非道の悪鬼の部下達が地下で夜な夜な集まって何かやっている件について
ハーケンが、部屋に入りながら声を張り上げた。
「皆、"病毒の王"様がお見えだぞ!」
広めの部屋にいたのは――不死生物の群れ。
まともな人間が足を踏み入れたら、絶望を覚えそうなほどの密度で、骸骨と死霊達がいた。
一人だけだが、上位悪魔までいるのだ。
テーブルに座り、さらにその周りを囲み、床に車座になり、その周りを立って囲み……と、それぞれ囲まれている中心では何が行われているのかと視線を走らせると、どうもトランプのようだった。
彼らが、ハーケンの言葉に、一斉に私を見る。
視線の圧が凄い。
「あの、ハーケン……?」
「主殿は初めて会うのだったな。死霊軍より派遣された者と、レベッカ殿が目覚めさせた者がおるが、"第六軍"護衛班として正式に編入された者達だ」
「――私の、部下、なのか?」
「無論でございます。我らが主」
一人だけの上位悪魔――サマルカンドが、歩み出て、恭しく頭を下げる。
「なんて事をしてくれた」
「……何か、問題がございましたか?」
「分からないか?」
「申し訳ありませぬ」
サマルカンドが片膝を突いて、かしこまる。
「新しい部下達が、着任後初めて見た"病毒の王"が、パジャマにローブ羽織った気を抜いた姿とか、問題しかない!」
「……それだけであるか?」
首を傾げるハーケン。
「それだけ言うな」
「断言させていただくが、この屋敷の主たる"病毒の王"様がどのような恰好をしていようと、笑う者などこの場にはおりはせぬ。夜中にそのような恰好で館内をうろつくような真似は、我らを信頼しておらねば出来ぬだろう」
「それはそう……だけど……」
「ならばその姿は、我らにとって誉れと言うべきもの」
音がして、見ると、全員がサマルカンドにならって、一斉に片膝を突いてひざまずいていた。
自分が魔王軍最高幹部なのだよな、と実感するのはこういう時。
こほん、と軽く咳払いして喉を整える。
「――いつも、お前達のおかげで安心して眠れる。改めて礼を言うぞ」
「有り難きお言葉。主殿がしもべに敬意を払われる方であったのは幸いだ。気持ちよく仕事が出来るに越した事はないゆえな」
ハーケンが、からからと顎骨を打ち鳴らして笑った。
「仕え甲斐のある主を持てて幸いである」
仕え甲斐のある主。
私は、そういうものなのだろうか?
この世界に来るまで、人の上に立ち、絶対的な主君として振る舞うなど考えた事もなかった。
私の命令が、人を殺す。
敵も、味方も。
その立場は、重くて。
肩に食い込むようで。
――でも、悪くない。
こんな種族間の絶滅戦争真っ只中の世界で、『非道の悪鬼』にして『人類の怨敵』と呼ばれ、最大の標的にされていてなお、ゆっくり眠れるというのなら。
私の言葉を信じ、私の言葉一つで喜ぶほど、私を信じてくれる者達がいるというのなら。
私は微笑んだ。
「楽にしてくれ。楽しんでいたところを邪魔してすまなかったな」
空気が緩む。
「……それで? これは?」
「見ての通り待機中の息抜きであるな。カード遊びは、少ない持ち物でも長く楽しめる優れものであるゆえ、戦場でも人気の娯楽なのだ」
「賭けてるの?」
簡素なテーブルに積まれた銅貨をちらりと見た。
「銅貨を目印に使っているだけで、金銭は賭けておらぬ。安心めされよ」
「まあ、賭けてても、うるさい事は言わないけど」
「我が主は寛容であらせられるな」
「仕事以外の事に口出す上司とか最低だよね」
「……実感がこもっておられるようだが?」
「今は最高幹部だけどね。誰かの部下だった時代もあったんだよ」
――こんな上司がいればいい、という上司とは、自分は随分と違っているかもしれない。
セクハラまがいのスキンシップとか、妄言とか、自分の日頃の言動を思い返し、ふと遠い目になってしまう。
書類周りがきっちりしている所以外は、最低だ。
それでも。
――こんな部下がいればいい、という部下が、手元にいる。
それぞれのテーブルを軽く回る。
「……"病毒の王"様?」
「大丈夫。見てるだけだ」
戸惑いがちにかけられた声に、あくまで軽い口調で返す。
上司の『見てるだけ』という言葉のプレッシャーが分かるのになお、自分の興味を優先させた辺り、割とサイテーの上司だ。
テーブルを回っていると、どうやら一つのゲームオンリーというわけではなく、テーブルごとにそれぞれやっているらしい。
ポーカーなど定番のルールが違わない辺り、安心する。
その中の一つに、思わず足を止めた。
「……ババ抜き?」
トランプの図柄や、ポーカーの役が同じなのだから、それが存在しても、おかしくはない。
けれど、このファンタジーの世界で、それが。
「……な、何かおかしな事でも?」
「ああ、すまない。違うんだ」
呟いたきり、動きを止めた私のせいで、空気がすっかり固まっていた。
「……遠い……故郷の遊びでな。子供の頃……よく妹と……」
胸にこみ上げるものが、私の喉を塞いだ。
私に残されたのは、こんな幸せな記憶。――その、断片。
私は、自分や、その妹の名前さえ覚えていないのに。
遠い日の穏やかな幸福の記憶が色鮮やかに蘇り、その鮮やかさをもって、全てが戻らない事を教えてくれる。
そこに、一人の骸骨の声が聞こえた。
「――では、ご一緒しませんか?」
「え?」
「おい、お前何を」
「いいではないか。――我らが主の、懐かしい故郷の遊びと同じだという。せっかくだから、カードを通じて親睦を深めるのもいいだろう」
「お前、自分が一番負けそうだからって」
「そ、それは……」
身内同士の遠慮のない掛け合いに、思わず口元を緩めた。
「ふふっ……いいのか?」
「もちろんです! なあ!」
「もちろんです。次は覚えてろよ」
「もちろんです。次も負かしてやるよ」
「もちろんです。主をダシにしやがって」
一人が席を代わってくれて、着席する。
四人で正方形のテーブルを囲む形になった。
二人が骸骨、一人が死霊。そして一人が――人間。
私も身内になったような、満足感が全身を満たす。
いや……『ような』では、ないのか。
これが、私が、手に入れたもの。
「ああ、久しぶりだな」
配られた手札を受け取って、ざっと広げる。
「念のために言っておくが、手加減したやつは黒妖犬の玩具にしてやるからな」
「心配ご無用。階級をゲームに持ち込む輩などこの場にはおりませぬ」
「何よりだ」
頷いて、手札の数字が揃ったカードを捨てていく。
「ははは。カードで手加減して上役におもねるほど『上』を狙っておりませんで」
「おや? 出世願望はないのか?」
その合間に、軽口を叩く。
「ええ、どうもカード遊びに興じるのもまともに出来ない忙しさのようで」
「なんだ。そんな心配をしていたのか。ならば私を見習うべきだな。仕事の合間にこうして遊んでいるとも」
「まったく。全ての上役が我らの主ほどフランクならばよろしかったのですが」
さざ波のような笑いが広がる。
「だが、お前達は後悔する事になるだろうな」
場に緊張が走る。
「……それ……は?」
私はゆっくりと微笑んだ。
「私は、強いぞ」
どっと、笑い声が湧き起こった。




