の子供を救いたいと、純粋な気持ちで、心の底から、そう思うから――
……ここまで年中行事。
ここまでの全てが、茶番だ。
人間怖い。
っていうか、闇が深すぎる。
クラリオンの顔色が悪かったのも分かる。
淡々と事務的に綴られた言葉。システマティックに誰もが行えるように組み上げられた理論。
むしろそこに一切の悪意が介在しないからこそ、『来る』ものがある。
けれど、この世界の人間が、ことさらに残酷というわけではない。
ここまでガチだったかは分からないが、奴隷出身者を取り立てて、恩義を糧に精鋭兵を作り上げるのは、世界史の教科書にも載っているシンプルかつ効果的な手法だ。
それに何より、力のない状態で戦場に立てば、間違いなく死ぬ。
強い戦士がいれば、より多くの人を救える。
その戦士達にしても、人の心があればこそ、背後に守るべき者を置き、尊いものに忠誠を捧げ、同じ境遇の同胞と戦列を築いて剣を握る事を、誉れであり幸福であると信じている。
その過程には、無用な危険もない。全ては、丁度よくあつらえられた試練だ。
それによって守られるのは、帝国の全て。ひいては、人の世の全て。
幼い頃の痛みは、癒やされるように出来ている。
国民の誰もが、幸せになるように作り上げられたシステム。
でも、それは。
でも、それは、あまりに。
人間が、血も涙もない種族だとは、思わない。
けれど、人間には出来てしまうのだ。
優しささえ、ただの道具と見る事が。
幼いまっさらな子供に、剣を取らせるために、優しくする事が。
あまつさえ、それをマニュアル化し、毎年のように行う事さえも。
出来て、しまうのだ。




